「亡命」に見る望郷と決意

takase222012-09-30

きょうは中秋の名月だ。
台風で午後から強い風が吹いていたが、深夜になってやみ、外に出たらいい月夜である。虫も鳴いている。
月末の資金繰りやら別のトラブルやらでせわしかったが、ちょっと無理して、渋谷に映画『亡命』を観に行った。英語名は”Outside the Great Wall”(万里の長城の外で)という。
2年かけて約20人の亡命者にインタビューし、うち13人が映画に登場する。
翰光(ハングァン)監督によれば、中国は目に見えない万里の長城を築き、海外からの情報を遮断しているが、海外の亡命者は中国国内に自分たちの声や海外の情を届けようという闘いをしていることを象徴するタイトルだという。そして、この映画を通して、封じられた亡命者たちの声が、逆輸入という形でいずれ中国国内に入っていってくれることを願っているという。
きょうは上映後、監督のトークショーがあり、現在の日中関係にも触れて、実に興味深かった。

この映画、2回目だが、1回目に気がつかなかったことをたくさん学べて、さらに感動し、いろんなことを考えさせられた。
映画に登場するのは全員、著名人だが、亡命した後にノーベル文学賞を受賞した高行健(ガオ・シンジャン)のように陽の当たっている人ばかりではない。多くの人は、中国に思いを寄せ、根無し草になった自分の存在意義を自問している。
日本でも知られた作家、鄭義(チュン・イー)は、天安門事件で指名手配を受け、3年の逃亡生活の末、米国に亡命した。彼の言葉。
「祖国を離れても精神の絆までが断ち切られたわけではない。夢の中でも祖国に帰りたいと思う」。
3年も国内で逃げ回っていたのは「作家と土地には母子の関係にも似た独特な関係」があり祖国を去りがたかったからだという。
いま中国では彼の本は発禁で、外国語への翻訳もない。
「読者がいないのになぜ書くのか。わずかな読者しかいないのに書くことに意義があるのか」と鄭義は自らに問いかける。
おそらく葛藤もあったのだろうが、中国政府に屈してまで帰国はしないと言い切る。
映画のエンディングは鄭義の独白だ。
「作家やインテリが生活に逼迫し、亡命生活に耐え切れなくなって転向し、統治者に頭を下げたら、存在価値すらなくなってしまう」。中共と取引したら「89年に虐殺された大勢の若者や市民に申し訳ない」。
「生活はいろいろと大変で家計も苦しいが、それに耐えることで作品や人格が向上する面もある。結局、作家や作品というものは、テクニックの問題ではなく、人格が重要なのだから」。
スウェーデンに逃げた小説家、陳邁平(チャン・マイピン)は亡命のつらさは具体的で現実的だという。
「例えば、父母や兄弟姉妹に会えないとか、北京の胡同(フートン)の煙の匂いを嗅ぎたくても嗅げないとか、上海人だったら焼餅(シャオピン)や油条(ヤオティオ)が食べたくても食べられないとか」まるで「監獄に入っているようなものだ」。
政治評論家の胡平(フー・ピン)は実際に親の死に目に会えなかった。
重病を患っていた86歳の母に最後に会いたいと思ったが、母親は、たとえ政府が許可しても帰ってきてはいけない、政府を信用するな、と言い、息子に会わずに亡くなったという。
ここまでして彼らが闘い続けるのはなぜか。
(つづく)