なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(10)

 8日、国会で、このブログの連載テーマに関する興味深いやりとりがあった。

 参議院の「北朝鮮による拉致問題に関する特別委員会」でのこと。

8日の拉致問題に関する特別委員会

参議院インターネット審議中継 (sangiin.go.jp)


 この日は、北朝鮮による拉致被害者家族会」(家族会)の飯塚耕一郎事務局長と、「特定失踪者家族会」の竹下珠路事務局長参考人に招かれた。

 飯塚耕一郎さんは、拉致被害者田口八重子さんの長男で、八重子さんは耕一郎さんが1歳のときに拉致されたままだ。

 竹下珠路さんは特定失踪者、古川了子(のりこ)さんの姉だ。

飯塚参考人

 まず飯塚さんが冒頭、「私自身の考えも交え、北朝鮮拉致問題についての考えを述べさせていただきたいと思います」と4点を指摘した。

「まず一点目。我々家族会は、全ての拉致被害者の即時一括帰国を掲げています。これを変えることはありません。変えるつもりもありません。

 事件が発生して30年、40年の長い時間が経ってしまったいま、我々には時間がないのです。一部の被害者だけ返してもらい、段階的にやる方が現実的ではないかというコメントもありますが、そのような考えには賛同致しかねます。」「我々家族に遺された人生の時間は短く、悠長に時間をかけていられません。」

二点目。再調査の実施、連絡事務所の設置は受け付けられません。

 「北朝鮮当局は24時間厳重監視のもとに誰がどこでいつ何をしているかという拉致被害者の状況を完全に把握しています。」

 「三点目。核ミサイル問題と拉致問題は切り離して考えていただきたいと思っております。」

 「この切り離しの考えについては、私から岸田総理、エマニュエル駐日米国大使およびバイデン大統領にも申し上げております。」

 「四点目。新たな手法を検討いただきたいと思っております。現在国際制裁および日本独自の制裁をかけてプレッシャーをかけているという形をとっています。」

 「さらなるカードを作るべきことを検討しています。北朝鮮との交渉に圧力は必ずあるべきです。」


 本ブログを読んだ方は、拉致被害者家族会がこういう方針になっている背景を理解されるだろうが、飯塚さんが頑なに、全ての拉致被害者の即時一括帰国以外は受け入れられないと語るのを見るのはつらかった。痛々しかった。

 「家族会」という互助会が、ここまで具体的な政策的注文をつけ、要人に要請まですることに疑問を持つ人は私だけではない。

 「救う会」が、自らの政治活動に「家族会」を巻き込み、「家族会」の名で発信された方針を政治家がその通りですと「承る」という構図がずっと続いている。

 特別委員会のある議員が、二人の参考人に「きょうはいろいろご指導いただきましてありがとうございました」と言ったが、これはただの社交辞令というよりは、自分は忠実にその方針に従いますというアピールだろう。

 だが、その方針では何も動かない。すると「悠長に時間をかけていられ」ないので、即時一括解決の強行策にいっそう傾くという悪循環になっていく。

 横田滋さんは、運動を引き回す「救う会」のあり方にも批判的だったが、もっとも強い怒りを持っていたのは、うわべは「家族会」に寄り添うように見せかけて、何も具体的な動きを見せない政治家とくに政府に対してだった。

 先日紹介した『新潟日報』のコラムが指摘するように、家族の訴えに「政府が表面的に同調することで、『頑張っている感』を演出し、リスクを伴う行動を先送りしている」のだ。「政治の真価は昔も今も行動と結果である」ともコラムは書いていた。

 特別委員会では、「全員の即時一括帰国」の方針が、拉致問題の進展に有害な役割を果たすことがはっきりと示された。

 有田芳生委員の質問

「例えば、北朝鮮が「8人死亡」の中でお一人が生存しているという伝達を仮にしてきた場合、それでも「全被害者の即時一括帰国」というのを求めていかれるんでしょうか。」

 飯塚参考人の答え。

「はい、その認識で結構です」

 必ず「全員」が同時に一括で帰国する。それ以外はすべて拒否するというのだ。

 さらに、有田委員は田中実さんの生存が日本政府に伝達されたことに触れた。

「結婚相手は日本人の可能性がある。そして息子さんのお名前はどうも『カズオ』というらしいんですけれど、(政府が)田中さんに会って、いろいろな情報を得てくるのもありうると思うのですが、そういうことは必要ないというお考えですか」

 飯塚さんは一言、「我々家族会は、即時一括帰国を求めています」とだけ答えた。必要ない、つまり2014年に北朝鮮が生存を伝達して以来、すでに8年も見捨て置かれてきた田中実さんを、このまま放置しておけというのだ。

 養護施設で育った田中さんには「家族会」に参加する身よりはいない。しかし、田中さんには帰国を待ち望む友人たちがいる。 

 何より田中さん本人の人生をどう考えているのか。救出を待っている同じ拉致被害者ではないか。拉致被害者全員の一括帰国が叶うまでそのままでいろと言うのでは、いったい何のための「家族会」なのか。存在意義が問われるだろう。

 北朝鮮からの伝達によれば、田中実さんは日本に帰国する意思はないという。

 しかし、思い出してほしい。

 帰国した5人の拉致被害者も、はじめは日本に帰るつもりはないと言わされていたことを。

 また、曽我ひとみさんの夫のジェンキンスさんも、2度目の小泉総理の訪朝の際、面会した総理に対して北朝鮮を出る気はないと言っていた。

「約1時間、ジェンキンス氏と曽我さんのお嬢さんお2人と一緒にお話ししました。しかしながら、ジェンキンス氏は、どうしても今の時点で日本に行くことはできない。」(小泉純一郎総理、首脳会談後の会見での言葉、04年5月22日)

 ジェンキンスさんは、あの時それ以外の答えはあり得なかったと後で述懐していた。北朝鮮で生き抜くためには、自分が思った通りのことは言えないのだ。

 それに、田中さんの妻が日本人だとすると、その人は拉致被害者の可能性がある。

 一刻も早く事実を知るための行動を起こすべきだろう。

 人道、人権にかかわるこの深刻な問題を、被害者全員の「即時一括帰国」の方針はスルーしてしまうのだ。

 この特別委員会で興味深かったのは、拉致被害者家族会と特定失踪者家族会(69家族が参加)の考え方が異なっていたことだ。

(つづく)

なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(9)

 最近、近所の人ともっと知り合いになろうと思い、地域のシニア・カラオケ会に月に一度くらい参加している。

 時事ネタにひっかけた歌を唄おうと思って探したら、中島みゆきの「離卿の歌」に眼がとまった。歌詞がウクライナの避難民を連想させるのだ。

♪離れざるをえず離れた者たち  残さざるをえず残した者たち
♪汚れざるをえず汚れた者たち  埋もれざるをえず埋もれた者たち

www.bing.com

 嘆きのなか希望も感じさせるいい歌だな、と気に入り、5月末のカラオケ会ではこれを唄った。

 中島みゆきといえば、横田さん一家が新潟から東京に転勤して住んだ世田谷区代田の社宅のすぐそばに事務所兼自宅があったという。早紀江さんは、中島みゆきのお母さんと犬の散歩のとき言葉を交わしたりしたそうだ。

 横田家はめぐみさんがいなくなったあと犬を飼い、「リリー」と名付けた。中島みゆきの家の犬も横田家と同じシェトランドシープドッグで名は「あずき」。ただ、ともにメスで犬同士はあまり仲は良くなかったとか。

 きのう6月5日は、横田滋さんの命日だった。

 拉致問題をもっとも熱心に報じてきた新聞のひとつ新潟日報』のコラム「多面鏡」は、滋さんの命日にあたり、政府が「全拉致被害者の即時一括帰国」を口実に外交交渉を放棄してはならないと主張している。

政治が「即時一括帰国」の声を採用するふりをすることで、タフな外交交渉などの努力をしない言い訳にしているとしたら、怖い。

 不愉快な交渉も全否定せず、一人また一人と帰国させつつ全員帰国につなげていくことも、政治の役割なのではないか。

 5日はめぐみさんの父滋さんの命日。政府には、地道な行動を重ねてほしい
新潟日報 6月5日付)

 これは、拉致問題に関心を寄せるほとんどの人が賛同する意見だと思うが、どうだろうか。

 さて、前回の続き。

 救う会」とその取り巻きが、横田夫妻とウンギョンさんとの面会時の写真が公開されたことを激しく攻撃したのには、二つの理由があった。

 一つには、彼らが横田夫妻と孫のウンギョンさんの面会自体を歓迎しておらず、むしろ「運動」を阻害するものとみなしていたことだ。横田夫妻が楽しそうに微笑む写真が出ることは彼らにとって政治的に̠マイナスなのである。

 北朝鮮側が拉致被害者救出運動のシンボル的存在である横田夫妻を「懐柔」しようと狙っていることは確かだろう。ただ、これは当たり前のことで、どの国も自らの利害にもとづいて画策し行動する。外交とは、互いにそれを利用しながら妥協点をはかっていく作業である。

 そして「懐柔」されるかどうかはこちら次第だ。現に横田夫妻はウンギョンさんと面会したあとも拉致被害者の救出を訴え続け、活動を「おしまい」にしていない。

 逆に、この面会は、日朝間の接触を促すことで、拉致問題の進展の可能性を開いたのだった。

 横田夫妻は、ウンギョンさんとの家族写真の公開に反対していなかったばかりか、むしろ多くの人に見てほしいと思っていたのである。

 滋さんの命日の昨日から、新潟市を走るバスに、拉致問題啓発のための写真が展示されはじめたが、その中には、横田夫妻がウンギョンさんの娘と一緒に満面の笑みで映る写真も含まれている。

www3.nhk.or.jp

 

横田夫妻がウンギョンさんの娘を抱いて微笑むモンゴルでの家族面会時の写真も展示されている(NHKニュース)


 多くの人の目に触れるバスへの写真の展示を、早紀江さんが喜んで了解していることは言うまでもない。なお川崎市を走るバスにも、これらの写真が展示されている。

 2016年の『週刊文春』でのモンゴルでの家族写真の掲載に、横田夫妻が反対したはずがないのである。反対だったのは「救う会」とその取り巻きだけなのだ。

 写真公開に激怒したもう一つの理由は、「救う会」に断りなしに拉致問題が動くことは許さないという独占欲であろう。まして「救う会」の完全統制下にあるはずの「家族会」のメンバー、とりわけその中心にいる横田夫妻に「よそ者」が接近するのは不届き千万、というわけだ。

 縄張りを荒らされたヤクザ組織の心境か。

 「救う会」が意見の異なる人々や団体を除名するなどして異分子を粛清し、硬直した組織になってきたことはすでに記した。集会は「うちわ」だけで盛り上がる右翼の政治集会の観を呈している。この状況に内心不満をもつ被害者家族もいたが「独裁体制」のもと、恐怖で黙っているしかない。「救う会」の運動は末期的な症状を見せている。

 横田滋さんは生前、親しい人の間では、「「救う会」の今のやり方では何も進まなくなる」と現状への危機感を隠さなかった。

 私が拉致被害者救出運動について問題提起をしているのも、横田滋さんの遺志を尊重してのことである。

 しかし、横田滋さんがもっとも強く批判していたのは「救う会」ではなかった。
(つづく)

なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(8)

 きのうは、結果として大失敗に終わった安倍氏の対プーチンすり寄り外交(憲法改正で領土割譲の禁止条項まで入れられた)を揶揄したが、(残念ながら)国益優先で動かざるを得ない今の世界では、国際社会とは一線を画す独自外交自体はやるべきだと思っている。

 例えばの話、もし、首相が、4島返還などより拉致被害者救済がはるかに大事で喫緊の国益とみなし、自らの政治生命をかけると決意するならば、である。今のようなアメリカへの依存・追随はやめ、「悪いけど核・ミサイルは置いといて、日本は拉致優先でやらせてもらいます」と、制裁一辺倒路線から転換して平壌詣でをする・・・なんていうことも選択肢としてありうると思う。となれば、金正恩の誕生日に祝福の電話をかけて、世界の顰蹙をかったり、それこそ泥まみれになる覚悟で。(なお、この場合でも、制裁は交渉の手段として利用すべきだと思う)

 大前提として本人の「胆力」、先を見据えた「戦略」、知恵ある「側近」、綿密な「準備」が必要で、今の日本のリーダーにはすべてが欠けているから成功の見込みはないが。安倍氏の対ロ外交が失敗したように。
・・・・・・・・

 きのうは「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)の異様な内紛の顛末を紹介したが、「不満分子」一掃の粛清を指示した当の佐藤勝巳会長自身、このあと会を追われることになる

 クーデターもどきの暗闘で、あらたな「救う会」会長に就いたのは、佐藤勝巳氏に「現代コリア」時代から付き従っていた西岡力。子飼いの腹心に裏切られるというドラマのような展開である。

 佐藤勝巳氏は晩年、精神が錯乱したのかと思われる、全く根拠のない誹謗だらけの回想記を出版。これにはさすがに温厚な横田滋さんが怒って書面で抗議している。

http://news.onekoreanews.net/wys2/file_attach/2014/07/15/1405423018-42.pdf


 晩節を汚すとはこういうことをいうのだな、と感慨深い。

 さて、「救う会」のHPを見ていくと、「外交不要論」など世間の常識からは理解しがたい主張、発言が出てくるが、その一つが横田滋さん早紀江さん夫妻のウンギョンさんとの面会への反対あるいは無視、冷たい態度である。

 小泉訪朝の直後の2002年10月下旬、ウンギョンさんがめぐみさんの娘である、つまり横田夫妻の孫であることがDNA鑑定で確認された

2002年10月、15歳だったウンギョンさん(当時はヘギョンとされていた)朝日新聞より


 夫妻は会見で面会への期待を述べた。

《滋さんは記者会見し「99.999%、親子関係が存在するという鑑定結果が出た。これからは、めぐみの娘と呼ばせていただきます」と述べ、「ディズニーランドや京都、めぐみが小さいころに住んでいた品川や広島にも連れて行ってあげたい」と期待を膨らませた。(略)

 早紀江さんも「めぐみを捜して25年、いまだ姿は見えないが、同じ年代の元気そうな女の子がすくすく育っているということに、何ともいえない感動を覚えています」と述べ、「音楽が好きだと聞いているので、お母さんが好きだった曲を聞かせてあげたい」と話した。》
朝日新聞20年6月28日記事「「会いたい」提案は反対された 滋さんが抱く孫への思い」より)

www.asahi.com

 

ウンギョンさんが孫と確定したときの会見(朝日新聞より)

 

 その面会にストップをかけたのが「救う会」である。


 面会を阻止する理由は、夫妻がウンギョンさんに逢えば、「お母さん(めぐみさん)は亡くなりました」と言われて死亡を信じてしまい、拉致問題が「おしまい」になってしまうから。

 「救う会」と意見をともにする(ともにせざるをえない)「家族会」が強く反対するなか、夫妻は面会を断念する。(当時は「家族会」の「青年将校」と言われた蓮池透さんなどが激しい反対論をぶった)

 詳細ははしょるが、夫妻は面会をずっと我慢してきたけれど、孫と判明して11年もたった2013年秋、ついに行動にでる。安倍首相と岸田外相に「孫と逢いたい」と手紙を書いたのだ。むなしく時間だけが経ち、今を逃せばもう二度と会えないかもしれない。切羽詰まっての直訴だった。もちろん「救う会」「家族会」には内緒である。

 日本政府はこれに応え、翌14年3月、モンゴルでついにウンギョンさん一家との面会がかなったことはご承知のとおりだ。

 夫妻は、ウンギョンさんとその夫、そして夫妻のひ孫にあたるウンギョンさんの娘との水入らずの交流ができた。面会から戻って会見に臨む夫妻の表情を見た知人らは、あんなにうれしそうな笑顔を見たことがないと喜んだ。

この笑顔に多くの人が感動した

 では、「救う会」が懸念したように、孫との面会で拉致問題は「おしまい」になったのか?いや、面会の後も夫妻は拉致問題の解決を訴え、老骨に鞭打って各地での講演や会見を続けたのだった。

 しかも、モンゴルでの面会をセッティングするために日朝の外交担当者が接触を繰り返し、それが伏線となって面会の2か月後の5月には「ストックホルム合意」にいたる

 つまり一見拉致問題の解決には直結しない、夫妻と孫との面会という人道上の配慮が、外交的進展をもたらした。「人道」が外交を動かしたのである。

 横田夫妻のウンギョンさんとの面会と「ストックホルム合意」は、安倍内閣の成果として評価されなければならない。(ただ、安倍内閣はこの後、外交交渉路線から逃走してしまうのだが)

 この横田夫妻とウンギョンさん一家との面会について、「救う会」が示した反応は、驚くほど冷たいものだった。面会には反対だったうえ、カヤの外に置かれて腹の中は煮えくり返るようだったのではないか。

面会のあった2014年3月の「救う会」のHP

 

救う会全国協議会ニュース★☆(2014.03.16)
■横田さんご夫妻とウンギョンさんの面会に関する救う会会長コメント
西岡力
 横田滋さん、早紀江さんご夫妻がめぐみさんの娘ウンギョンさんらと面会して
いたことが明らかになった。横田早紀江さんは本日、午前に救う会会長西岡力
面会の様子について説明し、次のように語った。

「私たちは初めからすべての被害者救出のことしか考えておりません。今回の面
会もそのために行きました。そのことを北朝鮮側に言い続けています。面会後も
めぐみの生存への確信はまったく揺らいでいません。今後も全員救出のため戦い
続けます」
 それに対して西岡は「お孫さんにお会いになれたのはうれしくことです。ただ、
未だにめぐみさんを助け出せずにいるため、めぐみさんとウンギョンさんをいっ
しょに帰国させることができないのは残念です。今後も横田さんご夫妻をはじめ
とする家族会と力を合わせ、すべての被害者救出のためにともに戦います」と答
えた。(以上ママ)

 面会をともに喜ぶ雰囲気はなく、早紀江さんを呼び出して取り調べをしているようである。早紀江さんにはどんなにうれしかったかを語らせるのではなく、「戦い続けます」とまるで「救う会」への忠誠を誓わせるかのような発言をさせている。そして、「北朝鮮が人道的なふり」をすることの学習を呼び掛けている。

 やはり、孫との面会は気に入らないのだ。「救う会」に内緒で話を進めたことは言語道断。「家族会」は「救う会」の許可なく行動してはならないのだ。

 孫と判明してから11年もの長きにわたって面会をストップさせておいたことへの反省もない。夫妻がウンギョンさんと会えずに亡くなることがあっても構わないと思っていたのか。

 さて、面会から2年以上がたった16年6月、ある事件が起きた。

 参院議員の有田芳生さんが、横田夫妻のウンギョンさんとの面会時の写真を『週刊文春』に掲載し、夫妻から聞いた面会のエピソードを書いた。

 有田さんと夫妻が綿密に打ち合わせての記事と写真の掲載だった。これが「救う会」には内緒だったことが「救う会」の逆鱗に触れた。

 

 まず横田夫妻は発売前日「声明」(左)を発表した。

 この手書きの文面には写真掲載への「抗議」はない。「一昨年3月にモンゴル、ウランバートルで孫娘のウンギョン一家と対面した時のことは、私たちにとっては、とても嬉しい時間でしたが、もう2年以上の歳月が流れました。
その時の喜びを、ご支援下さった方々にも知って頂きたいと思っておりましたところ、詳細は分かりませんがウンギョン家族との面会の喜びの写真を公表する事に孫も同意してくれた様です。(略)」
と写真掲載をむしろ喜んでいる。

最初の声明。ここには抗議のニュアンスはまったくない

 ところが、である。
 次に別の声明が出た。

皆様へ
 この度の週刊文春に掲載の孫たちとの写真は、横田家から提出してお願いをし
たものではありません。
 有田氏が持参なさり、「掲載する写真はこれです」と出されたものです。
 私達は、孫との対面時、孫から写真を外に出さないでほしいと約束していまし
たので、横田家からは、何処へも、一枚も出しておりませんし、今後も出しませ
んので、よろしく御理解頂きます様お願い致します。
 全て、掲載や、文章、等全て、私共から依頼した事でなく、有田氏から寄せら
れた事をご理解頂きます様お願い致します。

6月8日 横田 滋 早紀江

 さらに2日後、また新たな「コメント」が横田夫妻から出された。

 この度の「週刊文春」に掲載されました孫ウンギョン達との対面の写真は、横
田家から提出してお願いしたものではありません。
 有田先生ご自身が持参なさり、「掲載する写真はこれです」と出されたもので
す。
 私達は、孫との対面時、孫から「出さないでほしい」と約束していましたので、
横田家からは何処へも、一枚も出しておりません。
 有田先生のお話では、あちらの方は了解していますとの事でしたので、当時か
ら、悲劇の中にもこの様な嬉しい日もある事を支援して下さった方々に公表した
いと思っていましたので、「写真を掲載して頂く事は異存ありません」とお伝え
しました。
 それは被害者家族の誰にも孫があり、この様に当り前の喜びを早く味わって頂
きたい、それには、この掲載によって国民の皆様に再度拉致問題の深刻さを思い
起こして頂きたい、孫と会えて良かったで終わる問題でなく、多くの罪無く囚わ
れている子供達を一刻も早く祖国に全員とり戻す事を真剣に政府にお願いし戦っ
て頂きたいと願うのみです。
 昨年9月の会見などでも繰り返しお話ししましたが、もう一度ここで誤解なき
ようにお伝えしたいことがあります。
 北朝鮮からウンギョンさんを日本に呼ぶという話が繰り返し出ていますが、私
たちにとってはびっくりするだけです。もしそう言われたとしても、そういう事
は致しません。
 私達が立ち上がったのは、子供達が国家犯罪で連れて行かれ、大事な子供達の
命が今なおどこにも見えず、偽遺骨が送られてきたり、いいかげんなカルテをも
らったりしたことを受けて、多くの国民の方に助けて頂いて、めぐみ達は生きて
いる、すべての被害者を救い出したいと思っているからです。
 これは、繰り返し申し上げていることであり、今回、孫の写真を独自ルートで
公開された有田先生と私達の考えは違っているという事をはっきりさせて頂きた
いと思います。

2016年6月10日
横田滋、早紀江

 後半の2回の声明(コメント)では「写真掲載は有田さんが勝手にやったことで、自分たちは関知していない」と事実と異なることを言わされている。夫妻名のコメントが立て続けに出され、有田さんへの抗議の度をより強めたものとなっていった。

 最後のコメントでは「有田先生」という夫妻が使ったことのない言葉が出てくる。誰かが作文して夫妻の名で出させたものだと推測する。

 「これじゃダメ、もっと強く抗議しましょう」。そう迫って夫妻に次の抗議声明を出させる・・・想像するだにおぞましい。歳老いた横田夫妻にこんなことを強いるとは「むごい」としか言いようがない。最後のコメントでは、今後のウンギョンさんとの再会も断りますと夫妻に言わせている。

 「救う会」のメンバーからは、有田芳生北朝鮮の回し者、スパイなどの悪罵が寄せられるようになる。これ以降、拉致被害者家族たちは有田さんに一切接触できなくなった。

 この異様な事態に私は黙っていられなくなり、有田さんにもことわらず独断で、本ブログでここにいたる顛末を連載で書いた。

takase.hatenablog.jp

 

 横田夫妻は、めぐみさんとの家族写真展を全国で開いていることでもわかるように、家族との楽しい写真を多くの人に見てもらって、拉致問題を考えてほしいという立場である。「救う会」の「統制」がなければ、ウンギョンさん一家との面会写真もよろこんで公開するはずだ。

 拉致問題の「仕切り」は「救う会」だけがやる、とくに「家族会」といううちのテリトリーに踏み込んでくるやつは承知しないぞ、とまるでやくざの論理だが、年老いた被害者家族に3回も声明を出させるとは、その脅迫のすさまじさたるや尋常なものではないことが分かる。

 当時の横田夫妻への驚くべき脅迫の実態は、今回は記さないが、いずれ全容が明かされることになろう。

 こうして「救う会」は「家族会」を完全にコントロール下におき、その「虎の威」を自由に利用するにいたっている。
(つづく)

なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(7)

 プーチンについて調べ物をしていると、安倍元首相に関するエピソードがたくさん出てくる。

 その一つに、2014年10月7日、プーチンの62歳の誕生日に安倍がプーチンにお祝いの電話をかけた逸話がある。
 この年の2月下旬にプーチンはロシア軍をクリミア半島に送り込んで「併合」しており、10月といえば、欧米各国を中心に対ロ制裁をかけていた時期だ。

 この日電話で祝福した外国首脳は、安倍以外では、カザフスタン大統領ナザルバエフ、ベラルーシ大統領ルカシェンコ、アゼルバイジャン大統領アリエフ、アルメニア大統領サルグシャンだけ。つまり旧ソ連圏の4カ国以外の現役首脳は安倍だけだ。

2時間半待ちぼうけを食わされても満面の笑みの安倍氏

 このことは当時、モスクワの外交関係者の間で大いに話題になったというが当然だ。

 ヨッ!さすが「外交の安倍」! ここまで熱い友情があるのなら、ぜひモスクワにプーチンを訪ねて、「ウラジミール、ウクライナから手を引かないと、君と僕との同じ未来は見えてこないよ」と説得してほしいな。

・・・・・・・

 私は「救う会」が「おかしく」なっていく節目は、2002年の小泉訪朝だったと思う。

 1997年に「破裂」した拉致問題が国民に浸透し、被害者救出が世論となり、ついに国家対国家の外交で解決する段階を迎えた。前回も指摘したが、ここにいたるまでの「救う会」の貢献は非常に大きかった。

 ただ、拉致問題のありようが根本的に変わったことは、「救う会」(そして「家族会」も)の存在理由にも変化をもたらすことになった。

 組織のさまざまな軋みや不祥事が噴出してくるのはこれ以降である。

 横田滋さんは08年に、運動の10年を振り返り、「救う会」についてこう語っている。

 確かに「運動のための運動」だという声を聞くことがあります。それから、初めのころから運動をしていた人というのは、みんないなくなってしまったんですよ。めぐみのことを最初に北朝鮮による拉致じゃないかと教えてくれた国会議員の秘書の方なんかでも、救う会経理について不透明な部分があると取り上げたことから、除名されてしまった。大阪や鹿児島、新潟などでも、除名されている。だから、そういうことに対して反発している人もいます。地方の救う会というのは、中央の下部組織ではないんです。みんな別々の組織で、それを共通の目的でやっているから、情報交換とかという意味で束ねている。
(『論座』(08年3月号)より)

 拉致問題に詳しくない人のために少し解説すると、「救う会」(全国協議会)の幹部は「現代コリア研究所」のスタッフで、研究所所長の佐藤勝巳氏が、「救う会」の初代会長になった。

 初期はこの二つの組織は事実上一体だった。私自身、「現代コリア」によく出入りしていたので知っているが、当時はみな手弁当で、「救う会」の活動が「現代コリア」の業務や財務を逼迫させていたほどだ。

《「運動のための運動」だという声》

―「救う会」は拉致被害者を救うことが目的なのか、それとも北朝鮮を批判することが目的なのかわからないという声のこと。
 「外交なんかいらない」というのだから、常識ある人が首を傾げるのは当たり前だろう。

《初めのころから運動をしていた人は、みんないなくなってしまった》

―1997年の拉致被害者救出運動を立ち上げた功労者たちが、ことごとく排除されたり、自ら去ったりしたことは、被害者家族たちからも疑問の声がでた。家族たちにとってはもっとも信頼できる人々だったからだ。

 「いなくなった」中には「救う会」の副会長だった黒坂真さん大阪経済大学教授)もいた。

《めぐみのことを北朝鮮による拉致じゃないかと教えてくれた国会議員の秘書の方》

―前回紹介した兵本達吉さん共産党議員秘書)。横田滋さんを探し出してめぐみさんが北朝鮮にいる可能性があると最初に告げた人。家族会結成に尽力した。

兵本達吉さん。今年1月撮影(産経新聞より)

救う会経理について不透明な部分があると取り上げたことから、除名されてしまった》

救う会」会長の佐藤勝巳氏によるいわゆる「1000万円横領疑惑」兵本さんと小島晴則さん(前回紹介した、新潟で最初の拉致被害者救出運動をはじめた草分け)が刑事告発した。

 その後、この2人は「救う会」から排除された。新潟の小島晴則さんは「救う会全国協議会」の会長代行(佐藤氏につぐナンバー2)だったが、辞任を強いられた。

 この騒動に、「めぐみさん目撃」証言をした安明進も巻き込まれたことは大変残念だった。
(この「横領疑惑」については、Wikipediaの「北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会」に「問題点」として記されている)

《大阪や鹿児島、新潟などでも、除名されている》

―中央(全国協議会)は金銭疑惑を追及したり、方針を批判したりする地方の組織や個人を次々に除名、排除していった。

 横田さんが挙げた以外で排除されたり、脱退したりした組織に山形、茨城、宮城、和歌山、神奈川、徳島がある。この他、理不尽な運営に抗議して、多くの人々が会の活動から手を引いていった。

 

 元「現代コリア」所員で元「救う会」メンバーでもある新井佐和子さんは「1000万円横領疑惑」の発端から事情を知っている人だが、「救う会」中央(全国協議会)と兵本・小島などの古い主要メンバーとの「不協和音が聞こえはじめたのは、(平成)14年9月の小泉首相訪朝以後で、国民の関心の高まりと共に、一時的に多額のカンパ金が入ってきたことが災いの元になったのでしょう」と言う。

 新井さんはお金の面に注目して、やはり小泉訪朝を「転機」と捉えている。

 そして、「救う会」中央は、不祥事を強引に糊塗し、自分たちの運動の支配権を手放すまいとして「家族会」にさまざまな圧力を加え始めたという。

 例えば、「全国協議会」から「追放」「除名」の処分にされた人たちを家族会からも切り離すことを強いたという。

 横田さんが、もっとも古くから救出運動でお世話になった新潟の小島晴則さんは、「救う会」の内紛前に新潟市での横田夫妻の講演を企画し会場も予約していたのだが、横田さんは土壇場になって「上からのお達しで」との理由でお断りせざるをえなかったという。のちに私も横田夫妻と小島さんからこの事実を確認している。

 「家族会」の多くは、もともと「救う会」から聞かされる政治的な志向をそのまま受け入れてきた。ごく普通の一般人である被害者家族たちが、運動をコーディネートしてくれ、北朝鮮情勢や日本の政治事情に詳しい「救う会」のイデオローグの思想に染まっていくのは自然の成り行きだった。

 だが「救う会」はそれでは満足せず、さらに、家族たちに「あの人は危険だから付き合うな、接触もするな」と脅迫しはじめた。

 「家族会」の黒子(くろこ)だった「救う会」は、いまや黒衣を脱ぎ捨て、「家族会」を完全に統制下に置く挙に出たのである。

 そして私も巻き込まれるある事件が起きた。

(つづく)

なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(6)

 97年2月に横田めぐみさんの拉致が社会問題化したが、あくまで拉致「疑惑」とされ、はじめは半信半疑の人も多かった。

 私たちが取材した元北朝鮮工作員安明進の「横田めぐみさん目撃」証言を、真っ赤なウソだと非難する著名人(例えば和田春樹東大名誉教授ら)もいた。NHKは拉致疑惑を一切報道しなかった。政府の動きも鈍かった。

 この状況を変えたのが、被害者家族が自ら声をあげはじめたことだった。

 転機になったのは1997年3月25日の「家族会」の結成だ。声をあげることをためらう被害者家族を説得して結成へと導いた中心に、当時共産党議員秘書だったの兵本達吉さん横田滋さんに最初に連絡してめぐみさんが北朝鮮にいる可能性を伝えた)がいた。

はじめて街頭に立った横田夫妻横田早紀江「めぐみと私の35年」より)


 4月12日、横田滋さんと早紀江さんははじめて街頭に立ち、真相究明を訴えた。新潟市の繁華街、古町交差点で私はこれを取材していた。活動をコーディネートしたのは、新潟在住の小島晴則さんだ。横田夫妻は、人前で訴えたことなどなかったから、タスキ、ハンドマイク、署名用紙からサポートする20人のボランティアまですべて小島さんが手配した。

takase.hatenablog.jp

 小島さんは早くも前年96年の12月末に「横田めぐみさん拉致究明救出発起人会」を新潟で立ち上げている。これが救出運動の先駆けであり、のちの各地の救う会の設立へとつながっていった。

小島晴則さん(一昨年)

ご自宅に1997年6月の集会の看板があった。懐かしい


 こうして「家族会」は熱心な活動家たちの支援で動きはじめた。
 家族たちは、ごく普通の会社員であり、大工であり、主婦だったのだから、支援者たちに頼りきりになったのはごく自然な成り行きだった。その支援者たちの中の「現代コリア研究所」メンバーが中心になり、各地の会を集めて翌98年にできたのが全国協議会=「救う会」だ。 

 被害者家族たちが前面に立ち、真相究明と息子・娘やきょうだいの救出を訴える署名活動が全国で展開されたことは、社会の雰囲気を変えていった。

 マスコミの世界でも北朝鮮への注目度が高まった。横田めぐみさん拉致疑惑報道が日本社会に衝撃を与え、被害者家族の活動は同情と共感を呼んだ。世のなかの関心は高く、北朝鮮報道は視聴率がとれた。私たち取材者が新たな事実を掘り起こし、それがまた「救う会」、「家族会」による啓蒙を助ける好循環が生まれた。

 私も「家族会」と「救う会」には最大限協力した。

 取材で得た重要な情報を「救う会」幹部に提供したこともある。また、05年12月、拉致被害者レバノン女性シハームさんの母親ハイダールさんを東京の国際会議「北朝鮮による国際的拉致の全貌と解決策」に参加させるため、ハイダールさんとレバノン人通訳の二人分の旅費と滞在費を私の会社が負担して(あとで番組にしてお金は回収したが)来日させたこともある。拙著『拉致』(講談社文庫02年)では「あとがき」を、拉致問題に関心を持った方は「救う会」に連絡を取っていただきたいと結んでいる。

 世論は高まり小泉純一郎総理の訪朝へと導くのだが、私は北朝鮮による拉致問題の存在を日本と世界に知らしめた点において、また北朝鮮という国家の本質を国民と政治家に啓蒙した点において、「救う会」の貢献は決定的だったと高く評価している。

 前回、日本における北朝鮮の人権問題がどう運動化されてきたかに触れたが、北朝鮮による外国人(韓国人を含む)拉致の解決も当然その一翼を担うものと位置付けられる。
 あらためて、以下のように諸団体の設立時期とそれぞれのテーマを挙げておく。

1993年、RENK(救え! 北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)=北朝鮮民衆の覚醒

1994年、北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会(守る会)=「帰国者」への支援

1997年、北朝鮮難民救援基金脱北者の保護・支援

1998年、北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会救う会)=拉致被害者救出

2003年、特定失踪者問題調査会北朝鮮関与を否定できない失踪者の調査

2008年、NO FENCE(北朝鮮強制収容所をなくすアクションの会)=収容所撤廃

 そして日本におけるこれらの諸運動は、2011年9月、15カ国40のNGOからなるICNK「北朝鮮での人道に反する犯罪を停止する国際連帯」へと合流していく。

 だが「救う会」はこれに参加しなかった。

 「救う会」は北朝鮮の人権、人道問題とは別の目標を目指しているのだろうか。

 「救う会」は去年4月現在、全国の32都道府県、1市、1青年組織、計34組織があり、役員4名、幹事33名で構成されているという。

 「家族会」、救う会」の立ち上げ期に大きな貢献をした、先に挙げた小島晴則さんや兵本達吉さんなど、かつて「井戸を掘った人」たちははるか以前に「排除」されている。

 では地域の組織の代表者はと見ると、多くが政治活動家である。

 目立つのは保守政治団体日本会議の各地の幹部(愛知、福岡、宮崎、佐賀、熊本、長崎)で、他に「頑張れ日本」役員、日本維新の会の政治家もいる。

 「救う会」は保守勢力の拠点の一つとなっており、拉致問題は「教科書問題」とならび保守運動がもっとも成功した分野である。

 さらに調べると、長崎の組織の代表者は、セクハラで大きなスキャンダルになっている。

www.asahi.com

 また、山梨の代表は、「第2の森友事件」と言われる財務省の不当な国有地売却疑惑で揺れる学校法人の理事長ではないか。

lite-ra.com

 ワケアリの右翼人士まで登場して、「救う会」、どうなってるの?

(つづく)

なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(5)

 「どうしたら北朝鮮を解放できるか?」

 これは、28日に開かれた「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(守る会)の特別講演会のテーマで、講師はデイリーNKジャパン編集長の高英起(コウヨンギ)さん

高英起さん。スクリーンで「インサイド・ノースコリア」も上映された(28日)

 高英起さんは、数々の先駆的な人権活動で知られる。
 1993年、李英和さん(関西大学教授)とともにRENK(救え! 北朝鮮の民衆/緊急行動ネットワーク)を創設。このRENKこそ、日本における北朝鮮人権問題に関する活動組織の草分けで、その後、94年に「守る会」、97年に「北朝鮮難民救援基金」の発足へとつながっていく。

 高さんは97年以降、中朝国境から北朝鮮の実態を発信しはじめ、2002年にRENKが発表した隠し撮り動画インサイド・ノースコリア」は、飢餓に苦しむ「コッチェビ」(浮浪児)の衝撃的な映像によって、北朝鮮の人権状況への関心を劇的に高めた。

 講演会で高さんはオフレコ情報が満載の刺激的な話を聴かせてくれたが、そのなかで金正恩体制が危機にあるのかどうかについても語っている。

 高さんは金正恩体制のリスクとして①健康、②出自(母親の高英姫が在日)、③人権問題、④コロナ問題をあげ、それぞれ分析した結果、当面大きなほころびは見いだせないという結論になったという。

 あれだけ非人道的な統治を続ける金正恩体制が危機に瀕していないというのは、倫理的には受け入れがたいが、私も高さんの評価に同意する。すくなくとも「当面」は北朝鮮の体制に激震はなさそうだ。

 拉致問題は、この金正恩体制を相手に外交で進展をはかるしかない。

 

 私は北朝鮮の体制をもっと脆弱なものと見ていた時期があった。

 とくに2006年、アメリカの金融制裁が発動されたときには、もう一押しで当時の金正日体制は倒れるのではないかと思い、アメリカの「強硬派」に期待した。

 06年末に出版した拙著『金正日「闇ドル帝国」の壊死』(光文社)のまえがきには、金融制裁は「金正日体制に致命的な打撃を与えている。ミサイルを乱射し、核実験に踏み切ったのは壊死寸前の金正日体制の断末魔なのだ」とまで書いている。

出版直後の07年4月、マカオの「バンコデルタアジア」に凍結されていた北朝鮮の資金が解除され、私の「期待」は崩れ去った。この本、重信房子北朝鮮の偽ドル札作戦の関係など、おもしろいディテールはたくさんもりこんである

 

 北朝鮮全体主義体制についての当時の私の見方は甘かったと、反省をこめてここで記しておく。

・・・・

 拉致問題について進展が見られないのはなぜか。

 日本側の要因について言えば、「全ての拉致被害者の即時全員一括帰国」以外は受け入れるべきでないなどの「家族会」と「救う会」の要求が、そのまま政府の方針になっていて、まともな外交が麻痺していることだ。

 「救う会」(北朝鮮に拉致された日本人を救出するための全国協議会)は、97年3月結成された家族会を支援するために生まれた各地の救出組織が、98年4月に集まってできた。去年4月現在、32都道府県、1市、1年組織がある。(HPより)

 大衆組織なのだが、実際は強い政治的志向がある。それは国民集会の会場で、憲法9条が諸悪の根源、日本は核武装すべしといった言説が飛び交うのを見ればわかる。

 私が集会に誘った知り合いたちはみな、「もう次から出たくない」と運動から去って行った。明らかなヘイト集団までもが運動に加わってきて、故横田滋さんが苦言を呈したこともあった。

「外務省の入り口で座り込みをしていて(北朝鮮へのコメ支援に反対して)、出入りの市民にビラを渡そうとしたら受け取らない人がいて、『オマエ、それでも日本人か!』なんて言う。」

「去年(2011年)の6月だったか、東京でのデモ行進で、私たちの知らない団体が参加していて、『在日朝鮮人東京湾へ放り込め!』なんて怒鳴っていてテレビのニュースでも映されていました。」

「勝手なことを言っているのに、一緒に横で歩いている救う会の役員が止めないんだから。」

「自分たちの考え方と違う人を許さないという姿勢は、本当によくない」

横田滋さんの発言『めぐみへの遺言』幻冬舎P145~146)

 雰囲気は分かってもらえると思うが、このいわゆる対北朝鮮「強硬論」の「救う会」が、やはり「強硬論」で人気がでて首相になった安倍晋三氏と蜜月関係になったのは見やすい道理だ。

 「救う会」と「家族会」は、集会の開催、街頭署名などの諸活動、政府要人へのロビー活動などを一体となって行っている。そして拉致問題についての政策提言も一緒に行っている。

 「救う会」が政治的主張をもって活動するのは、拉致問題の解決にとって良いことかどうかはさておき、民間団体としては自由である。

 しかし、拉致被害者の家族の互助組織である「家族会」が、「救う会」と一体になって特定の政治的主張を発し、北朝鮮がこういう態度をとったら制裁せよなどと具体的な政策提言をするのは、会の趣旨からしてやめるべきだと思う。

 かつて「家族会」の事務局長をつとめていた蓮池透氏(拉致被害者蓮池薫さんの兄)は会を離れ、「家族会が互助会から圧力団体・政治団体へと変化してしまい、意見の多様性を失った」と振り返る。

 「家族会」と「救う会」が一体の関係になるには、ある歴史的背景があった。

(つづく)

なぜ政府は2人の拉致被害者を見捨てるのか?(4)

 ひっきりなしに響く砲声と着弾音。

 JNN(TBS系)の取材班が、ハルキウの前線近くの町に入った。私の知る限り、大手メディアとしては、戦闘現場にもっとも近づいて取材したリポートだ

撮影中砲撃があり、走って避難する取材クルー。取材は秌場(あきば)聖治記者(TBS「報道特集」28日OA)

ロシア軍によって瓦礫と化した自宅。これからどうしたらいいか考えられないという。ロシア軍の攻撃がいつ終わるか分からず、収入源も失っただろう(クトゥジフカ)

 取材したのは、軍が奪回したハルキウ市の北東にある二つの地区で、ロシア国境まで22キロのクトゥジフカとロシアと国境を接するサルティフカ。

 このリポートで印象深かったのは、ロシア軍による破壊が、住民をどう苦しめているかの具体的なありようだった。

持病を持つ高齢者は多い。医療サービスがなくなって健康被害が深刻だろうと想像する。この夫婦、「ここに残って怖くないの?」との質問に「もう何も怖いものなんてないよ」と開き直っていた(クトゥジフカ)

幼稚園の地下に、自宅を失った24人が今も避難生活をおくる。ここを案内する住民が「ノアの箱舟みたい」とユーモアを込めていうのに感銘をうけた(クトゥジフカ)

 ロシア軍が水道、電気、ガスなど生活のためのインフラを攻撃したことで、毎日の暮らしがいかに崩壊してしまったか。私が彼らの立場になったらどうだろうかと想像して恐ろしくなる。

あらゆるインフラが破壊され、水もガスもないので外で焚き火をして炊飯する89歳の女性。復旧は見通せず、侵攻以来シャワーも浴びれないという。(サルティフカ)

私のようなものはどこも受け入れてもらえないから、避難せずにここに残っているという(サルティフカ)

 ロシア軍が来ても逃げない、あるいは逃げられない高齢者がいる。例えば、持病がある、歩けないという健康が理由の人がいる。また、故郷を離れたくないという思いから残る人もいる。

 私は東日本大震災の被災者を思い起こす。地震津波から避難して助かったものの、その後亡くなる「震災関連死」は、今年3月10日段階で3786人にも上る。

 長引く避難生活で受けるストレスや体調の悪化が原因で、特に住み慣れた環境から切り離された高齢者が多い。避難を機に寝たきりになったり、認知症が一気に進んだ人もいるし、自死に追い込まれた人も少なくない。

 ウクライナの高齢者が「逃げたくない」という気持ちは理解できる。狭い地下壕のようなところで集団生活できない人だっているだろう。逃げられなかった中には障碍者も多いと推測する。取り残されているのは弱い立場の人たちだ。

 ロシアは、ウクライナ軍が住民を町に残し「人質」にして戦っているから民間人の犠牲者が多いのだとプロパガンガンダを流しているが、避難を勧められても避難できない、避難しない住民たちがいるのだ。

 マリウポリでも「アゾフ連隊」が住民を「人間の盾」にしているとロシアが非難したが、最近地下での避難生活から解放された住民が証言をはじめ、実態がロシアの宣伝とは全く違っていることがはっきりしてきた。

 住民はロシア軍の攻撃を避けるために自ら製鉄所に逃げ込み、軍からは「避難ルート」で外に脱出するチャンスがあるたびに避難を勧められたという。

 

 一つの現場リポートから、戦争の実態についての具体的なイメージが広がってくる。ロシアのプロパガンダが虚偽であることも分かる。

 さらに切り込んだ戦争報道を期待する。
・・・・・・

 

 29日、拉致被害者の即時一括帰国を!私たちは決して諦めない! 国民大集会」が東京で開かれた。

(日テレ「バンキシャ」29日OAより)

 開催告知は以下。
《(前略)現在北朝鮮は、〇経済制裁による外貨枯渇、 〇コロナ蔓延、 〇台風と豪雨による水害、 〇金正恩の健康不安、〇中朝国境封鎖 (1月16日から貨物列車一部再開)、 〇住民と幹部の不満と反体制勢力活動の6重苦で追い詰められてます。にも関わらず、国民の動揺を抑えるため、 またなんとか対米交渉を実現したくて大陸間弾道ミサイルをまた発射しました。

 他方、ロシアがウクライナを侵略しましたが、 その開始前に1週間で終えると北朝鮮に通報しています。ところが、戦争が長期化しつつあり、旧ソ連製兵器で武装している北朝鮮人民軍も弱いのではないかと金正恩は不安に脅えてるそうです

 5月29日に、私たちは 「全拉致被害者の即時一括帰国を! 私たちは決して諦めない! 国民大集会を開催します。今も国際社会は北朝鮮に対し最高度の制裁を維持しています。 「先圧力、後交渉」 に基づきなんとしてもこの厳しい制裁を背景にして日朝首脳会談を開かせなければなりません。(後略)》

横田早紀江さんは最近、大っぴらに政府の無策への不満を語る(日テレ「バンキシャ」より)

集会の決議にはこうある。

《(前略)北朝鮮が日本から支援を得るには親の世代の拉致被害者家族が健在のうち
に全拉致被害者を一括して帰すしか道はない。親の世代が拉致被害者と抱き合えな
ければ、日本人の怒りは増し、支援はあり得ないことを、北朝鮮の最高指導者に理
解させることが今大切だ。

1.政府は、国民が切望する全拉致被害者の即時一括帰国を早急に実現せよ。
2.北朝鮮は、全拉致被害者の即時一括帰国をすぐに決断せよ。
3.閣僚、国会議員、地方首長、地方議員、国民の全員がブルーリボンをつけて救
出への意思を示そう。

 民集会での方針は事実上、政府方針となり、歴代総理はその場で、不退転の決意でまい進することをお誓い申し上げると言うのが決まったパターンになっている。

 今回も「全ての拉致被害者の即時全員一括帰国」が既定路線として確認されたことを、拉致被害者とその家族のために悲しむ。また拉致問題が進展せぬまま、時間だけが過ぎていくことになるのか、と。

 20年ものあいだ成果がないとなると、即時全員一括帰国で一発逆転を狙うしかなくなる。時間がすぎればそれだけ焦りはつのり、方針は「過激化」する。しかし、それは袋小路への道である。

 集会で岸田総理は、拉致問題は岸田内閣の最重要課題だとし、小泉訪朝後20年も一人も被害者を取り戻せていないことを謝り、「条件をつけずに金正恩委員長と直接向き合う決意です」と語った。

「条件をつけずに・・」と岸田総理(「バンキシャ」より)

「条件をつけずに」云々は、制裁一辺倒で「対話のための対話は意味がない」と言ってきた安倍元総理が、トランプ米大統領金正恩との首脳会談を見て、19年5月に突如言い出したのだった。振れ幅の大きさに驚くが、いかに内閣に戦略がないのか、いかに米国頼みなのかを示している。

19年5月の安倍氏の無節操な大転換以来、踏襲されている。(テレ朝11月23日の番組より)

 要するに、情勢分析として北朝鮮はこれ以上ないほどに追い詰められている。そこに、こっちが会ってやるんだから応じろよ、と言えば首脳会談が行われ「全ての拉致被害者の即時全員一括帰国」を実現できるという筋書きである。

 「条件をつけずに・・」については、帰国した蓮池薫さんがテレビの時事評論番組で、北朝鮮からすれば「上から目線」で言われているように感じてのってこないだろうと批評したが、当然だ。

「条件をつけずに・・」は北朝鮮からすれば「上から目線」に感じる、とまっとうな意見をのべる蓮池氏

(21年11月23日https://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000235837.html

 この番組では、「全ての拉致被害者の即時全員一括帰国」を念頭に、「100か0か」、「ギャフンと言わせる」ような形で北朝鮮に臨むべきではない、米国頼みはやめて小泉元総理が米国から反対されても2002年の訪朝を決断した「胆力」を見習ってほしいなど、ごく常識的な注文をつけていたが、蓮池さんに言わせるためにゲストに呼んだのだな、と思った。

 普段は厳しく政府を批判するメディアでも、こと拉致問題となると、急に矛先が鈍ってしまうのはなぜか。

 それは、拉致問題をめぐる方針が「家族会」から出ているように見えるからだ。その批判をためらってしまうのは、拉致被害者の家族という圧倒的な「被害者性」ゆえである。

 酷い事故に遭ったり、不幸に見舞われた本人や家族を前にすれば、その人たちの気持ちに寄り添おうとするのは人情である。そうした配慮や忖度はメディアにも働く。
 一つは、「家族会」に対する忖度が過剰になっていることが問題だ。

 06年に共同通信平壌に支局を開設するさい、事前に「家族会」に開設してよいか「おうかがい」を立てたと聞くが、これは「家族会」が意図したかどうかには関わりなく「圧力団体」として見られていることを示す。

 「家族会」、「救う会」、「政府(内閣)」の三位一体のような構造はいかにして作られたのか。そしてそれがなぜ「聖域」化しアンタッチャブルになるのか。
(つづく)