戦場のダンサー真理子さんと再会2

 五輪来て万博が来てツケが来る  (東京都 尾根沢利男) 27日朝日川柳

 裏金をばらまいて五輪招致を決めたうえ、また金で票を買って万博を持ってきた。イベントを重ねて経済を浮揚させようというのはもうやめましょう。数日前、ツイッターにこんな投稿が。

大阪万博決定ですか。なんか昭和30~40年代の成功体験をなぞろうとしている感が……。
1958 東京タワー竣工
1959 東海道新幹線着工
1960 安保条約改定
1964 東京五輪
1970 大阪万博


2012 東京スカイツリー竣工
2014 リニア新幹線着工
2015 安保法制可決
2020 東京五輪
2025 大阪万博←New!
https://twitter.com/jokersclub_one/status/1066089791303766016

おもしろい!まさか、これ、計画的になぞっているんじゃないよね!
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 これはバンコクの居酒屋「まりこ」にあった色紙。西原理恵子氏の元夫(カメラマン、鴨志田穣氏)も彼の師の故橋田信介氏(2004年、イラク武装集団に銃撃されて死亡。私の元上司)ともども真理子さんに世話になっていた。

 バンコクの居酒屋「まりこ」には実にさまざまな種類の客がいた。右翼も左翼もヤクザもいた。ビルマで独立闘争を続ける少数民族カレン民族同盟(KNU= Karen National Union)の関係者も多かった。何人かの日本人が義勇兵としてKNUのために戦っていたが、真理子さんは彼らがバンコクに出てくると食事を提供し、ときには2階に泊めていたようだ。KNUを支援する日本の民族派右翼グループにも、お店で会ったことがある。そもそも私が真理子さんと出会ったのが、タイ国境近くの山中にあるKNU司令部だった。
《彼女と初めて会ったのは、1990年ごろ、マナプローというタイ・ビルマ国境の山の中でだった。軍事政権と戦うカレン民族の軍隊を取材するため、ボートで国境の川をさかのぼってゲリラ部隊の司令部にたどりつくと、日本語を話す女性がいた。それがマリコさんだった。》(2014年のブログより)http://d.hatena.ne.jp/takase22/20140313

(「まりこ」時代の真理子ママと従業員の女性)
 真理子さんはムエタイの元チャンピオン、サネガン・ソーパッシンと結婚した。サネガンは、日本にキックボクシングの大ブームを巻き起こした沢村忠と後楽園でタイトルマッチをやったムエタイ界の大物だ。日本が大好きになり片言の日本語が話せた。マネジャーとして店を仕切っていたという。沢村自身も「まりこ」に何度か来たそうだ。サネガンは96年に亡くなったが、真理子さんは彼が他の女性に産ませた子どもも引き取って育てた。

 客にはメディア関係者も多かった。真理子さんはベトナムの米軍基地で踊っていたとき、サイゴンの「大南公司アパート」に住んでいた。特派員も部屋を借りていたほか、2階の日本料理店「京」がジャーナリストのたまり場になっており、彼女が知り合ったなかには、朝日の本多勝一氏や読売の小倉貞男氏、サンケイの友田錫氏の他、ピュリッツアー賞のカメラマン、沢田教一氏や石川文洋氏などがいた。
 彼女が親しく付き合ったなかで、取材で命を落としたジャーナリストは4人にのぼった。「今度飲もうね」と別れた翌日に訃報が届く。そんな日々を真理子さんはたくましく生きたのだった。
(つづく)