政府は置き去りにしたアフガン人協力者を救え

 現代史の一つの画期、歴史に残る瞬間だった。

 30日深夜、午後11時59分(アフガニスタン時間)、駐アフガン米大使らを乗せた最後の米軍輸送機C17が空港を離陸、バイデン大統領は「20年間に及ぶアフガニスタンでの米軍の駐留は今、終結した」と宣言した。

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朝日新聞1日朝刊1面

 岸信夫防衛相は31日、アフガニスタンから日本人らを退避させるために派遣していた自衛隊機に撤収命令を出した。米軍の撤収により空港の安全確保が困難となることなどから退避作戦は終了し、航空自衛隊の輸送機計3機(C2が1機とC130が2機)は近く、隣国のパキスタンから日本に引き上げる。

 この戦争自体の評価は今後も考え続けるとして、問題は退避作戦をどう見るかだ。
 昨日の朝刊からいくつかの事実をピックアップすると―

 米大使だけでなく英大使プリストウ氏も最後までカブールに残った。通訳など英国に協力してきたアフガニスタン人らに出国ビザを発給し続けたという。
 前回は韓国(390人)の例を挙げたが、ドイツは4800人、フランスは2700人の現地スタッフらを退避させている。

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1日の朝日朝刊

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退避作戦について「最大の目標というのは邦人を保護することでありました。そういう意味では良かったというふうに思ってます」(菅首相)TBSより

 菅首相は、邦人保護が目的だったから「良かった」というが、これはウソだ。退避された邦人は一人だけ。大型輸送機を3機も出したのは、多くの現地スタッフなども退避させる対象だったからだ。
 
 報道によれば日本政府の動きは―
 6月上旬からは、日本大使館国際協力機構(JICA)の現地スタッフの退避の検討に入り、配偶者や子供を含めて約500人規模を民間チャーター機で送り出す算段だったという。だが14日には外務省から防衛省に対し、自衛隊機派遣を依頼する可能性を伝えていた。
 ただ、外務省は事態の進展のスピードを見誤った。茂木敏光外相は15日午前、予定通りに10日間の中東歴訪に出発したが、ちょうどその日にカブールの大統領官邸がタリバンに制圧された。外相はすぐに帰国して退避作戦をはじめとする指揮をとるべきだったのに中東歴訪をつづけた。現内閣の危機意識のなさ、危機管理能力のなさを見せつけられた。

 タリバンが首都を制圧すると、カブールの日本大使館は即日、閉鎖された。日本大使館員ら12人はカブールの空港へと移動。米軍機で退避する計画だが空港内の混乱で米軍機の発着所にたどりつけない。12人は2晩を空港ロビーで明かした後、英軍機で国外へ脱出した。残る日本人は国際機関の職員ら若干名で、多くは残留を希望したので、退避の焦点は邦人ではなく、現地スタッフとなった。

 大使館の現地スタッフによると、8月上旬に退避計画づくりを進言したが、「心配しなくていい。他の国が退避のアクションを取れば日本も続くから」と言われたという。大使館レベルでも危機意識が弱かったようだ。

 自衛隊機を出すことについては、派遣の根拠となる自衛隊法84条の4「在外邦人等の輸送」は「輸送を安全に実施することができると認められるとき」が要件。「自衛隊員が命を落とせば、政権が吹っ飛ぶ」(外務省幹部)として慎重になっていたという。省内の一部には「欧米と違い、日本はタリバンに敵視されるほどの存在ではない」との楽観論もあった。

 外務省がようやく防衛省と派遣に向けて詰めの協議に入ったのが、20日になってからだった。22日午後、首相官邸に外務、防衛両省の幹部らが集まり、首相と協議。そこで派遣が事実上決まった。その夕方、現地へ先遣隊を出発させた。この時点で、米国は8月末の軍撤退を決めていたから、活動できるのは25~27日のみというのが日本政府内での共通認識だったという。もうギリギリだったわけだ。

 《外務省の発表などによると、米軍とタリバンが合意できる見込みが立ち、カブール市内の集合場所から午後6時までにはバス27台で分譲し、空港に向かう計画を立てた。タリバンと関係が良好なカタール軍が同行することなども条件だったという。
 集合場所に集まって空港に向かおうとした矢先、空港付近で過激派組織「イスラム国」(IS)の支部組織による自爆テロが発生。空港のゲートが米軍によって封鎖され、作戦断念を余儀なくされた。(略)
 自衛隊の輸送機が運んだのは26日に米国から依頼された旧政権の政府関係者ら14人と、カタールの支援を受けて空港に到着した27日の日本人1人のみだった》(朝日新聞
 以上、記録として長めに引用しておく。

 残されたアフガン人スタッフとその家族をこれからどう出国させるのかが問題だ。

 TBSは「退避計画を進める過程で、対象者リストがイスラム主義組織タリバンに提出されたことも明らかになっており、政府には今後、現地スタッフらを守りながら、早期の出国を目指してタリバンや関係国と交渉を続けるという大きな課題が残りました」と報じた。
 退避させる「対象者」がタリバンに把握されているのであれば、早く手を打たなければならないのではないか。

 アフガニスタン情勢に詳しいジャーナリスト常岡浩介さんによると、今後形成される政府に「危険なタリバン」が入ってくるようで、心配だ。

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テレ朝「グッド!モーニング」2日

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常岡さんは、タリバンを「良いタリバン」と「危険なタリバン」に分け、危険な方のタリバンが政府の中枢に入ってくる可能性を指摘。

 それでも日本政府は置き去りにした人々を救出する責務がある。

 以下、1日の「天声人語」より―

タリバン政権の崩壊後、政府特別代表として現地に入った経験のある伊勢崎賢治氏が先日の紙面でこう語っていた。アフガン紛争で洋上給油に自衛隊を派遣した日本も「参戦国」の一つである。日本に関係の深い人たちがいま危険にさらされているのだと。

 日本政府がネット経由で「命のビザ」を発給することを伊勢崎氏は求める。命のビザは第2次大戦下でリトアニアにいた外交官杉原千畝にちなむ言葉である。助けを求めて領事館を囲んだユダヤ人に、杉原は独断で出国ビザを出し続けた。

 妻幸子の書いた『六千人の命のビザ』に杉原の言葉がある。「私を頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く」。彼の行為が心を打つのは、人としての倫理観がそこにあるからだ。》