とんでもないことが起こりそうだ・・・次期トランプ政権の閣僚人事の顔ぶれを見て、こう思ったのは私だけではないだろう。
人間活動による温暖化を「信じない」と公言するトランプ氏はエネルギー長官に油田サービス会社CEOを指名。気候変動対策の国際的枠組み「パリ協定」から再離脱するだろう。厚生長官には反ワクチン活動のケネディ氏だと・・。「二十四時間以内に停戦させる」というウクライナや、イスラエルによる掃討作戦を「仕上げるべきだ」とするパレスチナ・ガザでは、国際人道法が完全に無視される事態も予想される。
ただ同時に実施された各州の住民投票では、10州で中絶の権利を法的に保障する提案が出され、これまで中絶が全面的に禁止されていたミズーリはじめニューヨークやアリゾナなど7州で勝利した。フロリダでは賛成が57%と多数だったが、可決に必要な60%に届かなかったという。個別のイシューではトランプ氏の主張が受け入れられたわけではないようだ。なぜ、トランプが(なぜトラ)をさらに考えてみたい。
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辛光洙(シン・グァンス)は五男二女の末っ子で、兄弟姉妹のうち、北朝鮮に行ったのは彼一人。他はみな韓国に住んでいたのだが、全州刑務所に収容されていたとき、辛光洙が面会に応じるのは段番目の兄、辛チャンス氏だけだった。そこで彼に会おうと、朴春仙(パク・チュンソン)さんと私たちジン・ネットの取材班は、軍事境界線に近く日本海に面した港町、注文津(チュムンジン)に向かった。海へ落ちていく急勾配の斜面にある古い農家にチャンス氏は住んでいた。
声をかけると、アポなしで訪れた私たちに会うことをチャンス氏はいやがった。辛光洙事件で一家は大きな傷を負っていたからだ。「北のスパイ」の親族と後ろ指をさされ、就職が取り消された家族もいたという。だが、朴さんが光洙と暮らしたいきさつを話すうち、互いに親戚のように打ち解けてきた。
チャンス氏によると、光洙は根っからの共産主義者ではないという。「向うに家族がいるので、言いたいことも言えない」と泣きながら言うのを聞いたという。「非転向」の理由は北に残した家族を守りたいからだとチャンス氏は言う。そう信じたいチャンス氏の願望も交じっているだろうと思いながら話を聞いていた。
辛光洙は朝鮮戦争で攻め込んできた北朝鮮軍に加わってそのまま北に行ってしまうのだが、光洙のすぐ上の兄、チョルス氏は韓国軍に志願してパイロットとして参戦し、戦死していた。チャンス氏はその死を嘆き、骨を拾えないならせめてチョルス氏の眠る近くにと、軍事境界線まで80キロのこの地に移り住んだのだという。兄弟が敵味方に分かれて戦い、一人は戦死し、一人はスパイで捕まった。話をするうち、感極まったのか、チャンス氏は突っ伏し、床を拳で叩きながら泣き出した。あとで日本語に訳してもらうと、こう嘆いていたそうだ。
「わが一族の運命は、どうしてこんなに険しいのか・・・」
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辛光洙と朴春仙さんの会話 つづき
朴春仙:じゃあ先生、私が四回も(刑務所に)行ったのに会わなかったのは、そのことを怒ったからなんですか。
(注)朴さんは、全州(チョンジュ)刑務所に収監されていた辛光洙に4回、差し入れをもって面会しに出向いたが、すべて拒否されて会えなかった。辛の「正体」を確認し、兄をなぜ助けてくれなかったかなど、胸につかえていた疑問をぶつけたかったという。
辛光洙:そうだ。民族反逆者なわけだが。(中略)
わが朝鮮民主主義人民共和国を非難するのは民族反逆者だ。もともと日本の親日反逆者が政権を握っているのは、南の政府だ。愛国者が日本の植民地時代に満州で武装を破って戦ったのが抗日遊撃隊だ。抗日遊撃隊が朝鮮民主主義人民共和国のルーツだ。このルーツを否定し、日本の奴ら、米国の奴ら、ここにいる親日派の手先になって、我々を非難する本を書き、文章を書いていること自体が民族反逆者じゃないかね。
朴:先生、じゃあね、いま北朝鮮でたくさんの人が餓死しているのに・・・先生は愛国心に燃えて大変な仕事をしているのに、北朝鮮のやってることはめちゃくちゃだってこと。
辛:そんな話をなぜ私にするんだ。めちゃくちゃであれ、くちゃくちゃであれ、関係ない。なぜそんなことを私に言うんだ。私が誤解しているのか。誰が誤解しているのか、見てみなさい。世界というものは、人間というものは、もともと・・・とにかく、原始社会で人間がサルのように過ごしていました。次第に奴隷社会、封建社会、資本主義社会。
資本主義社会から金持ちは良い暮らしができ、お金がない人はずっと差別を受けなければいけない。民族的な差別、男女差別、人種差別をするから、差別を克服するために、社会主義、共産主義になるんだ。だから、私を説得しようと、(朴さんが持参した衣類など辛へのお土産を指して)これを何のために持ってきたんだ。
朴:娘が買ってくれました。「先生に持ってってやれ」って。これだけでももらってください。
(注)朴さんの3人の子どもも幼いころ辛光洙と一緒に暮したことがある。
辛:嫌だね。
朴:(辛光洙の)お兄さんの写真です、これは。
(注) 1997年4月に朴さんが辛光洙の兄チャンス氏を訪ねた時の写真を見せようと持参した。
辛:いらない。私は徹底して朝鮮民主主義人民共和国の共産主義者なのに、私たちをけなし、世界中にあることないこと話して。
朴:ほんまに先生、分らず屋やね。私が裏切ったん違うのに・・・。
辛:裏切りをしなかったなら、なぜ、今も私の前でこんな風に話して。
朴:先生、私が裏切ったん違う。
辛:頭の中がごちゃごちゃになってしまったけど、人間、礼儀道徳がなくちゃ。
朴:先生を裏切ったのは、先生の仲間でしょ。
辛:いま、ここで私になんと言った? 「いま、共和国では人々が飢え死にして・・・」
朴:飢え死にしている、ほんとうに。
辛:そのような話を監獄で、『朝鮮日報』がそんなことを書いていることを私が知らないとでも思っているのかね? そんなことを私に話してどうしようというんだ。
朴:先生は一生、私を誤解してる。
辛:私に朝鮮を裏切れと言っているのが、それが私を裏切っているのではないか。
朴:それなら先生も裏切ったじゃないの。
辛:裏切った? 朝鮮が私を裏切ったのでもなく、私も朝鮮を裏切らないということだよ。なのに私を民族反逆者にさせようとしているんじゃないか。
朴:違います!
(つづく)