ジャニー喜多川問題を報じなかったマスコミの罪3

 そろそろ紫陽花も終わりだなと、小平市の「あじさい公園」に行ってみた。花の色もくすみ始めて、「ゆく春」を惜しんだ。

可憐なベニガク(筆者撮影)

 ちょっと遅くなったが、八百屋で青梅を求めて梅酒を仕込む。

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 週刊文春は1999年からジャニー喜多川氏(2019年死去)の性加害を追求してきた。この取材を担当した元記者の中村竜太郎さん(59)を「赤旗日曜版」(5月21日号)が取材した

 中村竜太郎さんは、『週刊文春』でスクープを連発した凄腕記者だ。ちなみに、その一つに「NHK紅白プロデューサーが制作費8000万円を横領していた!」もある。

中村竜太郎さん(週刊女性より)

 ジャニーズ事務所は記者会見を開くことなく、5月14日に藤島ジュリー景子社長の1分の動画と社長名の書面を公式サイトに公開した。動画では「お騒がせしております」と述べたが性虐待の事実認定は「容易ではない」として認めなかった。一連の疑惑についても99年当時から取締役だったのに自分は「知らなかった」という。中村さんは、事実を認めないのは誠意を感じないという。「『知らなかった』でファンや世間の人間が納得するのでしょうか。」

 今回の発端となったのは、3月に放送された英国BBCのドキュメンタリー番組で、複数の元ジャニーズJr.が十代の頃、ジャニー氏による性加害を受けたと証言した。中村さんはBBCでの証言にショックを受けたという。

「『文春』で告発キャンペーンをやり、裁判でジャニー氏の加害行為が認められた後も、ジャニー氏は同じことをやっていたんだ、と」。

 『文春』は99年10月から連続して報じたが、中村さんが取材した12人のうち10人以上が被害を訴えていたという。

 99年12月、ジャニーズ事務所側が文藝春秋を相手取り、名誉棄損の民事訴訟を起こした。03年の東京高裁の判決は―

「原告喜多川が、少年達が逆らえばステージの立ち位置が悪くなったりデビューできなくなるという抗拒不能な状態にあるのに乗じ、セクハラ行為をしているとの本件記事は、その重要な部分について真実である」と認定した。ジャニーズ側の上告が棄却され、04年に確定している。
 
 中村さんによると、性虐待の手口はこうだ。

「段ボールに入った履歴書をジャニー氏が見て、自分の気にいった子を『明日来て』ってやる。合宿所とは名ばかりの自宅に少年たちを泊まらせ、遊び放題、好き放題させ、巧みに懐柔。そしてマッサージをすることを口実にその流れで性的行為に及ぶ。おぞましいですよ」。

「グルーミング(性的行為を目的に子どもを懐柔する)という点では、ジャニー氏は王様状態です。ジュニアをふるいにかける段階で素直な子を選ぶんです。子どもですから、おとなを洗脳するより簡単です」。

 中村さんが取材したとき、同世代の大人になっていた被害者が、当時を思い出してぼろぼろ涙したという。

「子どもの時に受けた虐待は、おとなより根深いものがあると思う。だからこそ未成年に対する虐待は厳しく取り締まるべきだというのが世界の流れです。でも日本では黙殺です」。

 中村さんは国会でロビー活動をしたり、世論をかきたてたいと大手メディアにも働きかけたが、後追いするところは皆無だったという。捜査機関も動かなかった。

 「高裁判決が確定した時は、さすがに『朝毎読』の大手紙も書いてくれるだろうと期待しました。でもベタ記事でした。絶望以外の何物でもないです」。

 中村さんは14年に独立後はテレビにも出演した。その経験から、テレビ局とジャニーズ事務所の深い癒着を忖度(そんたく)なんてレベルではないと厳しく批判する。

「事務所を特別扱いしてきたことが、ひいては少年への性加害を拡大再生産させてきた」。

 また、ニュース番組にタレントを起用する風潮にも疑問を呈する。

「タレントがコマーシャルに出ている企業がスキャンダルを起こした時、やれない。そんなおかしいことがまかり通っています」。

 そして中村さんは、ジャニー氏が亡くなったから終わり、にしてはならず、徹底的に実態を解明し、検証すべきだと訴える。

市民感情でおかしいと思ったことを問い続けていく。それがメディアの使命だと思います。はたして、お金があって権力のある人だけが守られる、こんな不公平な世の中でいいのでしょうか」。

 

 『週刊文春』側の代理人だった喜田村洋一弁護士は、BBCがドキュメンタリーを製作したことで、今回ようやくジャニーズの闇が知られるようになったことを評して、「黒船の襲来で、ようやく日本のメディアが動いた」と言ったそうだ。なんとも恥ずかしい話である。

 中村さんが言う通り、裁判でジャニー喜多川氏の性加害が認定されたあとも日本のマスコミは動かなかった。日本のメディアは実は数多くのタブーに縛られている。今回の教訓として、このおそるべき実態にメスを入れていかなければならない。