イランはどうなる2

takase222009-06-22

通勤の途中、白い花が眼に入った。ヒルガオだった。アサガオは人に育てられるが、これは雑草。「コンクリート・ジャングルと化した町中でこの花に出会うと、何かほっとした思いがする」と柳宗民氏は書いているが、そのとおりだ。
さて、19日、最高指導者ハメネイ師は「わが国の法体制では(選挙の)不正はあり得ない」としてアフマディネジャド大統領の再選を確定した。そして、改革派のデモを中止するよう求め「流血の事態になればデモの指導者たちがその責任を負うことになる」と警告した(毎日新聞)。
最後通牒である。これ以上やれば「体制」への反逆とみなされる。

翌20日、恐れていた事態が起きた。ムサビ氏は街頭デモの自制を訴えたようだが、それでも数千人が集り、これを治安当局は容赦なく弾圧した。死者は10人と国営放送は伝えたが、おそらくその人数にとどまらないだろう。
今後も、ありとあらゆる手段で、政府は運動の封じ込めにかかるはずだ。
e="font-size:xx-large;">状況はとりあえずは沈静化に向かうだろうと思う。

こう判断した一つの理由は、運動を指揮するムサビ氏という人物が「反体制」にはなりえないと思ったからだ。
ムサビ氏は、79年のイラン革命の後、81〜89年には首相として革命体制を中枢で支えた。当時の大統領が今の最高指導者ハメネイ師。つまり、イランは、ホメイニ最高指導者―ハメネイ大統領―ムサビ首相の政府でイラクとの苦しい戦争(80〜88年)を戦い抜いたのである。ハメネイ師とは個人的な確執があったが、ホメイニ師の信任は厚かったという。つまりムサビ氏は「体制派」そのものなのである。民衆騒動が体制破壊に向かうことを彼は避けるだろうと思った。

もう一つは、街頭に出ている改革派はばらばらの個人で、まったく組織化されていない。まとまった勢力がバックについているわけでもない。厳しい弾圧があれば、とりあえずは静かにするしかないと見た。また、貧しい地方でのアフマディネジャド支持は高く、今回の運動は極端に言えば、主に都市富裕層の不満を表したものとも言える。

イランの情勢をみながら、私は86年のフィリピン革命を思い出していた。
86年2月のフィリピン「黄色い革命」は、長く独裁を敷いたマルコス大統領を追放して平和的な政権移行を可能にした。ウクライナオレンジ革命など、シンボルカラーで街頭に繰り出す「カラー革命」の嚆矢である。
これが成功した理由を並べるとこうなる。
1.独裁反対を掲げる組織があり、労組や政党もそれなりの力を持っていた。マルコス大統領への拒否感は都市だけでなく田舎にも浸透していた。
2.精神的影響力のあるカトリック教会が反政府側に肩入れした。
3.国軍内のトップが離反し、大多数の将校がマルコスに背を向けた。
宗教や軍隊までがいわゆる「革命」側についたのである。
テヘランの街頭に繰り出す大群衆を見ると、明日にも革命が起きそうに思えるが、今の力関係を冷静に見ると、改革派はあまりに弱い。今すぐの政変、革命といった大変化はなさそうに思う。
しかし、事態が当面は沈静化したとしても、中長期的にはイラン革命体制が変質または崩壊していく傾向がはっきり現れている。あえて言えば、今回の事態は、イラン革命体制終焉の最初の一突きになるかもしれない。
それは、体制内部に深刻な亀裂があり、どんどん広がっているからだ。
(つづく)