覚りへの道16-超越欲求3

takase222009-05-04

東京ではちょうど今、ヒメツルソバのピンクの花がさかりだ。荒れた土地でもどんどん増えていくこの草、ヒマラヤ原産と聞くと、可憐ななかに根性を感じる。
マズローは、近代心理学は病人の研究ばかりしていると批判し、それとは逆に「非常に優秀な人びと、最も健康的な人びと、見つけだせる限り人間の範たる人びとを取りあげ」て研究した。そこで彼は一つの特徴を見出した。
「彼らはめいめい、神秘的体験、大いなる畏怖の瞬間、とても強烈な幸福感、歓喜、恍惚、至福すら感じる瞬間を体験した」ことにマズローは気づいた。
マズローは衝撃を受けた。「神秘体験」については、幻覚やヒステリーなど「確実に病理学的なものであると」考え、「多くの科学者と同様に、それらを不信の念で鼻であしらい、すべてをノンセンスであると考えてきた」からだった。ところが、いま彼に神秘体験を証言しているのは、最も「健康的」な尊敬すべき人びとなのだ。
これを「至高体験」(peak experience)と呼ぶことにして、この体験を人びとはこう表現したという。
「このような瞬間は純粋であり、積極的な幸福感に満ちている。あらゆる疑惑、恐怖、禁忌、緊張、弱さが追い払われる。今や自己意識は失われる。世界との分離感や距離感は消滅し、同時に彼らは世界と一体であると感じ、世界に融合し、まさに世界に属し、世界の外側にあるのではなく、世界の内側に見入る」
「彼らはまさに究極の真理、事物の本質、人生の秘密を、ベールが剥がされたかのように知った」
これは、具体的に見ていくと、禅でいうところの覚り体験と全く同じとは言えないようだが、「世界と一体であると感じ、世界に融合し」という表現は、明らかに日常を突き抜けた地点にあることを示している。
こうした晩年の研究により、マズローは、欲求を高度化させて、人間としてどんどん充実した生き方を追及していくと、最後は「自己超越」へと向かうようになると考えるようになった。
このマズローの理論の意味について、岡野守也氏はこうまとめている。
マズローの仮説は、東西をとわずこれまでの宗教の修行に見られた、自己否定・欲望の否定から自己超越へという、そうとうに無理があり少数のエリートにしか歩めない道ではなく、自己肯定・欲求の充足から自己治癒―自己実現―自己超越という、すべての人に開かれた自然な道の可能性を示している。それは、歪んだ欲望=神経症的欲求の肯定でもなく、自然な欲求の否定でもない、健全な欲求の充足による健全な成長の極致としての目覚めへという、きわめて妥当な道がありうることを示して」いる。
これはすごい!希望がわいてきた!
(つづく)
(参考:岡野守也トランスパーソナル心理学』/コリン・ウィルソン至高体験』)