旧知の人たちに励まされた日

このところ、トラブルで気の塞ぐことが多かった。食欲が落ちて気力も萎えていた。
 そこに高校同期生から、飯嶋和一君が4年ぶりに新作を出したとの知らせが来た。歴史小説家で、『汝ふたたび故郷へ帰れず』、『雷電本記』、『神無き月十番目の夜』、『黄金屏風』などの作品がある。
 飯嶋君の計らいで、ちょうどきょう出版社から会社に本が送られてきた。『出星前夜』(小学館)という題で、帯には、「歴史小説の巨人、四年ぶりの最新作。充実の千二百枚!」とある。「歴史小説の巨人」とはすごい!
 クラスが違ったこともあって、私は、数年前、同期生の酒席で同席するまで、彼が小説を書いていることを知らなかった。80年代に現代小説新人賞と文藝賞を受賞したが、その後は文学関係の賞を自分から断るので有名だったらしい。「何でおまえは賞をもらわないんだ」と誰かが聞くと、飯嶋君は、「賞をもらうとよ、受賞第一作を書けとか、どの出版社から出せとか、うるさくてよう」と訛り丸出しで飄々と笑った。教師をやめ、塾で教えながら小説を書いていると言っていた。妥協しない作品づくりで、数年に一冊しか出さない寡作ぶりが、オリンピック作家などというあだ名を生んでいるらしい。
 その飲み会のあと、すぐに本屋で『始祖鳥記』という本を求めて読んだが、読み始めると、ぐいぐいとすごい力で本の世界に引き込まれるのを感じた。見事なストーリー展開に加えて、綿密な歴史考証にもとづくリアリティが素晴らしい。第一級の歴史小説だと感心させられた。
 毎日新聞のきのう(1日)夕刊がこの本を紹介している。公園で空を見上げる飯嶋君の大きな写真つきだ。記事に彼のこんな言葉が載っている。
 「学校でも企業でも、自らのシステムを守るために都合の悪いことを隠ぺいし、他に責任転嫁する。じゃあ、個人はどこにいるんだろう。非人間的な社会システムは今に始まったことではなく、昔からあった。ぼくの小説を書く動機になっているのは、こうした違和感なのかもしれない」
社会システムへの違和感という、きわめて現代的な問題意識を持って、彼が歴史小説を書いているとは、意外だった。
 毎日の記事を読み終えて、今朝の産経新聞の朝刊に目を転じると、また高校の同期生を見つけた。一面に東谷暁(ひがしたに さとし)君の「気になる五輪後の中国経済」という記事が、顔写真入りで載っている。東谷君は、活躍中の保守派の論客だ。調査の幅、深さが並でなく、いつも感心させられる。雑誌『諸君』に連載している書評もいい。
 私は高校の時、一年休学してアメリカに行ったので、同期生が2学年いて、東谷君は下のほうの同期生だ。記事では、北京五輪後、相当の景気後退があると予想しながら、中国崩壊論が喧しいが、中国の経済バブル「崩壊」と中国の体制そのものの「崩壊」を混同すべきではないと書く。そして、ソ連が崩壊してもロシアが専制国家として存続していることを挙げ、「たとえ中国に『崩壊』や『分裂』があったとしても、私たちはこの地域と永遠に対峙しなくてはならない」と冷静に結んでいる。
 みんな、がんばっているなあ。
 ちょっと励まされた気分で家に帰ると、佐賀県の山内さんから九州の名水が届いていた。91年4月、ドキュメンタリー取材中、アフリカのナミブ砂漠で事故で亡くなったカメラマン山内孝治君のご両親だ。
 山内君は28歳の若さだった。私は彼とともに、ボルネオ原生林のなかにプナン族を探し、サハリンの残留日本人を訪ね、放射能検知器がピコピコ鳴る恐怖感のなかチェルノブイリの事故原発を取材した。濃密な時間を共にした彼の遺骸に向かって、私はどんなにつらくとも君の分も生きなければと思った。
 私たちは、亡くな
った人を思うことで勇気づけられることもある。
 何かシンクロニシティを感じさせる一日だった。