ガザ攻撃のジェノサイド裁判始まる

 能登半島地震では町一番の総合病院でトリアージを迫られる状況だったと知り、驚いた。まだまだこの震災についての認識が不足していた。

 地震が起きた直後の1日夕方、輪島市内で唯一の総合病院で災害拠点病院に指定されている市立輪島病院には多数の患者が押し寄せパニック状態になっていた。医療機器が壊れ、手術もできない状況に陥る。医師らは治療の優先度を決めるトリアージを実施して、救命の見込みがない数人の患者には黒いタグをつけた

 トリアージとは救急医療の現場で治療の優先度を決めることで、通常4段階ある。赤は優先順位1位の重症で「直ちに治療しなければ命が危ない患者」、黄は優先順位2位で重傷だが待機できる患者、緑は軽症で救護所での治療のみ、黒は「処置不能だ。

 品川誠院長が担当した黒タグの90代女性は、家屋の下敷きになって24時間後に救出されたが、両脚が壊死し、2日夕方の段階でクラッシュ症候群によるショック症状を引き起こしていた。医療機器が壊れ、切断手術はできない。夕方でヘリは飛ばせない。車だと金沢市の病院まで8時間かかる。そして運ぶ順番は助かる可能性の高い人を優先せざるをえない。

 女性の家族に相談すると、家族は「搬送途中で亡くなるくらいなら、せめて私たちがいるところで」と話した。女性は輪島病院で息を引き取った。(以上は15日の『朝日新聞』朝刊の記事より)

 状況の厳しさにより治療が受けられず、目の前で亡くなっていく家族を見守るのはさぞつらいことだろう。

 地震被害の酷さを知るにつけ、ガザの想像を絶する事態を思う。

 イスラエル軍の爆撃や地上侵攻の犠牲者はすでに2万4千人超。瓦礫の下で放置されている遺体が7~8千柱あると推定され、死者総数はゆうに3万人を超える。

「病院周辺への攻撃で救急車がすべて破壊され、医薬品も底をついている」と悲痛な訴え(サンデーモーニングより)

子どもたちの惨状に、「これほどの危機は例がない」とユニセフNHK国際報道より)

国際司法裁判所での審理がはじまった(サンモニより)

提訴したのは南アフリカNHKより)

 国際司法裁判所では、ガザ地区へのイスラエル軍による攻撃がパレスチナ人へのジェノサイドにあたるかどうか判断する審理が始まった。提訴したのは南アフリカ今後、イスラエルに軍事作戦の停止などを命じる暫定措置が示される可能性があるという。

 このニュースに、サンデーモーニング』(TBS14日)で、渡部カンコロンゴ清花さんが的確なコメント

「民族の大量虐殺についての裁判ということですが、日本はこのジェノサイド条約未批准の国なんですね。世界で153カ国が入っているこの条約に、日本は批准も署名も加入もしていないという状況です。

 『人権外交』とか言っている場合ではなく、そもそも同じ議論の土台にもいま立てていない。なので、上川外務大臣の在任中には、国内法の整備がまだ追いつかないからと(いう理由を)ずっと繰り返されてきたので、どうにかそれを整備して、ジェノサイド条約に入るということへの尽力をコミットしてくださいということを伝えていきたいと思います」。

 そのとおり!

毎回、原則論をびしっと語る。いまの日本には原則論が重要だ。(サンモニ14日)

 ジェノサイド条約とは「集団殺害罪の防止および処罰に関する条約」(Convention on the Prevention and Punishment of the Crime of Genocide)のこと。

ユダヤポーランド人の法律家ラファエル・レムキンによって新しく造られた「ジェノサイド」は、レムキンの活動でもあって、ニュルンベルク裁判でナチス・ドイツが行ったユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)に対して公式に使用された。さらにレムキンは、これを法的な規制とすることを望み、新設された国際連合に国際的な条約とすることを積極的に働きかけた。(略)

 その後、ジェノサイド再発防止のためのジェノサイド条約が、1948年12月9日、第3回国際連合総会決議260A(III)にて全会一致で採択され、1951年1月12日に発効された。締約国は、152カ国(2023年4月現在)である。」

ジェノサイド条約 - Wikipedia

 もともとユダヤ人虐殺にルーツをもつ条約だ。1951年発効というと、私の生まれる前。そんな条約に入っていないこと自体、「先進国」でもなければ、「普通の国」でもない。

 日本はさまざまな分野であまりにも遅れているのだが、とくに人権関係ではもう「停滞」じゃなくて、世界から「脱落」しかかってるぞ!