原発事故とコスト7−衝撃の試算結果

「試算」では、影響を受ける人のカテゴリーを、A「12時間以内に全員立退き」からD「1カ年間農業制限」までの4等級に分けて、かなり踏み込んだ試算を試みている。
例えば、6ヶ月退避することになっているC級の都会居住者の場合は;
《一時立退きによる損害額 (1 人当り)
(a) 移転費用 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 10,000円  (略)
(b) 移転の間の収入喪失 ‥‥‥‥‥‥‥ 2,044円
(略)立退き期間中において当然予想される収入喪失ないし収入減少はあえて考慮せず、(略)移転に要する往復期間のみ収入を喪失するものと仮定した。
(c)新しい宿舎の費用 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥ 6,726円
立退き先が縁故地であるか否かによつて費用は異るであろうが、4.46人家族の居住可能家屋の平均家賃を月額5,000円とした。
(d)立退き期間中の家計支出の増加額 ‥‥‥‥‥ 34,031円
短期間中における大人数の移転、家具などの汚染などの事情を考慮すれば、移転先に携行できるものは家財の一部にすぎず、大部分は現住居に放置することとなろう。したがって、移転先において家具、什器、衣服および身回り品などの最低生活必需品を新たに購入する必要がある。(略)
(e) 所有物の汚染除去 ‥‥‥‥‥ 46,285円 (略)
(f) 合計 (a-e) ‥‥‥‥‥ 99,086円
つまり、都市部のC級の人は、一人当たり約10万円の損害賠償となる。
ただ、(b)「移転に要する往復期間のみ収入を喪失するものと仮定した」とことわってあるように、引越し期間だけ収入がないが、移転後も仕事が続けられるという前提である。
そして試算の結果は;
人的損害は、低温放出ではかなり生ずる場合があり、放出粒子が小で逆転時には数百名の致死者、数千人の障害、百万人程度の要観察者が生じうる。高温放出では人的損害はつねに零である。
物的損害は逓減時の全放出の場合が大きく、最高では農業制限地域が幅 20〜30km 長さ 1,000km 以上に及ぴ、損害額は 1 兆円以上に達しうる
。(全放出、低温、粒定小で逓減の雨天時など)》
きのうの日記に引用したように、この報告書には、《放出放射能の農漁業への影響》については、損害賠償額の見積もりは限定的なもので、実際には、《試算した額より大きくはなっても小さくはならない》と書いてある。それでも《1兆円に達しうる》というのである。
この計算は、総理府統計局調べの全都市勤労者世帯の実収入額、月額 34,663円 (昭和 33 年平均) を基礎としている。
「数百名の致死者、数千人の障害、百万人程度の要観察者」そして「農業制限地域が幅 20〜30km 長さ 1,000km 以上に及ぴ、損害額は 1 兆円以上」とは、関係者の度肝を抜くような数字であったろう。
ちなみに、試算が出た1960年の日本の国税地方税合わせての税収はおよそ2兆5千億円だった。
今中哲二氏によれば以下のような経緯でこの試算がなされたという。
《日本で最初の本格的な原発は、英国から導入し、1966年に運転を開始した日本原子力発電?の東海原発(電気出力16・6万kW、熱出力58・7万kW、1998年3月運転終了)である。東海原発の導入にあたって英国側は、「原子炉で事故が起こった場合には、英国政府は一切責任をもたない」、「原子力発電はまだ危険がともなう段階なることを再認識されたく…」と申し入れてきたという(1)。そこで東海原発で事故が起きた場合の損害賠償とその保険制度をどうするかが問題になった。
 当時、原子力発電を同じく積極的に進めようとしていた米国では、米国原子力委員会の委託を受けて、ブルックヘブン研究所が原発事故の災害規模を推定する研究を行なっていた。WASH740と呼ばれるその研究報告の試算結果は1957年に発表され、最悪の原発事故の場合には、急性死者3400人、急性障害者4万3000人、要観察者380万人、永久立退き面積2000平方?、農業制限等面積39万平方?といった数字がならんでいた。被害の大きさに驚いた米国議会は、事業者のリスクを軽減し原子力発電を推進するため、原発事業者の賠償責任を一定額で打ち切るプライス・アンダーソン法を制定したのであった。
 米国にならい日本でも、プライス・アンダーソン法に相当する原賠法を制定することになった。そのためには、日本の原発で事故が起きた際にどれくらいの被害が出るのかを見積もっておく必要がある。科学技術庁の委託を受け、日本原子力産業会議がWASH740を手本に原発事故規模の試算を実施した。1960年に「大型原子炉の事故の理論的可能性及び公衆損害に関する試算」と題する全文244ページの報告書(以下、原産報告)ができあがった。試算結果はあまりにも大きな被害を示していたため、当時原賠法の審議を行なっていた国会には一部が報告されたのみで、全体はマル秘扱いとされた。
 原産報告の概要が一般に明らかにされたのは1973年であった》
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/genpatu/gunshuku9905.html
原発事故が恐ろしく巨大な損害をもたらすことは、政府の一部と関係者には、半世紀前にすでに分かっており、そのうえで、事故を想定した法律を作っていたのである。
(つづく)