プーチン王朝誕生の闇5

プーチン政権の特務機関にまつわる疑惑は数多いが、国内ではほとんどもみ消されるのに対して、外国で起きた事件では、リトビネンコ事件のように、司法当局が動くことで表面化するケースもある。

独立したチェチェン共和国の第二代大統領だったゼリムハン・ヤンダルビエフは、04年2月13日、中東のカタールの首都ドーハで、車に仕掛けられた爆弾により13歳の息子とともに暗殺された。
直前の2月6日朝、モスクワ中心部の地下鉄で爆発事件があった。ラッシュ時だったため、多数の死傷者が出る大惨事となった。
プーチン大統領はすぐにチェチェンの仕業だと断定し、「われわれはテロリストとは交渉しない」と言った。その1週間後にヤンダルビエフは爆殺されている。
2月19日、カタール当局が突き止めた犯人はロシア人だった。3人を拘束、うち2人は終身刑を言い渡された。ロシア特務機関の工作員だった。
その後、カタール政府は、ロシア政府の身柄引渡要求に応じ、同年12月、2人はロシア政府専用機でロシアへと帰国した。終身刑をロシアの刑務所で受けさせるという条件だったはずだが、すぐに自由の身になったらしい。翌05年2月、帰国した2人について聞かれた連邦刑務所庁のユーリー・カリーニン長官は、「所在は不明だ」と答えている。
ロシアは、海外にまで暗殺の手を伸ばしているのである。これでは、亡命ロシア人たちもめったなことを言えない。
はじめはロシアの対チェチェン戦争に対して批判していたアメリカは、9.11以降、プーチン大統領が「テロとの戦い」と正当化しだすと批判をやめた。
英国はリトビネンコ事件でロシアとの外交関係が緊張したが、人権侵害には厳しいはずのヨーロッパ諸国もロシアには比較的おとなしい。将来ともロシアから莫大な量の天然ガスの供給を受けざるをえないという事情がある。
いまや、やり放題に見えるロシア。その強権支配のどこにほころびが出てくるのか、今後も見守っていきたい。