被団協にノーベル平和賞

 節季が秋分から寒露になって、さすがに涼しくなってきた。

 初候が8日ごろから「鴻雁来(こうがん、きたる)」、次候は「菊花開(きくのはな、ひらく)」で13日ごろから。22日ごろからは末候「蟋蟀在戸(きりぎりす、とにあり)」。

 秋の日はつるべ落とし。日が暮れるのが早い。夜はそこかしこで秋の虫が鳴いている。

 

近くの稲刈り中の田んぼを通った

カカシの代わりなのか。しかしたくさんの雀がやってきて効き目はなさそうだ。

 日本被団協日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞に決まった。

 ノーベル委員会被団協を「核兵器が二度と使用されてはならないことを証言を通じて示してきた」と称賛した。

 被団協は広島や長崎で被爆した人たちの全国組織で、原爆投下から11年後の1956年に結成された。54年にはマグロ漁船、「第五福竜丸」の乗組員が、太平洋のビキニ環礁で行われたアメリカの水爆実験で被ばくし、原水爆禁止運動が高まりを見せていた。日本被団協は、それから68年間にわたり、被爆者の立場から核兵器廃絶を世界に訴える活動や被爆者の援護を国に求める運動を地道に続けてきた。その結果「ヒバクシャ」は国際語として定着し、核兵器禁止条約の成立へとつながっていった。

国連軍縮特別総会(1982年)でノーモアヒバクシャと訴える山口仙二代表委員。山口さんは14歳の時に長崎で被爆した。NHKニュース

 CNNは以下のように報じた。

《ノーベル委員会はノルウェーの首都オスロで今回の決定を発表。「いつの日か、広島と長崎の原爆を生き延びた歴史の証人がいなくなる時が来る」「だが、力強い記憶の文化と継続的な取り組みにより、日本では新しい世代が被爆体験や証言を継承している」と説明した。

 また、被団協が「核のダブー」の維持に貢献してきたことを称賛し、核のタブーは「人類の平和な未来の前提条件だ」と指摘した。

 ノーベル委員会は今回の決定について、80年近く戦争で核兵器が使用されていない心強い事実を浮き彫りにするものだとする一方、「核兵器の使用を禁じるタブーが圧力にさらされている」ことも認めた》

 核大国に「核兵器を使用するとまずいな」と使用をタブー視させる効果を持つという指摘にはなるほど、と思った。プーチンがひっきりなしに核使用の脅しをかけている現在、ちょうどいいタイミングでまっとうな団体に平和賞が贈られたのは喜ばしい。

プーチン大統領は「核兵器の使用にかんする基本原則」の変更を提案した。

 プーチン大統領は前月25日の国家安全保障会議で、核兵器使用に関するルール変更を検討していると述べ、核兵器保有国の支援を受ける核を持たない国から攻撃された場合、それは「共同の攻撃」と受け止めると表明したウクライナでの戦争における核兵器使用の可能性をあらためて示し、警告したとみられる。

 核兵器ドクトリン(基本原則)は、ロシア政府がどういう状況・条件で核兵器を使用するかという方針を示した政策文書。新しい核兵器ドクトリンでは、核兵器を使うシナリオには、首都モスクワへの通常兵器攻撃が含まれるとした。ロシアの主権に対する「緊急の脅威」とみなされる、ミサイルや航空機やドローン(無人機)を使った大規模なロシア領内への攻撃を察知した場合、ロシアは核兵器を使う「可能性」を検討するとも述べた。

 これはいまウクライナが欧米から供与された兵器を使ってロシア領内を攻撃できる許可を求めていることに対応するもの。プーチン大統領は、危機感から、核使用のハードルをどんどん下げて、今回は、核を持たない国にも核攻撃するぞ、と踏み込んだ。

 いま最も危険な言動を続けているのがロシアである。今回の授賞には、ロシアへの牽制という効果をも期待したい。

 また、日本被団協の平和賞受賞では、日本政府が核兵器禁止条約に後ろ向きであることがいっそうクローズアップされるべきだろう。

「本来なら、唯一の戦争被爆国として核兵器禁止条約に参加すべきだが、それもしない。さらには、アメリカの『核の傘』に頼り、『核共有』の議論まで起きている。日本政府は、言っていることとやっていることが違う」被爆者たちは批判し続けている。

 これを政府は何と聞く。

 なお、豆知識として、ノーベル賞はスウエーデンで選考、授与されるのだが、平和賞だけはノルウエー政府が授与する。これは、賞の創設者アルフレッド・ノーベルが、スウェーデンノルウェー両国の和解と平和を祈念して「平和賞」の授与はノルウェーで行うことにしたことによるという。

 平和国家のイメージのある北欧諸国にも隣国との深刻な不和があったことを物語っていて、興味深い。

 今回の日本被団協の受賞については、よくやった!と讃えたい。

 だが日本人でちょうど半世紀前の1974年にノーベル平和賞を受けた人がいた佐藤栄作元総理大臣である。これは大問題の受賞だった。

(つづく)