ウクライナ取材で群を抜くアルジャジーラ

 5月1日で、水俣病の公式確認から66年を迎えた。

 水俣市では犠牲者を追悼する慰霊式が営まれた。2019年は天皇の即位に伴い10月に延期され、一昨年と去年はコロナの影響で中止、5月1日の開催は4年ぶりとなった。

 水俣病の認定患者は熊本・鹿児島両県で計2284人(熊持1791人、鹿児島493人)、うち2017人が亡くなっている。

(被害者団体独自の慰霊祭 NHKニュースより)

 また、鹿児島との県境近くの乙女塚では慰霊式と同じ時刻に被害者団体が独自に慰霊祭を開いた。これは1次訴訟の原告でつくる『水俣病互助会』が40年以上前から毎年続けているもの

(フジTVニュースより)
 自らも認定患者で公式確認のきっかけとなった田中実子さんを介護する水俣病互助会の下田良雄さん(74)は「「(公式確認から)66年経ってもまだ苦しんでいる人がいっぱいいる」「国は断ち切ろうとしているような気がしてそれはおかしいと思う」と語った。

 水俣病をめぐっては今なお1400人余りが熊本、鹿児島両県に患者認定を申請しているほか、およそ1600人が法廷闘争を続けている

 これだけ時間が過ぎてなお、認定の申請や裁判闘争をしなければならないとは。恐ろしい企業と政治の不誠実と鈍感さ。情けなく、また申し訳ない気持ちにもなる。
 今年は水俣を訪れたい。
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 4月30日の「東京新聞」特報面に見開きで師岡カリーマさんの「ウクライナ侵攻に思う」が掲載された。話題を呼んでいる『世界』臨時増刊の巻頭文を短くしたものだという。

東京新聞4月30日朝刊22-23面)

 「誰が加害者で、誰が被害者か、白黒のつけやすさゆえに、世界は自ら考えるという労を要さない安易な勧善懲悪の悦に浸りすぎてはいないか。」
 「爆撃で焼け出されたウクライナの人々が、カメラの前で『ロシア人は人間じゃない』と叫ぶのは、自然なことかもしれない。でもマスメディアがそれをそのまま伝えるのは適切か。イスラエル兵に子どもを射殺されたパレスチナ人が、仮に絶望のどん底で『ユダヤ人は人間じゃない』と言ったら、そのままニュース原稿に書くだろうか?」
 「この戦争を避ける努力は、本当になされたか。」

 戦争を少し引いたところから冷静に見てはどうかとの提言には考えさせられる。

 私がもっとも興味をひかれたのは、エジプト育ちの彼女ならではの視点で報道を論じているところで、とくにアルジャジーラの取材姿勢に注目した。ちょっと長いが引用する。

 

 侵攻開始から三週間、英国BBCワールドニュースや中東のアルジャジーラではウクライナ情勢が報道のほぼすべてを占め、特にアルジャジーラの本丸であるアラビア語放送が、渾身の報道で目を引いた。

 普段のアルジャジーラは数時間おきに30分のニュース、そして毎時間の正時に短いニュースを放送。欧米メディアとは異なる優先順位でトピックを選び、チュニジアイラク、イエメン、スーダンエチオピアといった地域の細かいニュースがトップで伝えられて時間もたっぷり割かれる。ニュース以外の時間も充実。ゲストを交えた時事番組、インタビュー、旅番組、ハイテク情報、スポーツ、文学、ドキュメンタリーなどは、内容もここ数年で飛躍的に向上し、何時間観ても飽きない上質なラインアップが無料で視聴可能だ。ところが戦争勃発から3週間は、私が見た限りニュースのみの放送となり、しかもほぼ9割がウクライナ報道。欧米メディアとは一線を画す独自性を打ち出してきたアルジャジーラにあって、記者とカメラを戦闘地も含めウクライナ各地に配備し、「ヨーロッパの戦争」を取材する力の入れようは、やや意外だった。

 ロシアとウクライナに対するスタンスは基本的に欧米メディアと同じだが、BBCなどの一部記者に見られる、詩的な言葉遣いでやや自己陶酔の気がある勿体もったいぶった戦争報道に辟易へきえきしていた私から見ると、アルジャジーラのほうが客観的だ。多くの欧州人にとって戦争は過去か外国のもので、破壊されたウクライナの街並みの写真に「これがヨーロッパの光景とは」とのコメント付きでシェアしている人も多い。その衝撃が彼らの報道姿勢にも影響しているかもしれない。一方、アルジャジーラのアラブ人記者たちは、歴史に類を見ない凄惨せいさんな世界大戦は2つとも、他でもないヨーロッパから始まったことを明らかに意識している。

 「キーウ(キエフ)近郊の町でロシアの砲撃」とウクライナ政府が発表すれば、その直後にはアルジャジーラ記者がそこから生中継で真偽を検証する。背景にはまだ遺体が散乱し、記者は今その場で目撃したことを、震える声で言葉に変えていく。スタジオからの生放送の途中でも、キーウで警報が鳴ればニュースは中断され、数分間にもわたりその音声が、首都中心地の映像とともにひたすら中継される。現場との一体感という意味では、群を抜いていた。

 富裕国カタールを拠点とし、桁違いの予算をグローバルな視聴者に向けて使うアルジャジーラと、基本的に国内向けの日本のテレビを比べる必要はない。日本では安全を考慮してか、現地の戦況よりも各国政府の発表や周辺諸国に逃れた難民の取材などに比重を置いていた印象だ。それでも十分に戦場の悲惨さは伝わってくるが、戦況を徹底的に自主検証するアルジャジーラでは、情報の量も密度も圧倒的に勝っているのは事実。でもこうして戦争報道にどっぷり浸つかっていると、そのストレスだけで3日に一晩ぐらいしか眠れなかった。遠く離れた日本のメディアが、そこまで張り切って一般視聴者を戦場に引き込む必要はない、という考え方も有効かもしれない。実際、現地に近い北欧では「精神が疲弊して生活に支障が出てきた」と、罪悪感を抱きながらもニュースを見るのをやめてしまった人もいるという。(後略)

 

 たしかにアルジャジーラの取材はすごかった。マリウポリハルキウなどの最前線にもっとも肉薄して取材し、戦況を詳細に報じていた。(このブログでも触れた)

 記事は、それぞれの地域のジャーナリストが独自の視点で取材していることをよく観察して書かれている。

 現場に行かない日本メディアは「それ以前」の話で、報道姿勢を根本的に考えなおすべきだろう。

マリウポリで起きている「ロシア化」の実態

 世界が注視するマリウポリだが、ロシアは全市を制圧したと発表した。そこで何が起きているのか。

 人工衛星運用企業「マクサー・テクノロジーズ」は21日、マリウポリから西に20キロほど離れた近郊の村に作られた集団埋葬地だとする衛星画像を公開した。この画像の詳しい分析はまだだが、マリウポリ市議会は「ロシア軍は3000人から9000人の遺体を埋めた可能性がある」としている。

NHKニュースより)
 市民の証言などからも、相当数の住民の処刑、虐殺が行われたことは確実だ。しかし、ロシアの「占領」下、犯罪の検証が今後難しくなる可能性がある。

 

 以下、19日のNHK「クロ現」より。

 2週間ほど前に、親ロシア派の市長が任命されたと発表された。この人物を知る、マリウポリ市議のドミトロ・ザバヴィンさんは、「この人(任命された人)は私たちの同僚で、マリウポリ市議会の議員でした。彼はアルコール依存症で、議会でも酔っ払っていました。ロシア人は彼をいとも簡単にコントロールするでしょう」

 さらにロシア側は市内に移動式の焼却炉を持ち込み、民間人の遺体を焼こうとしているという。サバヴィンさんは「彼らはマリウポリの犯罪が世界から厳しく非難されることを知っています。だから犯罪の痕跡を消すことにしたのです」という。

 そして、人道に反すると指摘されているのがロシア側への市民の連行で、マリウポリだけで4万人以上にも上ると市当局は公表している。

 3月、ロシア政府が公表した文書に記されていたのは、ウクライナの市民10万人をロシア連邦内の85の地域に移送させる計画。それはロシア全土にわたり、サハリンなど、極東の地域にも7,000人以上を送るとしている。

(クロ現より)

 知人が極東に連行されたというヴラディスラヴ・セルデュコフさん
「最後に連絡をとったとき、彼らは『サハリンにいる』と話していました。『書類にサインをさせられ、2年間は出られない』と聞きました。それ以来、彼らとは連絡がとれていません」


 マリウポリのジャーナリスト、アンナ・ムルリキナさん
多くの子どもたちをロシアに強制移送する準備が進められています。そして養子縁組しようとしているのです。子どもたちはウクライナ国民であり、これは犯罪行為です」

「私は地元の事例しか知りません。30人の子どもが病院から連行されました。(連行された)少女はおじいさんと電話で話し、『家に帰りたい』と何度も訴えていました」

 

 子どもを連れ去ってロシア人と「養子縁組」させる計画が本当ならば、ナチスにも比すべき残酷な民族抹殺策だ。

 在日ウクライナ人ユーチューバーの「さわやん」がマリウポリから600人の子どもが連れ去られたことを「拉致」と表現して抗議している。

www.youtube.com

 

 これが、彼らが「ネオナチのウクライナ民族主義者を打倒」したあとやろうとしている「ロシア化」だ。

 ロシアがやっていることを「ジェノサイド」と呼べるかどうか議論があるが、少なくとも「ジェノサイド的」な狙いがあると言っていいだろう。ここまで酷いことをしているとは私の予想以上だった。

 

 今回の戦争については、とにかく早く停戦させるため、ゼレンスキー大統領に東部2州はロシアにくれてやるように説得せよなどという声もあるが、侵略を容認する「落としどころ」にウクライナ人が納得するはずがない。

孫崎享氏のツイート。ウクライナは米国の代理戦争を戦っていることになっている)


 また、「戦争当事国の一方に全面加担する国会決議に与党と一緒に賛成し、国民総動員令で軍隊への招集令状を出し民間人に武器を渡し戦争参加を強要するゼレンスキーの演説をスタンディングオベーションで手放しで称賛する行為は戦争の肯定です」(ジャーナリスト鮫島浩氏)という「どっちもどっち論」は現地の実態をまったく見ていない。
 鮫島氏は「民間人に武器を渡し戦争参加を強要するゼレンスキー」と書くが、ウクライナで取材した私の友人たちは、市民が進んで武器をとり、武器をとらない人は兵士に料理を作ったり、市民に生活物資を配ったりと自分ができることで士気高く対ロシア防衛戦に貢献していると伝えている。

 以上のような議論を批判する写真家の石田昌隆氏の意見に同意する。
ワルシャワ・ゲットー蜂起とか、ウクライナソ連に組み込まれていたときのホロドモールのことなどを知っていれば、プーチン/ロシアによる侵略戦争に抵抗して戦っているウクライナ人に対して、武器を捨てろなどと無責任なことを外部の人間が言えるはずがない」。

 

 ウクライナ人たちが何を考え、何を求めているのかを踏まえないで、この戦争をダシにして自分の思想、立場を語るべきではないと思う。

メルケルならプーチンを止められたか?

 節季は穀雨(こくう)で、恵みの雨が生き物をはぐくんでいく。

(先月植えたエンドウが、雨のなか花を咲かせた)

 初候は「葭始生(あし、はじめてしょうず)」で20日から。25日から次候「霜止苗出(しもやみて、なえいずる)」。30日からが末候「牡丹華(ぼたん、はなさく)」。

 「葦原の国」はそろそろ田植えの準備に入る。
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 18日(月)放送の映像の世紀バタフライエフェクト』「ベルリンの壁崩壊 宰相メルケルの誕生」を非常に興味深く観た。

 メルケルプーチンの因縁のパートは今のトピックとの関連を考えさせられる。

 メルケルは西ドイツのハンブルク生まれだが、生後間もなく、父親が社会主義に傾倒して東ドイツに一家で移住した。子どものころからシュタージ(秘密警察)の存在を日常的に意識する暮らしだったとメルケルは回想する。長電話をしているだけで母親が「シュタージに盗聴されるから早く切りなさい」というほどだった。


 壁崩壊のときメルケルは35歳で、アインシュタイン相対性理論に惹かれ、科学アカデミーの物理学者になっていた。エリートコースだったが、窮屈で未来の見えない閉塞感のなか、研究のルーティンをこなすだけの日々で、同僚は当時の彼女を「熱意を見せることといえばサイクリングの話をする時だけ」の「魂を失った人間」だったと評する。

(35歳のメルケル


 この番組は3人の女性を追う形で壁崩壊からメルケル引退までを描いていて、メルケルの他には、歌手のニナ・ハーゲンと画家のカトリン・ハッテンハウアーが登場する。
ニナは1955年生まれで、54年生まれのメルケルとは一歳違い。19歳のとき、『カラーフィルムを忘れたのね』という歌が東ドイツで爆発的な人気を博する。

(ニナ・ハーゲン)


 恋人とビーチに遊びに行ったら、彼がカラーフィルムを忘れてしまって、白黒にしか映らないのを嘆く歌だ。

ミヒャ、私のミヒャ、何もかも辛いわ。
あなたはカラーフィルムを忘れたのよ。
誰も信じてくれない、ここがどんなにすてきだったかって。
なんてひどいの、熱い涙がこぼれる。
この景色も私も、全部が白黒なの。

 検閲による禁止を免れたこの歌は、東ドイツの現実を色のない白黒写真と表現したと誰にも分かり、大ヒットとなった。

 20歳だったメルケルは、この曲をレコードが擦り切れるほど聞いたという。

(「カラーフィルムを忘れたのね」はメルケルの「青春時代のハイライト」だったという)
 ニナはシュタージの監視対象となり、1976年に西ドイツに亡命。パンクロックのスターになっていく。

 もう一人の女性、カトリンは、世界中を旅して絵を描く夢をもつライプツィヒの画学生だった。自由に旅行を許されないことへの憤りが抑えきれなくなり、1989年9月4日、行動に出た。


 当局に許可なく多くの人が集まることができる教会の月曜礼拝のあと、「自由な人々による開かれた国」のスローガンの横断幕を掲げてアピールしたのだ。次第に人々が加わって大きなデモになっていくが、シュタージが介入して弾圧、カトリンも逮捕されて自宅軟禁になる。


 しかし、この騒動はフランスのTVを通じて東ドイツ国民が知るところとなり、旅行の自由を求める「月曜デモ」が全土で吹き荒れる。

 ソ連ではちょうどゴルバチョフが「改革」に乗り出していたこともあり、人々の不満を抑えるため、ドイツの共産党社会主義統一党)は11月9日、中央委員会を開いて、ビザがあれば国外への旅行の申請が可能だとする政令を決める。

 その夕方、中央委についての記者会見で、シャボウスキー政治局員は歴史を変える言い間違いをしてしまう。「外国への私的な旅行の申請は、目的や親戚関係などを明記せずとも許可される」と語り、いつ発効かとの質問に「即座に」と答えたのだ。本当は明日から発効であり、またビザが必要であることも言い忘れた。

 これがテレビニュースで流れたあとの夜8時35分、東ベルリンのボルンホルム検問所には多くの人々が西ベルリンに行かせろと押し寄せた。

 ここでもう一つのボタンの掛け違いが起きる。この検問所の責任者、ハラルド・イエーガーが、上司に指示を仰ごうと電話をするが通じない。群衆は膨れ上がり、暴動寸前になる。警備兵が発砲でもしたら大変なことになると憂慮したイエーガーは、独断でゲートを開け、検問なしですべての人を出国させるよう命じたのだった。

 数万の人々が歓喜の声を上げながら西側にあふれ出て、誰彼構わず抱き合った。感激に涙にくれる人も多かった。

 メルケルは週に一度の楽しみのサウナの帰り道、人々の波についていくと、西ベルリンに出た。生まれて初めて西側のビールを飲んだと思い出を語る。

 ベルリンの壁はこうして崩壊した。  

 これを見ると、限界を迎えた体制は、いくつかの条件がたまたま現れると、一気に崩壊することがわかる。北朝鮮の体制もいつ何が起きても不思議ではないと私は思っている。もとい。

 東ドイツでも自由な選挙が行われることになり、メルケルは研究者を辞めて政治の世界に飛び込む。「政治の世界を選んだのは、使い古されていない新しい人々が必要とされていたからです。それに、人々とより関わりあう仕事に就きたいと願っていたのです。」(メルケル

 統一後の国会議員選挙で当選したメルケルは、91年1月、いきなり女性・青少年担当大臣というポストに抜擢される。最年少、しかも東出身の女性の大臣として注目され、その後実力が認められてキリスト教民主同盟のトップに、そして2005年、ついに首相に昇りつめた。

(総選挙後のテレビ討論で、笑顔で政敵をやり込めるメルケル


 メルケルの最大の決断とされるのが2015年の難民受け入れ宣言だ。 

 欧州各国が大量の難民受け入れに難色を示すなか、ドイツはシリアなどからの難民100万人を15年中に受け入れる。人口比でいえば、日本が一年に150万人を受け入れたことになる。


 多くの激しい非難がメルケルに浴びせられた。特に経済発展が遅れていた東ドイツでは、難民に職を奪われるとの不満が噴出しメルケルを「裏切り者」と罵る声まであった。

 しかし、メルケルは全く動じなかった。自らがかつて圧政に苦しみ自由を希求した原点を政治哲学の基礎に置いていたからだ。


 メルケルの窮地に、89年の月曜デモを始めたカトリンたちが支援のアピールを出す。そこにはあのスローガン「自由な人々による開かれた国」があった。


 メルケルとは、熱いロマンと力強い実行力とを兼ね備えたすごい政治家だなとあらためて感じ入った。

 ところで、プーチンだが、実は彼もまた壁崩壊のとき東ドイツにいた。

 KGBの下っ端工作員として東ベルリンに駐在していたプーチンは、壁崩壊を目の当たりにして衝撃を受ける。この時の屈辱がトラウマとなり、「西側」への根深い憎悪と警戒感を彼に植え付けたとの見方がある。


 メルケルは15歳のときロシア語コンテストで優勝したほどロシア語は完璧だし、プーチンは、ドイツ語に堪能だから、二人が会えば通訳抜きで丁々発止の議論をしていたという。

メルケルが犬嫌いであることを知って、わざと会談の場に大型犬を入れたプーチンメルケルは「人の弱みをつかんで利用するKGBの典型的なやり方だ」と評した)


 何よりメルケルはロシアの属国、東ドイツで育ち、ロシア人のやり方を裏の裏まで心得ている。会見でプーチンを厳しく批判したり、大事な問題では一歩も引かない姿勢を見せながらも、したたかにロシアとの妥協点を模索してきた。

 プーチンが、会見で犬をけしかけたり露骨な嫌がらせまでしたこと自体、いかにメルケルの「圧力」を煙たがっていたかを示している。 

 その点、我が国の安倍首相など、まさにポチのように露骨にプーチンに擦り寄る醜態を見せて、我々日本国民は恥ずかしい思いをしたものだ。

 もしメルケルが今もドイツの首相だったら、プーチンウクライナ侵攻をひょっとして食い止められたか、それは無理でも、今とは違った展開になったのではないかと私は思うのだが、どうだろうか。

(首相退任にあたってのスピーチ)


 去年12月2日の首相退任式。本人が好きな曲が演奏されるのだが、そこで選ばれたのは、「カラーフィルムを忘れたのね」だった。軍楽隊はこの選曲に戸惑ったという。普通は荘厳なクラシックなどが選ばれるのに、楽譜があるかどうかもわからない昔の流行歌がリクエストされたのだ。

 「この景色も私も、全部が白黒なの」

 聴き入るアンゲラ・メルケルの目に涙が光っていた。

 16年にわたる首相在任期間だけでなく、自由を求めた青春期の自分も脳裏に浮かんだことだろう。


 すごいな、メルケル。歴史に残る名宰相として語り継がれるだろう。

 

 

 ベルリンの壁の崩壊には、ロックミュージックが大きな役割を果たしたことを描いたNHK BSプレミアム『アナザーストーリーズ「ロックが壊したベルリンの壁」』という番組もおもしろかった。これについては後日書いてみたい。
ベルリンの壁崩壊。その2年前に壁の西側で歌ったデヴィッド・ボウイDavid Bowie)。壁の東側は大騒動に。さらにブルース・スプリングスティーンBruce Springsteen)も異例のコンサートを行って…。音楽が壁崩壊に果たした役割をコンサート関係者、旧東ドイツ市民などが今、明らかにする》(番組広報より)

ウクライナとベトナム

 ウクライナの戦いを考えるとき、いつもベトナム戦争を想起する。

 私は学生時代、ベトナム人民支援運動にのめり込み、抵抗するベトナムの人々の姿に感動し、ベトナム語を学びに東京外語大に通った。大学4年のときサイゴンが陥落し戦争が終わる。大学卒業後は、ベトナム法の専門家になろうと大学院に進んだが、アカデミズムに就職口がないことが分かると(そんなこと最初から分かってたはずだが(笑))ベトナム戦争報道で知られた日本電波ニュース社に入社した。

 振り返ると、ベトナム戦争によって人生のコースを選択してきたことに感慨を覚える。無謀だったなと呆れもするが。

 ウクライナを見てベトナムを思うのは、こういう個人的な背景もあるのだが、小さな弱い国が、大国の侵略をはねかえしたことを教訓にできるのではと思うからだ。

 ユヴァル・ノア・ハラリの『サピエンス全史』には、20世紀に「グローバルな視点」が重要になっているとして、こんな記述がある。

アルジェリア独立戦争(1954∼62)で、アルジェリア人が勝利を収めたのは、反植民地主義の世界的ネットワークに支えられていたからであり、また、世界のマスメディアはもとより、フランス自体の世論を、首尾良く自らの主張の見方につけられたからだ。北ヴェトナムという小さな国がアメリカという巨人を敗北に追い込んだのも、同様の戦略による結果だ。こうしたゲリラ兵力は、限られた地域での戦いが世界的大義になれば、超大国でさえ負けうることを立証した。」(下P116)

 南ベトナム政府軍と米軍の残虐行為、北爆での民間人の殺傷、トンキン湾事件の謀略などアメリカ政府にとって都合の悪い事実が報道で暴かれ、アメリカだけでなく世界中でベトナム反戦運動が吹き荒れた。

 世界中でアメリカの「大義」は認められず、アメリカ大統領がジョンソンから戦争終結を掲げたニクソンへと交代。米軍が撤退した後、1975年の北ベトナムの大攻勢で戦争に決着がついた。

 メディアによってアメリカは負けたと言われるほどで、小さな国が情報戦を制し、世界の世論を味方につけたのだった。

 いま、ウクライナは、ベトナムの辿った道を歩んでいるように見える。国際世論は圧倒的にウクライナ支持であり、ロシアの残虐非道に憤っている。

 戦争前から、ロシアによるフェイクニュースの拡散などインターネット上での情報撹乱には警鐘が鳴らされていた。アメリカの大統領選にも影響を及ぼしたほどの「力量」に要注意だったが、ここまで来ると、情報戦は圧倒的にウクライナ優勢で進んでいる。

ウクライナの「ストップ・フェイク」というサイトでは、ロシアのフェイク情報を暴いている。大学のジャーナリズム科が中心になっているようだ)

 

(ロシアはロシアでさかんに情報発信をしている。これは「ウォーオンフェイクス」というサイトで、ウクライナ側の情報はフェイクだと反論)

 ゼレンスキー大統領自身が自撮りでSNSで世界に発信、各国のトップリーダーにネットで繰り返しアピールして存在感を示している。
 さらにウクライナには「インターネットアーミー」という国民参加の「軍隊」による戦いが進行中だという。この「アーミー」には30万人の国民が加わり、精力的な情報発信、対外ロビー活動を行っていると報じられている。

(「ロシアの言い分がまかり通る隙を与えずにウクライナの主張を理解してもらいます」という政府アドバイザー。彼女はこれにつづけて、「ウクライナは国家の独立や国民の命を守るためだけに戦っているのではない。世界の民主主義のために戦っているのです」と語った。NHKニュースより)

(「銃は撃てなくても」これならできると、ウクライナ政府が呼びかけると、約30万人が呼びかけに応じたという。各国の政治家へのアピールなども「アーミー」が呼びかける)

 私たちがテレビで観る、生々しい現場映像もかなりの部分が、地元のウクライナ国民がスマホで撮ったものだ。こうしてウクライナからの発信が世界中に一瞬にして伝わり、膨大な人々がウクライナでの出来事を固唾を呑んで見守っている。
 ウクライナは、国際世論を完全に味方につけ、各国からの支援を得ることに成功している。
 スマホによる映像・音声の記録は、今後、ブチャその他の町のロシア軍による戦争犯罪の追及にも活用され、これがさらにロシアを追い詰めるだろう。

 先に挙げたハラリの言葉を使えば「限られた地域での戦いが世界的大義になれば、超大国でさえ負けうる」状況を作りつつあると言えるだろう。
 ただ、課題が残っている。アルジェリア宗主国である「フランス自体の世論」を味方につけた。またベトナム戦争のとき米国の中で厭戦気分や反戦運動が広がり政府の政策を返させた。しかし、フランスやアメリカと異なり、今のロシアは国内の言論を厳しく統制し弾圧しており、戦争反対の声は抑え込まれている。今後、ロシアの国民の意識をどこまで変えられるかは未知数だ。
 そしてもう一つ、アルジェリアベトナムも、戦場において互角かそれ以上の形勢を保つことに成功していた。ウクライナには今度のロシアの大攻勢を耐え抜いてほしい。
 マリウポリの悲惨な戦況を知るにつけ、暗澹たる気持ちになるが、すぐにプーチンを翻意させる手段が見当たらない。物量に優るロシアが戦場で大きく形勢を損ねるには相当の時間がかかりそうだ。

地球に海と陸がある奇跡

 おととい17日のテレ朝「サンデーモーニング」に、サヘル・ローズさんがコメンテーターで出ていた。


 私は09年、テレ朝の夕方ニュース「スーパーJチャンネル」の「新東京見聞録」という外国人3人が東京のいろんな場所をおもしろおかしく紹介していくコーナーで、初めてリポーターをやっている彼女を見た。

 目の付けどころが的確で、リポートの語りが抜群にうまいうえ、まったく嫌味がない。実に”さわやか”なのだ。いったい何者なのかと調べ、彼女の本『戦場から女優へ』を読んで感動、ファンになった。

takase.hatenablog.jp


 3年前には、サヘル・ローズさんのイベントに、イランを取材したジャーナリストとして私がゲストに呼ばれ、直接お会いする機会があった。そこで彼女の話を聴き、周りへの気配りを含めた立ち居振る舞いを見て、すごい人だなとさらに感銘を受けた。

takase.hatenablog.jp


 戦争はじめ世界の理不尽についてのコメントでは、非常に説得力ある語りを聴かせる人なので、コメンテーターとしての活躍を期待している。

 おとといのスタジオでは、ウクライナの戦争へのコメントを求められ、

「私たちがこうやって毎日生きていることが奇跡なんです。戦争を他人事として考えないようにしたい」と語っていた。

 彼女の「生きていることが奇跡」というコメントを、私はコスモロジー的な意味での奇跡に引き付けて解釈して(かってに)感動していた。

 いろいろある「奇跡」のうち、先日学んだ地球の水の奇跡を紹介したい。

 地球の地殻の上には、地表の7割を占める海と3割の陸が乗っている。こんな分布になったのは、地表に溜まった水の量が絶妙だったからだ。

 地球は「水の惑星」と言われるが、海は地球全体の質量の0.023%を占めるにすぎない。(一方、鉄は地球の総質量の3分の1)
 ただ、ちょうどこのくらいの量だからこそ、今のように陸地と海とがある地球になっているのだ。

 実は地球には計算上、海の50倍ほどの水がある。もし、これがすべて地表にあったなら、地表は100kmを超す深さの水の層で覆われ尽くしただろう。地球の形成過程で、ほとんどの水が水素の形で地中深くマグマや核の中に取り込まれ、その結果、絶妙な量の水が地表に残り、現在のような陸地も海もある地球ができた。

 この海と陸の存在は、命の創発と進化を決定づけた。

 深すぎる海では、実際の地球がたどったように生命が生まれたかは未知数。もし生命が創発したとしても、陸地がなかったら、私たちヒトは生まれていなかった。

 というのは、海から生命が陸地に上陸することで、魚類から両生類、さらに爬虫類から哺乳類へ、その中の霊長類から人類へと、知能の発達したより複雑な生き物へと進化することが可能となったからだ。

 海と陸地の両方を備えた地球がいまあるのは、本当にちょうどいい水の量がたまたま地表にとどまった結果、つまり「奇跡」だった。私たちがこうして毎日生きているのは、そのおかげなのである。   

 みんな奇跡のような幸運でこの世に人間として生きていることが分かったら、自分を、また他人を傷つけたりしてはいけない。

 ましてや、戦争などしてはならないはずだ。

 以上を踏まえたうえで、サヘル・ローズさんの「毎日生きているのは奇跡」という言葉を味わうと、感動が深まり、戦争を否定する心がいっそう強くなるように感じる。

「代理戦争」論そして第三次世界大戦の懸念

 ロシアとウクライナとの戦争について「代理戦争」論をめぐる論戦が激しくなってきた。

 「ロシア=悪玉」VS「ウクライナ=善玉」で日本(または世界)全体が一色になるのはファシズムみたいで不健全だという意見があるが、今のウクライナの人々の抵抗を見れば、そうなって当然ではないかと思う。

 私の友人のフリーランスたちの取材でも、国民が心を一つにして家族と祖国を守るために進んで戦っている様子が伝えられている。誰かにそそのかされて、あるいは強制されて戦っているわけではない。

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(こうした発言が多くの人から聞かれるが、言わされているのではないことは明らか)


 自らはっきり「代理戦争」と明言する伊勢崎健治氏、徹底した「どっちもどっち」論の鮫島浩氏のツイートをここに挙げてみた。

 

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(「ウクライナ人に戦わせてる人たち」って? ウクライナ人が誰かに「戦わされている」とは失礼では? もっと言うと、ロシアの侵略によって戦わされているのでは)

 

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(一方的に侵略されたウクライナが抵抗を始めると「戦争当事国」になり、それを支持すると「戦争を肯定」することになるらしい)

 

 黒井文太郎氏がばっさり一言で切っている。

 

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(シリア内戦のときも「代理戦争」論が有害な役割を果たした)


 戦うウクライナの人たち―その中には息子を殺され、娘をレイプされた親もいる―の前で、「代理戦争」やら「どっちもどっち」なんて恥ずかしくて言えないと思うが・・・。

 

 以下、この間の報道から印象に残った情報。

 アゾフ海に面した要衝、マリウポリ防衛隊がロシアの兵糧攻めで風前の灯だが、ここにチェチェン人部隊が投入されている。プーチンのポチのカディロフ首長のもと、同胞のチェチェン人を残虐に統治してきた部隊が、マリウポリでさぞや酷い行為をしているだろうと思うと、たまらない。製鉄所に立て籠もる2500人といわれるウクライナ兵士らもなぶり殺しになるのではと憂慮する。

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(荒くれもの集団だと評判のチェチェン人部隊。フランスメディアの取材班がロシア側からも取材している。日本のメディアも見習ってほしい)

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(最前線の町の警察官。「私は普通の人間です。警察ですが、父や母、家族がいる普通の人間です。普通の人と同じように恐怖を感じています。」と言ったあとの言葉。自分がこんなふうに考えられるかと思うと、尊敬の念をおぼえる)

 

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(ドイツはロシアへのエネルギー依存をどうするか大きな岐路に立たされているが、ベアボック外相は武器支援を打ち出す。彼女は「緑の党」の幹部(元代表)だが、欧州では社民勢力もしっかりした安全保障政策をもつ)

 ゼレンスキー大統領はじめウクライナ要人は声をそろえて「支援してほしいのは武器だ」という。日本は国是があるから武器の供与は(残念ながら)できないが、食料や医薬品もありがたいけれど(それらを最も必要としているのは前線だが)まずは武器をくれというウクライナの要求は早く叶えてほしい。それももっと攻撃用の武器を。

 きのうのTBS「サンデーモーニング」で印象に残ったコメント。

 この戦争、どうなれば終わるんですか?とMCの関口宏に聞かれたゲストの高橋杉雄氏防衛省防衛研究所)。

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「終わるのは簡単で、ロシアがちゃんと国境線まで戻ればいいんです。

 (ロシアが)攻め込んだことを前提に、この後どうするかということではなくて、攻め込んだこと自体が国際法ではやってはいけないことですから、原点は2月24日の前に戻ることなんです。

 2月24日以降の状況を前提にして、そこから「落としどころ」をさがすのではないと私は思うんですね。」

 まさに正論だと思う。原則はそれでいいとして、ロシアにそうさせるにはどうするか・・。
 
 田中優子
「前の戦争のこと、第二次大戦や満州事変だとかをいろいろ考えるようになっている。

 アレクシエーヴィチさんというノーベル文学賞をロシアでお取りになった方が、『戦争は女の顔をしていない』という本をお書きになったことがあって、これは女性のソ連兵にインタビューしたノンフィクションなんですよ。ソ連の中に入っていたウクライナがすいぶん戦地になっているんです。で、ナチドイツと戦っていたわけです。

 いま、ロシアがナチという言葉をよく使いますよね。あれ、すごく気になっていて、当時「大祖国戦争」という名前をつけて、ロシアはナチと壮絶な争いをしていて、史上最大の戦死者を出したと言われているんです。そういうようなことをもし今ロシアが思い出しているのだとすると、この戦争ってほんとに終わらないんじゃないかっていう懸念を今持ち始めています。他の国を巻き込みながら大きくなっていって、第三次世界大戦ということになりはしないかということ。

 戦争の歴史を思い出しながら、どうやって終結したらいいのかということを私たちもっと真剣にかんがえなきゃいけないと思います。」

 かつてのソ連対ナチが今、ロシア対「ナチ」+(後ろで操る)NATOの文脈でロシアがイメージしているのは確かだろう。これは「代理戦争」論そのものだが、一般のロシア人にも浸透しやすい「イデオロギー」だ。「新大祖国戦争」・・なるほど。

 田中氏の歴史家ならではの発想に考えさせられる。

北朝鮮は何人を拉致したのか?(6・完)

 先日、「朝日新聞」8日朝刊のウクライナの首都キーウ発の記事を紹介した。朝日の記者が戦闘が収まったキーウに戻ったのは7日ということになる。

 このところ連日キーウから記者が顔出ししているNHKの場合はいつ戻ったか、録画をチェックしていたら、11日だった。

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(11日のNHKニュースより)

 2、3日前、最前線のウクライナ軍に従軍して取材している欧米のメディアの映像を観たが、画面に出てくる兵士の表情や動き、装備、住民との関係などから戦闘のリアルが見えてくる。やはり戦場取材も重要だ。

 日本の大マスコミが「危険地」から引く中、フリーランスががんばっていたが、遠藤正雄さん、新田義貴さん、藤原亮二さんなどはウクライナを離れた。フリーは予算のリミットもあるので、どうしてもヒットエンドランというか短期取材になってしまう。戦地に近づくほど、宿泊施設、車両などが高騰する場合があり、クレジットカードが使えず手持ちのドル札だけが頼りというときもある。

 いまキーウ周辺に残っている私の知り合いでは、先日紹介した伊藤めぐみさん、八尋伸さんがいる。また綿井健陽さんが「ウエークアップ」や「ニュース23」でリポートしている。

 期待しています。

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 ロシアの侵攻に激しく抵抗するウクライナに支援する動きに対して、「うーん、ロシアが悪でウクライナが善とか、そういう単純な話じゃないんだよな・・」と煮え切らないしたり顔の人たちがいる。

 篠田英朗氏は、これを精力的に批判している。ご一読を。

gendai.ismedia.jp


 映画監督の河瀨直美氏が東大入学式でのべた祝辞。

「「ロシア」という国を悪者にすることは簡単である。けれどもその国の正義がウクライナの正義とぶつかり合っているのだとしたら、それを止めるにはどうすればいいのか。なぜこのようなことが起こってしまっているのか。一方的な側からの意見に左右されてものの本質を見誤ってはいないだろうか?誤解を恐れずに言うと「悪」を存在させることで、私は安心していないだろうか?」

 これも結局「どっちもどっち」になるのでは。


令和4年度東京大学学部入学式 祝辞(映画作家 河瀨 直美 様) | 東京大学 (u-tokyo.ac.jp)
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 1963年という早い時期の拉致として知られるのが寺越武志さんたち3人が拉致された「清丸事件」だ。以下、以前のブログから引用する。

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(寺越武志さんは13歳のとき行方不明になった)

《石川県の寺越武志さんは、1963年、二人の叔父、昭二さん、外雄さんとともに「清丸」という小さな漁船で漁に出かけ帰ってこなかった。

 漁といっても、夜、岸から数百メートルのところに刺し網をしていつもなら朝戻ってくる。その夜は風のないベタなぎで遭難は考えられない。三人を探すと、数キロさきに空っぽの船だけが漂っていた。船の前方に何かにぶつかったような破損個所があった。不思議ではあったが、3人の葬式も済ませた。

 武志さんはわずか13歳。めぐみさんが失踪した歳と同じである。

 ところがそれから24年経った1987年、北朝鮮から、元気でいるとの手紙が突然届いた。昭二さんはすでに亡くなり、外雄さんと武志さんは亀城(クソン)という地方で家族を持ち、旋盤工として働きながら暮らしていた。

 武志さんのお母さん、友枝さんは、当時の社会党の代議士のつてで北朝鮮にわたり武志さんと劇的な再会をとげる。そして、63年の「清丸事件」は、遭難していた武志さんたちを通りかかった北朝鮮の船が救助したという「美談」に、母子の再会は北朝鮮の配慮のもとでの感動話にされた。》

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(清丸の舳先は大きく破損していた)

 

takase.hatenablog.jp

 

 寺越武志さんの母、友枝さんは一時拉致事件として追及してほしいと「家族会」に入って活動したこともあるのだが、武志さんから「騒ぐのはやめてほしい」と頼み込まれ、離脱した。友枝さんは北朝鮮の息子を訪ねることでよしとし、日本政府も拉致であることは確実なのだが、拉致認定しないまま今にいたっている。

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(友枝さんは北朝鮮の武志さんを何度も「訪問」してきた)


 私たちが驚いたのは、武志さんと叔父の外雄さんが、地方の町で一般の労働者として暮らしていたことだ。そして二人とも、北朝鮮の女性と家庭を持っていた。

 横田めぐみさんや蓮池さん夫妻、地村さん夫妻をはじめ、私たちが消息を知る拉致被害者たちはみな、労働党の対南工作部門(3号庁舎)の特別な管理のもと、「招待所」と呼ばれる特殊な「村」を転々とさせられている。北朝鮮の国民と結婚した人はいない。

 なぜ、寺越さんたちは扱いが違うのか。

 寺越さんたちの場合は、日本の領海に入ってきた工作船が船と衝突するなどして目撃されたから拉致する、いわゆる「遭遇拉致」だったと思われる。そして63年ごろは、日本人を拉致して工作員として養成したり、工作員の教育に使うという目的はなかったから、彼らを受け入れる特別な施設は用意されていなかったのではないか。

 日本から漁船や漁民が消える事件は少なくない。

 私は奄美大島をぐるりと回って調べたことがあるが、不思議な事件を何件か聞いた。なかには夜、凪の入り江にいたのに、翌朝、船が空っぽで人が消えていたという話もあった。もちろん北朝鮮と結びつける証拠はなく、寺越さんたちのようなケースが、どのくらいあったのかは分からない。

 寺越さんたちも、北朝鮮からの手紙が実家に届くまでは情報は皆無で、「死亡」とされていた。北朝鮮というのは、世界でも類を見ない情報統制社会なので、国全体が牢獄のようで、一般社会に拉致被害者が生活していても外の世界に知られることがない。

 とはいえ、90年代に飢餓が広がり、食べ物を得るための国境での密貿易や中国への出稼ぎ、脱北などが流行ってくると、内部情報は大量に外に漏れるようになっていった。一般国民としてくらす拉致被害者がいたとすれば、この統制の乱れをついて、日本の親族などに連絡をとることができたのではないか。いまだに寺越さんの事件しか表に出ていないのは、同じような被害者の数は多くないことを意味しているように思われる。

 8年前、ある国際機関が、日本人拉致被害者の数を「少なくとも100名」と推定したことがある。(以下、「北朝鮮難民救援基金」ニュースレターより引用。)

 2014年2 月 17 日、「北朝鮮における人権状況を調査する国連事実調査委員会」は、《日本人を含む外国人拉致や政治犯収容所など多くの人権侵害行為を余すところなく指摘し、北朝鮮が国家として組織的に「人道に対する罪を犯した」と非難する最終報告書を公表した。報告書は「人権侵害の重大性、規模、性質は現代世界で類を見ない」とし、「北朝鮮による広範な人権侵害を裁くため、国連安全保障理事会に対し国際刑事裁判所ICC)への付託」を勧告した。

 日本人拉致は朝鮮労働党の 35 号室(高世注:「対外情報調査部」のこと)が実行。日本の警察は北朝鮮による拉致の可能性を排除できない行方不明者約 860 名につき捜査を継続中とし、「北朝鮮における『人道に対する罪』を止める国際 NGO 連合(ICNK)」日本チームは拉致被害者数が少なくとも 40 名、恐らく 100 名以上にのぼると証言。調査委は少なくとも 100 名の日本人が拉致された可能性があるとの考えだ。特定失踪者問題調査会は約 280 名の拉致被害者の「可能性がある」と考え、うち77 名は可能性が「濃い」とし、調査委はその全てではないかもしれないが実際の拉致と考えると記述。》

https://www.asahi-net.or.jp/~fe6h-ktu/news8704.pdf

 ここに出てくる「北朝鮮における『人道に対する罪』を止める国際 NGO 連合(ICNK)」は、世界三大人権NGOアムネスティヒューマンライツウォッチ、国際人権連盟)と関連NGOからなる連合体。

 この団体の「少なくとも40名」はいい線だと思うが、調査委の「少なくとも100名以上」は過剰な感じがする。

 ざっと「最大で50名」を私の推測値としておこう

 こう考える理由があるのだが、今は公表できない。いずれ書けるときが来ると思う。

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北朝鮮から日本人に関する「再調査」の結果のリストが提示されたと一面で報じた「日経」上が2014年7月10日付、下が7月3日付。官邸は「誤報」だと否定したが・・)

 

(この連載はとりあえずおわります)