変化する日本の倫理2

2002年10月、北朝鮮から拉致被害者5人が帰国したとき、彼らは2週間ほどで北朝鮮に戻る予定でいた。北朝鮮に子どもを置いてきていたこともあって、その意思は固く、蓮池家では家族と激しい言い合いになった。帰国6日目の夜、蓮池薫さんの親友の丸田さんが薫さんの説得にあたった。
丸田さんは、「俺は親父、お袋が生きている間は女房、子供よりは親を大事にする。お前もそうあるべきだ」と言って迫ったという。(蓮池透『奪還』新潮社)
蓮池さんたちは私より若いのに、けっこう古風だなと思ったことを覚えている。
日本では、親孝行は、家制度や儒教的道徳が基礎になっていた。これは明治期、急速な近代化と衝突する。その典型が「民法典論争」だ。
近代的法制の整備のため、明治政府は、フランスから招聘したボアソナードが起草した民法典を制定した。ところが、フランス法を手本にした平等主義的なこの民法典に反対の声が興った。「民法出て忠孝滅ぶ」という有名な論文を穂積八束が発表、3年にわたる大論争が繰り広げられた。結局ボアソナード民法は不採用となり、プロイセン(ドイツ)法をベースに、家督相続など家制度に合致する諸規定を入れた民法典が作られた。
「家制度」は「家族制度」とは全く別物で、戸主が祖霊を祀り、長男に家督を譲っていくことでその「家」を守っていくというものだ。ここから、「子無きは去る」という理屈で妻を離縁するなどということも許された。
近代化をくぐって保持された「家制度」は、敗戦で大きく崩れていく。天皇イデオロギーを支えるバックボーンになったとして、批判され続けてきた。そのためか、私も「家制度」は窮屈でバカバカしいものだというイメージを持っている。親孝行という言葉にも、古臭い、時代遅れの印象がつきまとう。
たぶん、いまの日本で特に若い人たちに一番支持されている意見は、「子どもの幸せを親は望んでいるはずだ、だから子どもの私がやりたいことをやることが一番の親孝行なんだ」というものではないか。一人よがりの理屈であるが、実は私もそう思っていた。
こうした倫理観の変化は、古い・新しいで片付けられるのだろうか。昔のものはダサいと済ませてよいのだろうか。いや、そうではなさそうだ。
(つづく)