南北融和と脱北者 放送案内


 線路そばの小道に顔を出したツワブキの花。

 立冬(11月7日から)と小雪(12月6日まで)の季語だそうで、この黄色い花が目立つ時期だ。

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 放送案内です。朝鮮半島の融和ムードのなかで摸索する韓国の脱北者の特集です。先月の韓国出張はこの取材でした。久しぶりに私がカメラを回しました。老骨に鞭打って。夕方早めの時間帯の放送です。
11月19日(月)日本テレビ「news every」特集(午後4時35分ごろから10分間の特集)
特集「南北融和と脱北者
 《南北首脳会談は3回を数え、韓国はいま、かつてない融和ムードに包まれている。北朝鮮のイメージが良くなり、金正恩委員長を信頼できると考える人も急増している。韓国政府は、北朝鮮を刺激することを避けるため、脱北者の活動を規制しはじめた。
 北朝鮮から命がけで逃れ、韓国にたどり着いた脱北者たちは3万人超。なかには、融和ムードに大きな違和感を持つ人もいる。彼らは、北朝鮮が簡単には変わらないことを身をもって知っているからだ。北朝鮮の変化を促す活動は、融和ムードのなか、継続が困難に。しかし、あるユニークな方法で、北朝鮮住民への働きかけを地道に続ける脱北者たちがいた。》

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 先日は横田めぐみさんへの早紀江さんのメッセージを新潟日報から紹介したが、朝日新聞デジタルは14日、めぐみさんの同級生が当時を振り返る記事を載せた。どうしてこんな女の子の人生が狂わされたのか、詮無い問いではあるが、悲しみが募る。以下、抜粋。
「よこ」 隣で呼べた日々
 11月14日の放課後。体育館につながる渡り廊下で、相賀(あいが)くに恵(え)さんはえんじ色のジャージー姿を呼び止めた。「はい、これ読んで」。部活に向かう彼女に一通の手紙を手渡した。
 「よこ」は前年の小学6年の夏に広島から転校してきた。父親が転勤族の相賀さんも、少し前に仙台からきたばかり。同じ机のログイン前の続き列で、すぐうちとけた。彼女に誘われ一緒にバレエ教室に通った。部活は相賀さんが誘った。地域で盛んだったバドミントンを選んだ。
 読書家で、推理小説もよく読むよこ宛てだから、「暗号」のつもりで、点と線だけのモールス信号の手紙にした。「ライゲツチバニ ヒッコスコトガ キノウ キマリマシタ ヨコニ イチバンニ オシエルネ」
 「あら。じゃあ、図書館で調べれば分かるかしら」。そう言って、彼女は笑った。さみしいけど、暗号を解いて何を言ってくれるか楽しみだった。

 15日の朝8時ごろ。「よこー」。ご近所同士の坪井君予(きみよ)さんはいつものように、玄関前で呼びかけた。家の中から母親の声がする。「寒いからコートを着ていきなさい」
 制服に似た紺色を選ぶ生徒が多い中、彼女のコートはベージュ。少し大人びて見えた。小春日和だった。「今日はいいわ」という声がして、人なつっこい顔が出てきた。2人してラケットをいれた赤いバッグを揺らした。
 午後の部活は、いつもの通り、フットワークや打ち合いをした。25人ほどいる1年生の中で、ダブルスのペアを組んでいた。
 2人が練習を始めたころ。真保(しんぼ)恵美子さんは体育館の入り口から中をのぞいた。舞台側に彼女が見えた。
 体育で突き指をして、バド部の練習を休むことにした。「先に行くね」と言おうと思ったが、そのまま校門を出た。緩やかな坂を300メートルほど歩くと、いつものT字路に出る。この日は別の友だちとしばらく、おしゃべりをした。

 カバンを置いた角の空き地で春先、真保さんはよこと2人でツクシを摘んだ。そこから奥へ100メートルほどのところが彼女の家。玄関を入って右側の彼女の部屋で一緒に「ベルサイユのばら」の絵を描いたりして遊んだ。そんな様子を、よこのお父さんがにこにこと眺めていることがあった。
 すぐ近くの海岸沿いへ時々、ふたりでサイクリングに出かけた。小学校では同じコーラス部。「海は広いな……」。よこはふいに、歌い出すことがあった。1人なら恥ずかしいはずなのに、彼女と一緒だと自然と口ずさんでいた。
 それなのに。
 どうして――。
 あの日、暗くならないうちに家に戻った。
 夕飯前によこのお母さんから電話があった。台所にいた母親は受話器を置くと「気にしなくていいから」と言った。翌朝、茶の間で、前日と同じ格好の母親が両手で顔を覆っていた。

 再会を願う同級生によるコンサートが毎秋、新潟市である。先月開いた時も20人ほどが集まり、近況の話をした。自然と当時のあだ名が出る。しかし彼女はそこにいない。「よこ」。あの日のように会って呼びたい。
 (清水大輔https://digital.asahi.com/articles/photo/AS20181114000391.html