「新聞が消えた日」2

takase222009-08-10

いま日本では若者が都会にアパートを借りて一人暮らしを始めるとき、ほとんどが新聞を取らないという。さらに、テレビを部屋に置かない人が多数派らしい。
これはメディアの凋落ぶりを象徴するものだが、アメリカで次々に新聞が破綻しているのも、単に不況のせいというわけではないようだ。
ある地方紙の廃刊を描いたドキュメンタリー「新聞が消えた日」の内容を紹介しよう。

今年2月に廃刊となった『ロッキー・マウンテン・ニュース』の経営が急速に傾いたのは今世紀に入ってからだった。90年代、ライバル紙『デンバー・タイムズ』との熾烈な競争が繰り広げられ、90年代半ばに50セントだった価格を90年代末には1セントへと下げた。
アメリカの新聞はたしかに安い。それには新聞の収入の7割が広告から得られるという事情がある。広告のページが非常に多い。それも、不動産案内から弁護士開業のお知らせ、ガレージセール、我が家の車売りますといったいわゆる三行広告がほとんどを占める。
二紙の競争は相手を倒して広告費を独り占めしようというもくろみからはじまったのだった。このダンピング競争は両紙の体力を奪うことになったが、しかし、新聞を根柢から揺るがす変化は別のところで起きていた。
「それに気づいたのは2005年のことでした」と『ロッキー』の発行人は言う。「インターネットが津波のように我々を飲み込んだのです」。
インターネットには、無料のニュースサイトが次々にでき、それは新聞の部数減につながった。そして新聞にとって最も大きなダメージとなったのは、無料の広告サイトだった。インターネットは新聞から読者と広告を一緒に奪っていったのだ。
ライバル紙と闘ったのは、「敵を見誤っていた」と発行人は言う。
親会社の「スクリプト」社の社長は、「新聞ビジネスには未来がない。変化が速すぎて、ビジネスモデルが見つからない」と告白している。
社員の中からは、『ロッキー』をインターネット版として復活させようとしたグループも出た。記者やカメラマンなど35人を擁し、5万人の市民スポンサーから5ドルづつ集める予定が、実際には3千人しか募金せず、計画は頓挫した。

ローラ・フランクという女性記者(写真)は、自分が追いかけてきたテーマを廃刊後も追っていた。彼女は、コロラド州で92年まで40年間操業していた核兵器製造施設から放射能が漏れ、がんなど健康被害を引き起こしている事実を掘り起こしてきた。ローラは取材結果を今もインターネットで発表している。8月1日の記事は「病気になった核施設の労働者は不当に補償を拒否された」問題についてだ。
http://coloradoindependent.com/author/laurafrank
しかし、彼女は一人で取材してネットで発表することに無力感も抱いている。新聞時代のように周りに支えてくれる人がいない。素晴らしい写真を撮ってくれるカメラマンも、アドバイスしてくれる上司もいない。

ローラはジャーナリズムの未来に強い危機感を抱いている。
廃刊に至らなくとも、いま新聞社から調査報道記者がどんどん解雇されている。調査報道は時間もかかるし経験も要る。裁判で訴えられる可能性もある。インターネットに追い詰められて経費カットを迫られる新聞社にとっては、シリアスな調査報道は高くつく邪魔者なのである。
(つづく)