壁新聞を出した新聞社

takase222011-07-26

宮城県石巻市にある石巻日日(ひび)新聞社に行ってきた。
石巻市東松島市、女川町をカバーする地域紙で、震災直後、手書きの壁新聞を貼り出して住民に情報を発信したことで知られる。。
未曾有の震災は、創立99年の老舗の地域紙をも襲った。
社屋が浸水。印刷機が一部水没し、電気などインフラが破壊され、新聞が発行できない。
近江社長は、「紙とペンがあれば、やれるだろ」と、手書きの壁新聞を出すことを即断した。
毎日、社長自らが手書きする6部の壁新聞は、避難所、コンビニなどに6日間に亘って張り出され、電話も携帯も使えない被災者たちにむさぼるように読まれたという。
先週、このときの記録をまとめた『6枚の壁新聞』(角川SSC新書)が出た。
http://www.kadokawa.co.jp/book/bk_detail.php?pcd=201105000505

新人の横井記者は、津波で家が跡形もなく消え、家族と新聞社の社屋に避難、3週間にわたって寝泊りしながら取材し、記事を書いた。
熊谷記者は、取材から帰る途中に津波にのまれ、翌日漂流中にヘリに救助された。
記者自らがみな被災者なのである。
家族の安否も不明のなか、手書きの壁新聞を出し続けた活動を、米国の新聞博物館「ニュージアム」(ワシントンDC)が高く評価し、6日分の壁新聞のオリジナルは「歴史的新聞の永久コレクション」として展示している。
いまは印刷・配達体制を復旧したが、読者が被災し、地域経済が壊滅したため、読者も広告も激減し、危機は続いている。
まさに地域あっての地域紙。このどん底から地域が復興しなくては、日日新聞も存続できないのだ。
取材に使っていた個人の車が水没し、さらに経営難で減給になった。仮説入居を待っている人もいる。スタッフの苦労は私の想像を超えていた。
だが、みな生き生きとして仕事をしている。
武内報道部長によると、震災で、みな記者としても成長し、いい記事を書くようになったという。
きょうの一面トップは;「自衛隊運営の入浴施設 石巻市内6か所27日で撤収」だ。
自衛隊の活動終了に伴い、入浴施設がなくなるという。武内さん自身、自宅の風呂が使えないから利用している。「私も困る一人なんです」。
ほんとに身近で切実な問題だ。読者との距離が非常に近い。
武内さんはこう続けた。
支援が撤収し始めて、いよいよこれから自分たちで自立していかなくてはならないのです。私たちは、読者と「同じ目線」ではなく、半歩先に立って、地域の行く先を示して行きたいと思います。
テレビも新聞も元気がないと言われるなか、ジャーナリズムの原点に触れたように思った。厳しい時代だが、私たちもがんばらなくちゃ。
こういうのを「元気をもらう」というのだろうな。