宮本常一歌集『畔人集』によせて2

 オリンピックを前に羽田空港の国際線の発着回数を年間6万回から9万9千回へと大幅に増やす。そのため、都心の空を通る新ルートのテスト飛行がきのうから始まった。

 《国土交通省は2日、東京都心の上空を通過する羽田空港の新しい飛行ルートについて、大型旅客機を実際に飛ばす「実機飛行確認」を始めた。正式な運用が3月29日に始まるのを前に、管制業務の確認や騒音測定をした。》(毎日新聞)

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旅客機は左下、右上に東京タワーが見える。かなり低くを飛んでいるのがわかる。(毎日新聞の動画より)

 飛行機をギョッとするほど近くに感じた人が多かったという。騒音もかなりのものだったらしい。
 この件にはいろいろな問題があるのだが、米軍基地の存在も深く関わっている。
 『しんぶん赤旗 日曜版』2019年12月22日号
 羽田新ルート 異常な急降下着陸 理由は米軍基地
 《旅客機が都心上空を低空飛行する羽田空港の新飛行ルートで重大疑惑です。国土交通省が、滑走路へ降下する角度(降下角)を世界標準の3度から危険とされる3・5度へと引き上げたのは、米軍が管理する「横田空域」が理由だった-。そんな疑いが編集部入手の大手航空会社内部資料から出てきました。事実とすれば国民の安全よりも米軍を優先したもので、国交省の責任が問われます。         安岡伸通記者

 横田空域は、東京西部にある米空軍横田基地を中心に神奈川県や静岡県、北は新潟県まで1都9県にまたがる広大な空域。米軍が管理しています。新ルートのうち、南風好天時で四つある滑走路のうちA滑走路に着陸する場合、さいたま市上空から横田空域に入り、東京都中野区上空で同空域を出るコースとなっています。
 国交省が降下角引き上げを表明したのは8月7日。「3・5度にできるかぎり引き上げることによって、飛行高度の引き上げ、騒音影響の低減を図る」と説明していました。しかし編集部が入手した大手航空会社の内部資料には別の理由が…。
 「(着陸への最終進入開始点が)横田空域内に位置している事に起因しており、横田空域内のTraffic(飛行する航空機)と垂直間隔を確保する必要がある」
 横田空域内を飛行する米軍機などと間隔をあけるには、中野区上空にあたる最終進入開始点で、3800?(約1160m)以上の高さを確保する必要がある。だから約3・5度に引き上げなければならない-。というのです。
 航空評論家の杉江弘さん(元日本航空機長)は指摘します。
 「降下角3・5度は危険です。国交省が国民や乗客の安全よりも米軍を優先したのなら、日本の空の安全を米軍に売り渡す背信行為と言わざるをえません」  野上浩太郎官房副長官は30日、米軍が管轄する横田基地周辺の「横田空域」を通過する羽田空港の新飛行ルートについて、米軍側と基本合意したと発表した。羽田への飛来便については、横田空域を通過中も日本側が一元的に管制を行うことになった。》

 

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 きょうのテレビ朝日のモーニングショーの画面より。

 横田空域は、東京、埼玉、群馬、栃木、神奈川、福島、新潟、長野、山梨、静岡の1都9県にまたがり、高度2450mから7000mまでの広大な空域。これを米軍が管理下に置いており、日本の民間航空機が同空域を飛行するには米軍の許可が必要だ。

 横田空域についてはあらためて書くが、これでは日本は独立国とはいえない。数日前の朝日川柳にこんなのがあった。

きみ知るや東都の空未だ占領下 (岐阜県 清水朋文)

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 田村善次郎さんが今年編んだ宮本常一の歌集『畔人集』には、宮本自身が1930年(昭和5年)に編集した歌集『自然に對(むか)ふ』が収められている。
 そこには、宮本が「初めて作った」という14歳のときの歌が挙げられている。

うす暗き小屋の隅にて縄なへば 雨降る軒に雀なき居り

 「初めて作った私のこの歌が新国民(国民中学会機関誌)の歌壇甲の部にのせられたのは大正十年の秋であった。それから丁度十年たつ。その間和歌らしいものを実に多く作り続けて来た。数にしたら一万を越したであろうが、苦労して作るでなく、未だ基礎の少しも出来ていない私が筆から出まかせに書くのだから一つとして録なものはなかった」
 十年で一万とは大変なペースである。
 「固より私は歌人ではない。だが歌が私のよき伴侶であったことは事実だ。そして又古い歌稿を整理したいとは早くからの念願であった。がその折りがなかった。所が本年一月より病魔とたたかふ身になり、死線をさまよふ事二回。死に直面したとき何か残したいと言ふ気持が痛切に身体内をふるはせた。そして病のややよいのを幸に急いで歌稿整理にとりかかった。」
 宮本は15歳で農家を継ぐが、その後夜学に通い、20歳で小学校の教員になる。ところが1930年(昭和5年)に肺結核にかかり、休職して故郷の周防大島で療養する。このとき、「死」を強く意識したようだ。

 「子を持った者は、死に望むまでは後々の事を考へて苦しむさうだが、死に望むと案外落付くと言ふ。反対に子を持たぬ者は、死に到るまでは比較的呑気だが、死に望んでは言ひしれぬ淋しさと焦燥を感じるさうである。子に託す自分の生命・・・つまり自分の永遠性が死を恐れしめないのであらう。実に深い言葉である。たとひこの歌集がつまらぬものであっても、私は之に永遠なるものを託したいのである。何故なら貧しいこの歌のどこにも私の姿がひそんで居るから。」1930.10.17  宮本常一

 近くに迫った「死」を前に、自らを永遠に残すものとして歌集を編んだというのだ。
 この23歳からの病気療養は、宮本常一にとって決定的な転機になったのである。
(つづく)

宮本常一歌集『畔人集』によせて

 テレビは一日中、武漢から広がった新型肺炎の騒ぎを大きく報じている。「正しく怖がりましょう」は分かるのだが、日本で中国人観光客がマスクを爆買いしている映像などが流れると、どうしても気持ちが騒いでしまう。
それを戒めるツイートを見た。

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オーストラリア在住のナースらしい

 《オーストラリアでは不必要に病院スタッフがマスクを着用することを規制しています。
 本日マスクを着用していた病院セキュリティガードが、マスクを外すよう注意されていたらしい。
 マスクで不必要に不安を煽るなと。
 年がら年中マスク着用の日本の医療従事者にはビックリな話でしょうね。》
 これはオーストラリア在住のナースの情報。

 次に、溶接の仕事をする人のツイート。
 《マスクを購入する方に》
 お願いがあります。
 コロナウイルス対策で購入する際、防塵マスクの購入は控えて欲しいです。
 私は溶接の仕事をしていますが、会社で防塵マスクがいま会社にあるだけしかないと言われました。
 今後確保できる見通しもありません。

 溶接の仕事は国で決めた基準を通ったマスクをしていないと《じん肺》という病気にかかる可能性があり、進行していくと肺がんになることもあります。
 現在治療法がなく予防することしかできません。
 ですが、その大事なマスクが購入できないんです。

 オークションなどでは1500円が11万円で売られているらしいんですが、お金を稼ぐための購入はやめてください。
 いつマスクがなくなるのか……不安なまま仕事をしていかなくてはなりません。

 ウイルス対策したいのはわかりますが、私たちの人生もかかってます。
 溶接だけではなく、他にも防塵マスクを必要とする仕事はあります。(略)》
https://twitter.com/33star28

 ツイートの情報が正しいとは限らないし、新型肺炎には不明なことがまだたくさんあるから、むしろ警戒を過剰にするくらいでいいという考え方もあろう。

 ただ、ここに紹介したような声はマスコミでほとんど取り上げられない。危機のときにはバランスをとる報道が大事だと思うのだが。
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 きのうは民俗学者宮本常一の没後39年、40回忌の「水仙忌」だった。1月30日に毎年、中央線西国分寺東福寺で開かれる。今年も40人ほどが集まり、宮本先生を偲んだ。

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 これだけの数のゆかりの人が集まるのもすごいが、毎回、宮本常一のお弟子さんの田村善次郎さんという86歳の民俗学者が、宮本先生の未発表の仕事を水仙忌のために自費出版して無料で配ることには頭が下がるし感動する。大変な労力と費用を要する仕事である。
 今年は宮本常一の和歌と俳句を編んだ本を配ってくださった。題して『畔人集』。畔人とは宮本先生の雅号で、「くろひと」と読むらしい。

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 「先生は地肌も白くはなかったと思いますが、人一倍出歩く人でありましたから、常に顔は黒く日焼けしていました。小学校の教員時代のニックネームは「クロンボ先生」でありました。自分でも自覚しておられて、新任の挨拶などでは「私は、前任校ではクロンボと呼ばれていました」と挨拶していたということです。それにちなんでの畔人でありましょうか。「畔人」という号は生涯、大島の百姓を自任しておられた宮本先生にふさわしいものだと私は思っていますし、好きな雅号でありますから、本書の表題として使わしていただくことにしました。」(田村さんのあとがき)
 表紙は、水仙の意匠とともに、故郷の周防大島の風景を詠んだ肉筆の歌だ。

ふるさとの海辺の村はかぐわしき みかん花さき春ゆかんとす

 また周防大島に行きたくなってくる。
 最後に載っているのが、亡くなった「府中病院」で詠んだ歌だ。今の「多摩総合医療センター」で、うちの近く。ご縁を感じる。

はるけくも来つるものかなわが道を病みて静に思いつつおり

 これまでの人生を先生は病床でどんなふうに振り返っていたのだろうか。

残り少なきいのちをおしみ臥しており 心にかかかることの多きに

 辞世の歌だという。安らかにこれでよしと亡くなっていったわけではなさそうだ。たくさん気にかかることをもったまま死ぬのもそれはそれでいいだろう。

(つづく)
 

アウシュビッツ解放75周年3

 みぞれの寒い日のあと、きのう今日ととても暖かい。大寒のこういう気候を「三寒四温」というが、春の兆しもちらほら目にする。
 近所の木蓮の蕾も膨らんできた。

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ああ問えばこう言うだけの首相です (神奈川県 池田 功) 30日の朝日川柳より

 「桜を見る会」に関して当初の説明を覆す「証拠」がどんどん出てくるなか、「募っただけで募集しなかった」などと訳の分からない説明に終始する安倍首相。

    参院予算委員会での首相および閣僚の答弁も不誠実きわまりない。
 「桜を見る会」の名簿廃棄の問題で立憲民主党蓮舫氏の質問。
蓮舫氏「徹底調査して名簿を出し、自分はやましくないと立証すればいい。再調査してください。」
首相「そのことは考えておりません。」

 この答弁はいったい何だ?自らが直接に関与する重大問題なのだから、ウソでも「探すよう最大限の努力をします」というべきだろう。

蓮舫氏「『政治枠』の推薦名簿を『1年未満で捨てていい』と決めたのは安倍晋三首相。この決定は正しかったか。」
首相「適切に人事課長のもとで判断されたと思う。個人情報の塊と言っていい名簿ということもあった。」

 個人情報かどうかと廃棄していいかどうかは関係ない。
 公文書管理に詳しい瀬畑源(せばた・はじめ)さん(成城大学非常勤講師)は、1年未満で捨てる文書か否かが現場の判断に委ねられている部分が多いことに「合法的に文書を捨てたり、隠蔽したりできるような状態になってしまったのではないか」と危機感を募らせるが、もっともだ。https://www.asahi.com/articles/ASN1Z3QZ5N1YUTFK00T.html
 また、「公文書管理を監視する役割を担う、公文書監察室が内閣府の中にある限り、身内を厳しくチェックすることはできない」とも危惧する。たしかにそのとおりで、内閣から独立した監視機関を作るしかない。安倍内閣のでたらめさを追求する一方で、繰り返さないための仕組みを作る議論を求めたい。
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 4年前にアウシュビッツ―ビルケナウ収容所を見学した。

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のどかな野原に見えるビルケナウ

 ナチスが過疎地であったはずのこの地へと鉄道まで敷いて送りこみ、抹殺に励んでいた人々は、権力を脅かす「敵」でもなんでもない人々である。当時、すでにまとまった「反対派」は消滅させられていた。その異様さが恐ろしい。

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左手が「死の壁」。ここに収容者が並ばされて銃殺されたという

 ハナ・アーレントの『全体主義の起原』(みすず書房)は、「全体主義」においては、「テロルは国内における反対派の衰退とともに衰えず、反対に強化される」と指摘する。
 いないはずの「敵」が大量に逮捕され殺されていく。そのテロルの中心に強制収容所がある。
 その歴史を繰り返さないよう、史跡を残し、語り継ぐことはとても大事だ。

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多くの子どもたちが犠牲になった

 北朝鮮が解放された暁には、政治犯収容所が、「人道に対する罪」の史跡として残されてほしい。

アウシュビッツ解放75周年2

 26日(日)の朝日歌壇に、常連の上田結香さん(東京)の入選した1首。

「糸口は必ずあります一つだけ」繭を手に説く製糸場のガイド

 彼女の日常をズバッと詠む歌には素直に共感できるので楽しみにしている。

無心に咲く桜が一番かわいそう変なことに利用されて(1月15日)
葬儀にて「私の時にも頼むわね」母の言葉を冗談と聞いた日(1月15日)

そこに行けばなんとかなるの、実家とはそういう場所だ もうないけれど(12月1日)
今までで一番父と語り合った 意識がなかった最期のひと月(11月17日)
年とれば化粧水が浸透せず人の意見も受け入れられず(11月3日)
親だから私の短所を熟知して喜々として責める老いの恐ろしさ(10月27日)

 上田さん、以前は子どもさんを詠んだりもしていたが、最近は親の看取りなどへと、人生の節目の移り変わりが歌に現れている。元テレビ朝日のアナウンサーだそうだ。
 新聞の入選作から、それぞれの歌人がどんな境遇の人なのか、想像するのも楽しい。
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 アウシュビッツ=ビルケナウ強制収容所の解放75年についての記事。

 《「私は歴史的な罪の重荷を背負ってここに立っている」「ドイツ人は歴史から学んだと言えたらよかったが、憎悪が広がる中、そう語ることはできない」――。ナチス・ドイツによるホロコーストユダヤ人大虐殺)を象徴するアウシュビッツ強制収容所の解放から75年になるのを前に、エルサレムホロコースト記念館で23日、ドイツのシュタインマイヤー大統領が、こんな言葉で記憶と教訓の継承を誓った》
https://www.asahi.com/articles/ASN1S7TC2N1SUHBI02P.html?iref=pc_rellink_01

 これだけ時間が経ってなお、ドイツの大統領が痛切な反省の弁を述べることに、「さすがだな」と思うと同時に、反ユダヤ主義の蔓延への危機感を感じる。

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クレマトリウム(死体焼却場) ソ連軍が近づき、SSが逃げる直前に破壊したという

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クレマトリウム慰霊碑"To the memory of the men, women, and children who fell victim to the Nazi genocide. Here lie their ashes. May their souls rest in peace"とある。正面には遺骨の灰が残る水溜りが見える

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ユダヤ人を収容したバラック。棚のスペースに2~3人が寝かされたという

 目を引いたのは、「オランダ首相、ナチス虐殺で初めて謝罪」というニュースだ。
 オランダのマルク・ルッテ首相は26日、アムステルダムで開かれたホロコーストの追悼行事に出席し、《第2次世界大戦中にナチス・ドイツからユダヤ人を守らなかったとして、同国首相として初めて謝罪した。》
 《オランダがナチスに占領されていた時期、ナチスに抵抗した政府職員もいたが、大多数は言われるがまま行動したと述べた。
 そのうえで、「私たちの国に生存者が残っているうちに、オランダ政府を代表して、当時の政府の行為について謝罪する」と表明。
 「どんな言葉もホロコーストほど極悪でひどいことを表現できないとわかったうえで、謝罪する」と付け加えた。
 今回の表明は、オランダのユダヤ人コミュニティーが長年、求めてきたものだった。
 同国にはホロコースト以前、約14万人のユダヤ人が暮らしていた。しかし、ナチスとオランダ人協力者たちによって、75%近くが殺害された。
 オランダ政府はこれまで、強制収容所を生き延びたユダヤ人が帰国した際に受けた扱いについて、謝罪している。
 しかし今回ルッテ氏は、オランダ政府がナチス占領下で、ユダヤ人などの迫害に役割を果たしたと初めて認めた
 ルッテ氏は追悼行事で、「私たちは、どうしてこれが起きたのかと自問する」と述べ、こう続けた。
 「全体として、私たちがしたことはあまりに少なかった。十分に保護せず、助けず、認識しなかった」》https://www.bbc.com/japanese/51260022

 欧州でさえ、政府を代表しての謝罪にこれほど長くかかっているのか・・・。それでも、着実に前に進んでいることにオランダの市民と政治家の誠実さを感じる。

 日本では、関東大震災で虐殺された朝鮮人犠牲者らを追悼する式典に、小池百合子都知事が3年連続で追悼文の送付を見送るなど、むしろ逆行した動きが見られる。あの虐殺には一般の市民だけでなく公権力が関与していたのに。
 韓国や中国を貶める雑誌や本がずらりと並ぶ最近の本屋の店頭を見ながら、うそ寒いものを感じる。

アウシュビッツ解放75周年

 ゆうべは、みぞれから深夜は雪になったようで、朝近所の車の上にうっすらと白く積もっていた。
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 新聞に「山形市百貨店ゼロに」との見出し。
 ついにあの「大沼」がなくなったのか・・。残念だ。
 《創業300年を超す老舗で、山形県内唯一の百貨店「大沼山形本店」(山形市)が26日の営業を最後に閉店し、同店を経営する大沼(長沢光洋・代表取締役)は27日、山形地裁に自己破産を申請した。日本百貨店協会によると、全国の県庁所在地で協会加盟の百貨店がなくなったのは、山形市が初めてという。
 同店は市の中心街にあるデパートとして、長年県民に親しまれてきたが、郊外型店舗との競争激化やネット通販の拡大などで売り上げが減少。経営再建を進めていたが、昨秋の消費税率引き上げで業績悪化に拍車がかかり、資金繰りに行き詰まったという。》(朝日)

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 閉店時の従業員は191人で、26日付で全員解雇されたという。経営再建中だったが、去年には米沢店が閉店していた。
 大沼は1700年創業で、現存する百貨店では、1611年創業の松坂屋、73年創業の三越に次ぐ老舗だそうだ。本店は山形市中心市街地、七日町の角にあり、そのはす向かいにあったライバルの「丸久」デパートとともにまちの賑わいの象徴だった。たぶんお子さまランチというのを初めて食べたのも大沼だし、中高時代に友達と屋上の遊園地をひやかしたり、若いころのいろんな思い出とともに大沼はあった。
 故郷を離れて長い私がショックを受けているくらいだから、地元は行政も含めて動揺は大きいだろう。田舎の商店街が寂れていくさまに胸を突かれる思いがする。
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 きのう27日は、ナチス・ドイツアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所旧ソ連軍によって解放されて75年にあたる。収容所跡地では追悼式典が行われ、ホロコースト(大虐殺)の生存者や各国首脳が出席した。

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入り口にarbeit macht frei(働けば自由になる)

 他の民族や国に対する優越を掲げたナチス・ドイツは、約600万人のユダヤ人を虐殺。ほかにも、多数のポーランド人やソ連人捕虜、ロマ人、同性愛者、障害者などが殺害された。
 アウシュヴィッツ=ビルケナウ収容所での犠牲者は約110万人。その9割がユダヤ人だった。多くのホロコースト生存者が出席できる大規模な追悼式典は、今回で最後になる可能性があるという。https://www.bbc.com/japanese/51275926

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死体の焼却炉

 見逃せないのは、ユダヤ人を狙う暴力などの犯罪は今も世界各地で起きており、むしろ増えていることだ。
 フランス国内で起きる反ユダヤ主義的行為の数は、2017年の311件に比べ、2018年には74%増の541件に増えている。
 ドイツ内務省によると、反ユダヤ主義に絡む犯罪は、ドイツ国内で13年から18年に40%以上増えた。
 また、人種差別などの状況を調べる欧州基本権機関(FRA)の18年の調査によると、回答した欧州の1万6千人のユダヤ人のうち、89%が「反ユダヤ主義が過去5年の間に自国で増えた」と回答した。さらに、危害を加えられる危険などを感じ、移住を考えたりしている人は、ドイツとフランスでそれぞれ46%、ベルギーで44%だった。半分近くが移住を考えるほどの身の危険を感じていることに驚く。

 その一方で、アウシュビッツ・ビルケナウ博物館への訪問者は年々増え、2019年は過去最多の232万人を記録した。
 ヘイトや反ユダヤ主義が広がるなか、それだからこそ、歴史の事実を見つめ直す意義があると考えている人も多くなっているということだろうか。私が4年前に訪れたときには、スタディツアーの若い人たちがたくさんいた。とても熱心に学ぶ姿に頼もしさを感じた。

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多くの若者が熱心に見学していた(2016年5月)

 《博物館のピヨトル・ツィビンスキ館長は「訪問者は過去を学ぶだけでなく、激しく変化する現代社会の答えの一つを求めているのではないか」と話す》(朝日新聞)。
https://www.bbc.com/japanese/47288922

日本人が見た香港デモ2

 放送案内です。
 明日25日(土)のTBS「報道特集」で2回目のイラン特集が放送されます。

 【イランとアメリカ〜対立の原点】
 トランプ政権が核合意から離脱し再び経済制裁を受けるイラン。アメリカとの長年の対立、その原点とは?焦点となるホルムズ海峡の現状は?金平キャスターのイラン報告第二弾。

 ジン・ネットはこの特集取材に協力しています。ご覧ください。
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 先日、青森県の八戸に初めて行く機会があった。でも、街を回れるのはわずか2時間しかない。あの偉人がいた!と思い立って訪れたのが「安藤昌益資料館」。

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資料館は酒蔵の蔵にあった

 革命的な思想家だったが、歴史に埋もれていたのを、ようやく戦後になって外国人が紹介(ノーマン『忘れられた思想家』岩波新書)して知られるようになった。
 昌益は「身分・階級差別を否定して、全ての者が労働(鍬で直に地面を耕し、築いた田畑で額に汗して働くという「直耕」)に携わるべきであるという、徹底した平等思想を唱え」たとされる。(wikipedia)彼についてはあらためて書くが、型破りで画期的な哲学をもっていた。出身は秋田藩で、八戸で医業を開業していた。東北の田舎から、こんなとんでもない思想家が生まれたことがおもしろい。
 資料館は酒蔵「八鶴」が無償で貸している米蔵にあり、係りの女性が丁寧に説明してくれる。飽きないように、ときおりクイズをはさむ。例えば、昌益は造字をたくさん考案していたが、男と女を一緒にした「男女」という字を何と読むか。

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丁寧に解説をしてくれた

 答えは「ヒト」。私はクイズ三問すべてに正解し、「あらーお客さん、全問正解はめったにいませんよ」などと褒められ賞品(本のしおり)をいただいた。

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『自然真営道』の精巧なコピー

 残念なことに、訪れる人は日に2~3人でほとんどが県外からだそうだ。地元の人は関心がないという。資料館の運営に自治体や公的団体からの支援はなく、酒蔵の善意と「安藤昌益資料館を育てる会」のボランティア精神で維持されている。館内には銘酒「八鶴」が置いてあり、利き酒もできる。お酒の売り上げが維持費のほんの一部になっているようだ。八戸に行く機会があれば、ぜひ立ち寄ってみてください。
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 香港の若い人がなぜ闘い続けられるのか、現地滞在19年の日本人、小出雅生さんの見方を紹介している。まずは「前線」で闘う若者を支える市民の層が非常に厚いことが指摘された。つぎに―
《よく日本の人に聞かれるのが、どうしてそこまで闘えるのか、というのがある。特に、今運動をやりすぎて将来が台無しにならないのかという意見もよく聞く。簡単にいえば、仕事はクビになっても再就職できるが、一度、香港が香港でなくなると、取り返しがつかない、といことで優先順位が違うのである。前提条件として、香港では、年功序列にはなっていないし、転職を重ねることで、キャリアを積み、給与も高くなっていくので、転職自体には何の問題もない。それどころか、若い人たちは就職しにくく、また就職しても会社の都合で解雇になることも多いので、仕事のことを気にして抗議活動を控える人は少ないのではないかと思う。ただ、八月後半以降、警察がデモに関して不許可にすることも増え、空港やショッピング・モールなども警察の介入で安全ではなくなってきているので、警察が手薄、あるいは来ないうちに一気に抗議活動をして、退散する人も増えているように思う。特に緊急法を使って覆面禁止を政府が発表してからは、セントラルなどのオフィス街で昼のランチタイムを使ったデモも相当数行われている。》
陸中国から逃げてきた人や先祖が多い香港人は、「組織」に頼ることがない。中国共産党への反発を小出さんはこう記している。
《組織というものが破綻している場面でどう生き抜くか、その経験からだと思うが、香港では国籍さえも商売道具になる。実際に、知り合いには、ミャンマーに生れた華僑がいる。そして、80年代の社会不安の中香港に逃げてきて、商売を始める。さらに、香港の中国返還に伴い、中国籍になり、その後、リーマンショックの直前にカナダに移住し、現在はカナダ国籍である。そのあたりも、「故郷に錦を飾る」日本人的な感覚とはずいぶん違うように思える。(略)
香港は、自由港として栄えてきた。海には国境がない。国の枠を超えて、直接自由につながれることが香港を経済的に成功させてきたのではないかと思う。そして、そこに集まった住民たち。本人、あるいは本人の先祖は国に見捨てられた存在として、国に頼らずに生き抜いてきた。そういう意味で香港人の気質とナショナリズムは非常に相性が悪い。個人主義は基本の香港人にとっては、かの国のナショナリズム権威主義的で古臭い話に思える。それらは過去に乗り越えてきたことで、今さら何をいっているのかという感じなのだ》(『香港危機・・』P256-257)
(つづく)

日本人が見た香港デモ

 もう大寒(だいかん)で、最も寒い時期とされる。だが、今年は暖冬で雪が異様に少なく、山形のスキー場も困っているという。行政も支援にのりだした。
 《山形県は16日、「記録的な暖冬・少雪に係る金融支援」を発表した。中小企業を対象に5000万円を限度に運転資金を貸し付けるほか、同日付で県庁内に特別金融相談窓口を設けた。暖冬・雪不足に対応した支援策は同県初で、スキー場や旅館など観光事業者のほか、除雪に携わる建設事業者を支援する》(日経)

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きのう岩手県でこの冬初めての雪を体験した


 20日から初候「款冬華(ふきのはな、さく)」。フキノトウが出てくるという意味。
 次候「水沢腹堅(さわみず、こおりつめる)」が25日から。池や湖が凍りつくという意味だが、今年は外に置いてあるバケツに氷が張ったのは、まだ19日の一回だけだ。
 末候「鶏始乳(にわとり、はじめてとやにつく)」が30日から。春の気配に鶏が卵を産み始めるということらしい。裸木の梢に新芽が見えたりすると春に向かっていることを感じる。
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 香港では年を越し、運動開始から8か月目に入ってもなおデモがつづく。なぜ、こんなにがんばれるのかと他人によく聞かれる。私も考えつづけているが、香港に住む日本人の見方を知りたくなる。

 先日紹介した新刊『香港危機の深層』に、香港中文大学講師で現地滞在19年の小出雅生さんがデモの「体験者」として「私の見てきた香港デモ」を寄稿している。若者ががんばれる背景を理解するのに参考になる箇所を紹介したい。

 《・・日本で報道されているような「過激なデモ隊」の背後には、非常に多くの市民が自分のできることをできる範囲で抗議活動を支え続けていることも忘れないでいただきたい。
 例えば、六月と八月に世界中の主要紙に意見広告を出したことがあった。それらの資金はすべて一般市民からの寄付で賄われている。一つの目標があれば、違いを乗り越えて大同団結できるのも香港のいいところだと思う。それぞれの分野に詳しい人たちが連絡を取り合って、必要なことを募り、非常に実務的に仕事をしていく。一緒にやっていて快い。
 八月後半になり、MRTに問題が出始めると(注:MRT(香港の鉄道)が若者たちに運行妨害されて動かないことがよくあった)、自家用車を持った人たちが遠くに住むデモ参加者を送り届けるようなことも行われている。また、前線のデモ参加者があまりきちんと食事をとれていないことが問題になると、スーパーやマクドナルドのクーポン券を集め、デモ参加者に配る活動も行われている。さらに機動警察との衝突が頻発し、思い通りに帰宅したくてもできないような状況が多くなってくると、旅行業をやっている人たちが連絡を取り合い、九月以降大幅に値下がりしているホテルの部屋をまとめて借り上げ、警察からの追及をかわすように、着替えてシャワーを浴び、さらには翌朝まで無料で宿泊できるように手配するボランティアグループも出てきている。けがをしたら医療班もボランティアだし、逮捕されても弁護士もボランティアだ。しかも、募金活動を通じ、今後予想される裁判費用の準備も行われている。とにかく、支える層が厚いのだ。》

 深夜、デモ隊と警察がにらみ合っている現場で、ハンバーガーや飲み物をたくさん買い込んでデモ隊に配っている人たち(たいてい女性だった)を何度も見かけた。私自身もフィッシュバーガーをほとんど押しつけられるようにしていただいたことがある。
 自分は「前線」には立てないが、がんばってね、と応援する人々がたくさんいることは実感としてよくわかった。
(つづく)