人生、余命が少なくなると、子どもに何を残せるかを考えるようになる。私もそうである。
「寝る前には歯を磨くように」、「嘘をつかないこと」、「何事も一所懸命にやりなさい」・・・。
我々が子どもたちにこんなことを言い聞かせるのは、彼らが健康で、周りと摩擦を起こさずに暮し、できれば成功してほしいからだろう。大きく言えば「世渡りの知恵」を親は子どもに教え、贈ろうとする。
もちろん、「世渡りの知恵」は非常に大切だと思う。そのことは認めたうえで、もっと本質的なところで、子どもに何かを教え、心に残したいとも思う。実は私は、ある「贈り物」を娘にあげたいと考えている。それは、自分が「さわやかに」死んでいくさまを見せることだ。
死に向かいながら、なぜ勉強しなくてはいけないの?という問いではなく、なぜ人は生き、死んでいくのかについて娘と話しあいたい。
そして死後、
「父が死んだことは悲しいけれど、死ぬって怖いことじゃなく、自然なことらしい。この私も、せいいっぱい生きたあとは、こうして父のように納得して死んでいけばいいんだな・・・」
娘にそう思ってほしいのである。
自分の死を使っての究極の贈り物・・・。大それた夢である。
かみさんは、「また、バカなことを考えて」と相手にしてくれないが、私はけっこう本気である。