11月15日で13歳だった横田めぐみさんが北朝鮮に拉致されてから47年になる。
12日、母親の横田早紀江さんは会見し、政府に苦言を呈した。
「言いようのない、いら立ちと本当によくもこんなに長い間、政治とは何なのだろうという思いと、今までの長い間、本気度がなかなか見えないので」
石破首相は、拉致被害者家族が会う13人目の総理大臣。これまでと同じ方針では打開できない。拉致問題を膠着させた一つの要因は安倍路線だと私は考えている。経済でアベノミクスからの脱却が必要になっているが、石破首相には拉致問題でも脱安倍路線をやってもらいたい。
一方、拉致被害者で新潟産業大特任教授の蓮池薫さん(67)が11日、同市で講演した。蓮池さんは「北朝鮮の主張のうそを暴いて、真実は何かをしっかり押さえることが、ぶれない救出運動につながる」と訴えた。
そのとおりなのだが、同時に拉致問題の進展を妨げている日本政府のうそも暴いていきたい。
北朝鮮工作員の辛光洙(シン・グアンス)は、1978年に福井県小浜市から地村保志さんと濱本富貴恵さんを拉致した。また80年に大阪から原敕晁さんを宮崎県の海岸に誘って拉致し、原さんに成りすましていた。
辛光洙は横田めぐみさんの拉致にも関与しているとの説がある。この出元は曽我ひとみさんの証言だった。北朝鮮に拉致されていったあと、めぐみさんとひとみさんは同居した時期があった。その時の教育係が辛光洙で、二人に朝鮮語や文化、思想、さらには日本語で数学や理科も教えていた。辛はひとみさんと二人になったとき、「あの子(めぐみさん)を連れてきたのは私だ」と言ったという。ただ、ひとみさんによれば、辛光洙がはじめて二人が暮らす招待所に来た時、めぐみさんは初対面の感じだったとも語っている。辛光洙が横田めぐみさん拉致の実行犯かどうか、いまだ真偽は不明である。
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辛光洙と朴春仙さんの会話(00年1月9日ソウルにて)のつづき
(注)この一連の会話では朴春仙さんの兄が登場する。朴さんの兄弟姉妹6人のうち、彼女と妹だけが日本に残り、4人が北朝鮮に渡っていた。
次兄の安復(アンボク)は在日朝鮮中央芸術団(のちの金剛山歌劇団)のスタートして活躍していた。北朝鮮では芸術団の活動が評価されたのか、平壌放送の日本向け放送のアナウンサーに抜擢されている。朴さんはラジオで兄の声を聞くのが楽しみだったという。
ところが、1978年秋に北朝鮮から「盧」という変名で辛光洙からの手紙が届いたことから、朴さんと兄の運命が変わる。「盧」は、過去に預けたお金を横浜のある人に渡すよう朴さんに指示。そのお金を知人に持ち逃げされ、一文無しだった朴さんは、兄の安復に「盧」の住所を訪ねて、お金がない事情を説明してくれるよう頼んだ。兄からは「留守で会えなかった」との手紙が来たが、しばらくすると、兄の声がラジオから流れなくなり、連絡もつかなくなった。安復は政治犯収容所に入れられ、85年2月に辛光洙が韓国で逮捕されたあと、同年8月、「スパイ」容疑で銃殺されていたことが後に判明する。朴さんは自分が辛光洙と関わったことが兄の死を招いたと嘆くのだった。
辛光洙:死んだらそこに言わなきゃ。なぜ私に手紙を書き、・・・私とは関係ないでしょ。お兄さんと私は知り合いかね?私は知らないよ。
朴春仙:会いませんでした?北朝鮮に私が行ってきました。
辛:行ってきてもお兄さんと私は関係ないよ。
朴:私が手紙を出しました、兄に。
辛:お兄さんが死んだなら。・・・死ぬはずがないじゃないか。しかも自分が・・。日本の内閣に内閣情報室というものがあるみたいだが・・・。ここに「帰国者」たちに一部、日本のスパイ業務を与えて送り込ませたということを我々は知った。
朴:私の兄じゃないでしょ。
辛:それは分からない。それは分からないが、とにかくスパイ活動をして北の軍事施設だとか、朝鮮民主主義人民共和国の秘密を日本に渡し、発覚したのだろう。日本からやってくる観光者、商工人に手渡したとか、またはそこで無線を打っただとか。
朴:私の兄がそこでそんなことをしたというのですか?違うでしょ。
辛:それは分からない。私も日本で重要なことは日本で無線を打ったよ。だから、私は捕まり次第、死刑にされる。だが、南にいる人の大多数が反対するから圧力によって死刑執行ができなかった。お兄さんがそこで死刑になったとしましょう。私はここで死刑にされそうになったが、・・・ここでは民主人士という。「ミンガヒョプ」だとか民主人士が死刑をさせなかったから、生き残れたのだ。ここの学生たちがみんな民主人士だ。
(注)朴さんに同行取材し、ともに「出会いの家」に入った千田ディレクターによれば、ここは非転向政治囚の支援団体の寮のようなところで、同居する高齢者たちがおり、直接話した二人は「非転向政治囚」だった。学生たちも出入りしていたという。
辛:私も同じスパイ活動をしたから、私も死に、あなたのお兄さんも死にそうになったが、私は生き残れたのだ。私はここの人々のおかげで生き残れたわけだが、死のうとしたら、ここで死んだら南に来て逮捕され、日本の警視庁、安企部が苦しめて私が死んだということになる。ここで私を追いかけまわしている連中はカカシで、操り人形みたいなもので、誰が操りをしているか私は知っているということだ。私が死ねば、操り人形も使用価値がなくなって、送らなくなるだろうし。72歳まで生きたが、私は死のうとしたけれど、(韓国の当局が)死なせず、この家まで来たが、死ぬしかない。私が死んでしまえば再びやってこないだろう。
朴:いいえ、先生。
辛:何を言う。一番重要な祖国をけなし・・・。(お前に)文章を上手く書く能力がありますか。それは日本の有名な文筆家を雇って分厚い本を書かせたんだ。本は自分が書かなきゃいけない。立教大学の人が書いてどうする。良心的に書かなきゃ。他人が読み上げたものを書いて・・・。
朴:私が書いたのではありません。
辛:ここに名前が・・誰になってる?
(注)辛光洙は黄色い韓国語の本を手にして話している。この本が何かは不明。朴春仙さんの著書の韓国語訳か、あるいは辛と朴さんの関係に触れた別の本なのかもしれない。
辛:世の中すべてに。平壌だけでなく、辛光洙だけの問題ではない。朝鮮総連にいる人はみんな騙された。「私も兄も朝鮮総連にいたのに、北朝鮮に行ってみたらスパイに追いやられて殺された」(と)朝鮮総連にいる人を民団に切り替えさせる重要な役割をした本を。北朝鮮だけでなく、南にいる学生たちをはじめ、世界にいる良心的な人々は歯ぎしりをして悔しがっているよ。この人々のおかげで私が生き延びたんだが・・・。
なぜこんなにしつこく追いかけまわすんだ。人間、機転が利かなくちゃ。本当に私を擁護する人々はじっと息を潜めている。私が合法的に外交官、貿易商として日本に行けないのを知っているから。
もう歳で、日本に行けないが、カツラだとか、顔を隠して、(もし日本に行ったら)日本をよく知っているから・・・、そのとき「自分に会ってくれるだろう」と待ち望んでいる人が大勢いる。お金はもとより手紙一枚送らないのに。反共産主義の理論を広め、反共産主義の本を出し、お前の後ろにいるのは誰だ?
どっちにせよ、(お前は)今は共産主義者ではないでしょ。共産主義者じゃないのになぜ、このようにして共産主義者を訪ねてくるんだ。それは変質させようと訪ねてくるのではないかね。
私は共産主義者として働き、・・私も人間だから、利己主義が多かったが、政府が「共産主義者ともあろうものが」と言って死刑を言い渡せば、私は死にますよ。清い共産主義者を資本家に変えようと追いかけまわすの? 冗談じゃない。
朴:違います。先生、誤解をたくさんしている。
(つづく)