覚りへの道15-超越欲求2

takase222009-05-03

雑草シリーズ、きょうはタツナミソウ(立浪草)。
15センチくらいの小さな草で、花が縦にそろって同じ方を向いている。それが立ち上がる波頭に似ているのでこういう名になったそうだ。原産地はシベリア。きれいな花なので、はじめは園芸種として持ち込まれたのだろうか。花言葉は「命捧げます」。花言葉って誰が作るんだろう。

さて、マズローである。
親しくしていた学者の中に、『菊と刀』の文化人類学者ベネディクトがいて、彼女の勧めでマズローはカナダ先住民をフィールドワークした。そのおよそ800人の先住民グループはとても平和的で、15年間でなぐりあいまでになったケンカはたった5回だった。
マズローは、人間の破壊性や残虐性は決して本能的なものではなく、基本的欲求が疎外されたりすることから起こる二次的なものだと考えるようになる。
つまり、人間はそれぞれの段階の欲求をきちんと満たして階層を上がっていくのが望ましく、逆にそれが妨げられると心の健康によくないということになるようだ。
子どものころ基本的な諸欲求をかなえられなかった人が、後に異様に吝嗇になったり、うまく他人と付き合えなかったり、いろんな歪みが出る場合があるという。
欲求が階層的になっているという構造は、個々人の生き方にかぎらず、ある国家、社会、集団にも適応できると思う。常に飢えに悩み、戦火で命の危険にさらされている人々は、高次の欲求へと進んでいけない。戦争をやめさせ、貧困をなくし、民主的な社会の仕組みを作ることは、本来的な人間の成長という観点からも求められるのである。
はじめマズローは、ピラミッドの上の方に「承認の欲求」(世の中から認められ自尊心を持つこと)そしてその上に「自己実現の欲求」を置き、ここがいわば最終段階だと考えていた。
自己実現の欲求」(The need for self-actualization.)とはこうだ。
「たとえ、これら(その前段階の四つ)の欲求がすべて満たされたとしても、自分らしいことをしていないと、新たな不満や不安がすぐに出てくることが予想される。究極の幸福を求めるなら、音楽家は音楽を作らなくてはならならず、アーティストは絵を描かなくてはならず、詩人は詩を書かなくてはならない。成りうるものに成らなくてはならないのだ。この欲求を自己実現と呼ぶことができよう」 (高世訳)
例えば、財産も名誉も得たけれど満足できないというケースを考えると理解しやすいのではないか。「自己実現」とは、自分が持つ可能性を最大限に実現し、自分だけにしかできない生き方をするということだろう。
自己実現」の人生とは羨ましい、もう、普通はこれで人生最高だろうと思う。しかしマズローは晩年、そこが最終の到達点ではないと考えるようになった。では、その次に来るのは何か。それは「自己超越」だという。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%87%AA%E5%B7%B1%E5%AE%9F%E7%8F%BE%E7%90%86%E8%AB%96
(つづく)