木枯らしに逝った棋士

takase222007-12-22

きのう、朝日新聞で女優の冨士眞奈美の連載エッセイを読んでいたら、「11月24日に急逝した畏友真部一男九段」云々とあった。知らなかったので、びっくりした。私はかつて真部のファンで、強烈な想い出もある。
真部一男といえば、若いころ「将棋界のプリンス」と呼ばれた美男子で、将棋も強かった。テレビの「銭形平次」に、江戸時代の天才棋士天野宗歩役で出たのを今も覚えている。さっき調べたら、「第521話 平次一番勝負」というタイトルだった。将棋を知らない平次がある将棋指しと対戦しなければならなくなった。天野宗歩が立会い人として同席、扇子の動きで次の手を平次に教えて勝ちに導くというストーリー。対戦前、平次に宗歩役の真部が駒の動かし方くらいは慣れておきなさいと教えるシーンがある。普通に親指と人差し指で駒をつまむと素人とばれてしまう。真部が手本を見せる。駒を人差し指と中指の間に挟み、「ほれ、このように」と言いながら盤にピシリと美しく打ち付けた。その場面は目に焼きついている。
将棋が好きだった私は、大学在学中、ある将棋大会に出たことがある。まだ地方予選だったのだが、私はいきなり金子タカシというとんでもない相手と対戦することになった。当時、金子さんは中学生だったと思う。天才子ども棋士として、アマチュア将棋界で名前が知られ始めていた。後に東大将棋部の主将になった全国トップレベルのアマチュア棋士である。びびったが、負けてもともとと気を取り直して指し始めた。金子さんに石田流三間飛車に組まれ、序盤から圧倒され始めた。追い詰められて私が指した一手に、相手が変な顔をした。何かおかしなことをしたのかな、と思っていたら、上から声がした。
「それ、二歩だよ」。
振り向くと、そこにはなんと真部一男が笑いながら立っていた。その大会の立会人が真部さんで、会場を回っていたのだった。
「二歩」という、まるできのう将棋を覚えたばかりの子どものようなミス。あまりの恥ずかしさに顔が赤くなるのが自分でもわかった。
真部さんは、若手棋士として脚光を浴び始めたころで、まだ5段くらいだったと思う。連戦連勝で破竹の勢いだった。ちょっと無頼な雰囲気も漂い、かっこよかった。歳が近いこともあって私はファンになった。
真部さんはとても強いのだが、もう一歩でタイトル戦には出られない。いつも「もうちょっと」というところがファンをやきもきさせた。相撲の若嶋津貴乃花に共通するものがあるかもしれない。草柳大蔵の娘と結婚したが離婚し、喪主は妹の土佐絹代さん(土佐浩司7段の妻)だった。
最後に指した将棋は10月30日、真部八段(死後九段となる)がわずか34手で投了した。(画像が投了図、6七銀引まで)
http://blog.livedoor.jp/masa51501/archives/51252934.html
まだ駒組みが始まったばかりだ。投了された相手の豊島四段もさぞ面食らっただろう。真部さんは亡くなる直前、あの将棋は自分が勝っていたと言ったそうだ。彼らしい謎めいた絶局である。

冨士眞奈美真部一男を追悼した一句はこうだ。
  木枯しに連れてゆかれし美男棋士