「許容リスク」の議論を急げ

今年は、被災地の復興にとって、決定的な一年になる。
ほとんどの被災自治体で、復興計画が策定された。全体として「防災や安全ということが前に出すぎて、自立や改革が後回しにされている」と批判するのは日本災害復興学会(こんな学会があったのだ!知らなかった)の会長、室粼益輝(むろさき・よしてる)氏だ。
もちろん安全は最優先されなければならないが、「ゼロリスクを求めて、何が何でも安全でなければならないと考えてしまうと、建物の外に出ることも飛行機に乗ることもできなくなる」。どこまでのリスクを許容できるのか、「この許容リスクの議論を曖昧にして、放射能汚染地域の復興は考えられないし、津波浸水地域への再居住も考えられない」と室粼氏は言う。この議論が不十分だというのである。
先月の日本テレビ「ニュースZERO」の特集で、弊社は、大船渡市の再建計画を取り上げた。ある夫婦が、寿司屋を再建しようとしたが、そこは浸水地域だったので、建設許可は店舗だけで、住居としては認めてもらえない。住居は高台に移すことになっているからだ。その夫婦にとって、いま店舗と住居の2軒を建てることなど到底無理だ。これでは復興は遅れるのではないかと思われた。
室粼氏の、「許容リスク」についての指摘は、津波被災地だけでなく、放射能汚染地の復興においても非常に有益だと思うので、ちょっと長いが、紹介してみたい。
津波被災地への居住では、100年に一回の津波に対しては人命とともに財産も守る、1000年に一回の津波に対しては人命だけを守るという目標設定をしたうえで、その目標の達成レベルを十分な議論のうえで、例えば「死亡確率一万人当たり一人未満」と決めるのである。その目標値が決まれば、高台でなければならないといった画一的な選択ではなく、「高台でも低地でも」という多様な選択が可能となろう。また堤防の高さも、津波の予測値からだけでなく、リスクの期待値からも弾力的に決めることが可能となる。避難対策のレベルが上がれば堤防は少し低くてもよい、情報伝達の信頼性が上がれば避難場所までの距離が多少遠くなってもよい、といった柔軟な対応が許される。
放射能汚染地域の復興では、よりしっかりとこの許容レベルの議論をすべきである。外部被曝の許容線量を、もっとも厳しい国際基準を参考にして、例えば「年間1ミリシーベルト」と決めれば、その実現可能な地域については徹底的に除染を行って、できるかぎり早く住めるようにしなければならない。その実現が困難なところについては、居住地としての再建をあきらめ、短期利用を軸とした記念公園等への転換を考えるのである。リスクの許容値が決まれば、総力を挙げた除染が前提となるが、住宅等が再建できる区域が明確になり、復興に向けて足を大きく踏み出すことができる。いずれにしろ、当面居住地として再建できるところとそうでないところを、除染の技術的可能性にもとづいて区分けして、可能なことろから復興事業を進めることが求められる》
《巨大な堤防をつくって自然とのつながりが消える、高台に分散移転をしてコミュニティがつぶれるということがあってはならないのである。堤防や高台移転によって物理的には安全になっても、コミュニティの衰退や人口の減少によって社会的に危険になってしまっては、元も子もないのである》
《安全は必要条件ではあっても十分条件ではない》

(「未来につながる真の復興を目指して」世界2号)
いま、ここで提起されている「許容リスク」の議論を、急がなくてならないと思う。
復興の見通しがないなかで、被災者も被災企業も「被災地離れ」を加速化させているからである。原発汚染地域では2割から3割の人が、故郷に帰らないと考えているという。
遅れれば遅れるほど、復興は困難になる。
今年はまさに勝負の年である。