「禁断 二・二六事件」の問題意識1

takase222012-04-16

二つの花がカップルのように咲く二輪草ニリンソウ)がかわいい。
きょうの朝日歌壇は、わこさんが入選。
春休み手袋やさしく洗います学校用とお出かけ用と
手袋にごくろうさまといいながら、という感じかな。
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北朝鮮打ち上げ失敗、木嶋被告死刑判決。大きなニュースが二つ。こういう時に悪いことをするのが民主党のやり方。二つのニュースの陰に隠れて再稼働を決めやすい。 要注意》
(古賀茂明氏のツイートより)
再稼動ありきで首相周辺は動いている。裏で原発再稼動を決めたのは仙石氏の「5人組」だと、数日前の東京新聞が、一面ですっぱぬいていた。
自民党よりはマシだろうと我慢してきたのだが、ここまでくるとこの政権に見切りをつけないと、という気持ちになる。
またエネルギー問題を、このブログで書こう。
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鬼頭春樹『禁断 二・二六事件』(河出書房新社)を読んだ。
帯には《『プロジェクトX』を生んだ元NHKプロデューサーが、蹶起の知られざる「禁断の空白」を精査追及》とある。著者の鬼頭さんは、二十数年前、私がフィリピンに駐在していたときに仕事をしたことがある。共産ゲリラ、新人民軍の軍事訓練の取材に、一緒にネグロス島の山中に分け入ったのだった。
去年、原発事故のあと、NHKがアーカイブスで『調査報告 チェルノブイリ原発事故』(1986年)が再放送された。いくつもの国際賞を受賞した名作として知られる。そのエンドテロップに鬼頭さんの名前があった。報道ドキュメンタリーの最前線で活躍された方である。
この本は、鬼頭さんが7年前から構想し、資料を集め、執筆してきたもので、四百頁を越す大著だ。歴史のディテールに入っていくので、決して読みやすい本ではないが、かなり読まれているようだ。「二・二六」は、近代史のなかで、今なお注目される事件の一つである。それが、これまで考えられてきたよりも、はるかに巨大な意味を持つ事件だったというのがこの本の結論だ。
「二・二六」の新解釈を試みており、これは歴史学界においても大きな議論となるだろう。問題作と言っていい。
二・二六事件」とは、1936年(昭和11年)2月26日から2月29日にかけて、日本の陸軍皇道派の影響を受けた青年将校らが1483名の兵を率い、『昭和維新断行・尊皇討奸』を掲げて起こしたクーデター未遂事件」(ウィキペディア)である。高橋是清蔵相や斎藤實内大臣らが殺害され、決起の首謀者は一部自決したほか15人が処刑された。
この本の新解釈を私なりにまとめると、「二・二六事件」は、その4年前の「五・一五事件」や「三月事件」「十月事件」その他の青年将校の決起・決起未遂とは全く性格を異にする。
これまでは、「君側の奸」を排除することが主目的であると思われてきたが、実は真の狙いは「破壊」ではなく「革命」だった。「昭和維新」は単なるスローガンではなく、権力奪取の具体的方策が考えられていた。「上奏隊」が宮中に突入し天皇に直談判して「維新」を迫り、もし天皇が拒否すれば退位(秩父宮による天皇の交代)までをも計画していた。革命の中心目的は、「農地解放」。青年将校は尊皇派と思われているが、実は中心メンバーの多くは、天皇を「玉」、つまり目的達成の手段として考えていた。
決起には近衛部隊(近衛歩兵第三連隊)が加わっており、第七中隊長、中橋基明中尉は、高橋蔵相を襲撃、殺害(中橋自ら4発拳銃で撃っている)したあと、一個小隊62人を率いて皇居に入り、坂下門を押さえることに成功する。上奏隊はここから皇居に入る手はずになっていた。
松本清張が綿密な資料の掘り起こしと精力的な取材をもとに、『昭和史発掘』で、青年将校の目的が「宮城の占拠」にあったのではないかと問題を提起し、一部で注目されるようになったのだが、今回の本では、その後に発掘された資料を含め膨大な文献、証言から、「革命」が、驚くほど大きな規模で構想されていたとしている。
「維新」はいくつかの手違いで失敗するが、この事件が残した衝撃は巨大だった。政府・軍部の支配層だけでなく、天皇にまで弓を引こうとした(しかも近衛兵までが)前代未聞の企てだったからだ。
そして、その企てがあったことは、厳重な緘口令が敷かれ、反乱軍の裁判からも、その他の公文書からも消され、歴史の闇に葬られたのだった。
(つづく)