南三陸町のすばらしい海の幸

南三陸町で出会った元気な人をもう一人紹介したい、

震災の前、「慶・明・丸」の浮き球が看板の「農漁家レストラン 慶明丸」を経営していた三浦咲子さん。

ここ波伝谷という地区は、南三陸町のなかでも最も大きな津波被害を受け、ほとんどすべての建築物がなくなったという。
震災でレストランも自宅も津波で流され、失意の底に沈んだ咲子さんだったが、不思議な巡り会わせが待っていた。
「慶」の字が書かれた浮き球が、はるか5000キロ離れたアラスカに打ち上げられていたのだ。「慶」は亡くなった夫の名前からとった文字だという。テレビニュースの映像にちらっと映ったのを知人が目ざとく見つけ、咲子さんに知らせてくれた。
その後、多くの人々の尽力で、長い旅の末、浮き球はついに咲子さんの手元に戻った。このことがあって、咲子さんは一念発起したという。
「ばらばらになってしまった皆が集まれる場所を作りたい!」
周囲の応援もあって、一昨年の4月にお店を再開することができた。
咲子さんの希望どおり、地元の人だけでなく、復興で外から来ている人にも集会場のように使われているようだ。
昼食をいただいたが、おいしい刺身やカキ、ホヤに新鮮な野菜をどっさりご馳走になった。

ここは海のものがうまい!
船で志津川湾をクルーズしたときの写真をいくつか。
「養殖の復興を見に行く」というので、見学だけかと思ったら、新鮮な海の幸を味わうことができた。

赤いイガイガボールがホヤ。獲れたてを食べるのは初めてだったが、臭みがなく、しこしこしてとてもうまい。
東京の大衆酒場で出てくるのとはだいぶ違う。

さらに牡蠣、そしてホタテも・・・



津波の前より養殖の育ちがはやく、海が豊かになったという。
最後に船長がみなにエビセンを配り、手に持って空にかざしてごらんという。すると、どこからか湧いたようにウミネコの群れが船を囲んで、次々に手の先からエビセンをくわえていく。
クルーズの定番だという。

おかげさまで、天気に恵まれ、至福のときを過ごすことができた。
今度また、ホヤが食べたいな。

このブログでは前向きに人生を切り開く女性たちを紹介してきたが、復興には問題が山積しているのも事実だ。ここでは書かなかったが、信じられないような復興予算の無駄遣いも見聞きした。
震災から時間がたち、原発事故の被災地がたまに報じられることはあっても、津波被災地はほとんど触れられない。私もこのところフクシマにしか目がいかなかった。今回、南三陸町に行って、あらためて日本にとっての震災の意味を考えたいと思った。

ところで、被災地復興の先頭に立つべき、高木毅復興相が下着ドロの常習犯だったとのスキャンダルが表に出た。あきれるしかない。
衆・参両院の予算委員会での2日間の閉会中審査で追及されたが、高木大臣の答弁する表情を見ると、100%やっていることは明らか。香典疑惑についでこんどは弔電疑惑も出てきた。大臣の「資質」をきちんと議論してほしい。
安保法制やTPP、消費税など審議すべき事柄はたくさんあるのに、安倍首相、本当に臨時国会を開かないつもりのようだ。
丁寧に説明して国民にもっと理解していただく・・・と言ったのも嘘だったのか。