試練を静かに乗り越える

takase222011-03-13

11日の地震津波で被害にあわれた方、またそのご親族、お知り合いにお見舞い申し上げます。
私は、仙台の伯母さんに連絡がつかず、やきもきしたが、今夜になって電話で無事を確認できた。被災三日目のきょう午後6時にようやく電気が通って電話が使えるようになったそうだ。
「暖房がないので、さすがに寒かった」という。一人暮らしで、夜は真っ暗ななか、さぞ心細かったろう。
陸前高田など、テレビが映し出す「壊滅」した町は、病院や学校など大きな建物以外は家並みがごっそりと消えており、まるで原爆投下後のようだ。深夜時点で死亡者は1300人超とされるが、あの壊滅ぶりからすると、最終的な犠牲者数がどのくらいに達するか見当がつかない。
当面は、まず緊急救助・救援、インフラなど物理的な復興という課題になろうが、ここまでの災害のあとは、被災者のストレスなどからの精神的な落ち込みも心配だ。
家族が目の前で津波にのまれるなど、尋常ではない体験をした人もいるだろう。阪神・淡路大震災では、多くの人にPTSD心的外傷後ストレス障害)が見られたという。将来に展望を見出せず「うつ」になりやすい状況もそろっている。
おそらく、「こころ」の手当てには、ほとんど手が回らないだろうが、みんなで励ましあいながら強く生きていってほしい。
悲惨なニュースのなかで感心させられるのは、被災者たちの落ち着いて冷静にふるまっている様子だ。
以前、このブログで、江戸末期に来日した外国人たちが、災害に直面したときの日本人に驚嘆していることを紹介した。
「米国の生物学者モースは、大火事を見物に行ったさい、《僅かな家財道具類の周囲に集った人々》が《まるで祭礼ででもあるかのように微笑を顔に浮べていた》ことに驚き、《この一夜を通じて、涙も、焦立ったような身振りも見》なかったと書く。
フランス海軍のスエンソンは、横浜大火(慶応2年)の直後の様子をこう伝える。
《日本人はいつに変わらぬ陽気さと暢気さを保っていた。不幸に襲われたことをいつまでも嘆いて時間を無駄にしたりはしなかった。持物すべてを失ったにもかかわらずである。・・日本人の性格中、異彩を放つのが、不幸や廃墟を前にして発揮される勇気と沈着である》http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100124
こんなご先祖さまを持つ私たちである。
未曾有の試練ではあるが、きっと乗り越えていけるに違いない。
助け合っていきましょう。