津川雅彦さんの思い出

 翁長雄志沖縄知事が亡くなった。67歳だった。
 彼の政治家としての思いや業績はマスコミに譲るとして、信念が顔に現れ出た人だったと思う。国政の中枢にいる人たちとは面構えが違っていた。
 また、「拉致問題の解決を最重要課題として全力で取り組んでまいります」といい、安田純平氏については「政府として邦人の安全確保は最大の責務だ。さまざまな情報網を駆使して全力で対応に努めている」と実行の伴わない決まり文句しか発しない安倍内閣の面々とは違って、翁長氏は言行一致の人だった。

 これは、2017年6月23日、本島南部の「平和祈念公園」で開かれた沖縄戦没者追悼式での一枚で、東京写真記者協会の2017年度優秀賞をとった東京新聞の写真だが、この怒りの眼の迫力はすごい。安倍首相はとてもまともに翁長知事の方を見られなかっただろう。
 最後まで公約を果たそうと、亡くなる直前まで、米軍普天間飛行場宜野湾市)の名護市辺野古移設にからむ埋め立て承認の撤回に意欲を燃やしていたという。前のめりに死ぬというのはこういうことだろう。ご立派でしたと言いたい。
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 津川雅彦氏が4日、78歳で亡くなった。妻で俳優の朝丘雪路さんを今年4月に亡くしたばかりだった。74年、赤ん坊だった娘(真由子さん)が誘拐され、無事保護されたという体験を持ち、北朝鮮による拉致問題にも関心を寄せていた。拉致問題啓発の政府のポスターのモデルにもなった。
実は、津川さんとはちょっとした縁があり、彼の番組を制作したことがある。

 津川さんはグランパパという子どものおもちゃの店の経営者でもあった。《グランパパは、俳優の津川雅彦が我が子の誕生でもたらされた大きな感動に対し、父親として我が子のために精一杯に出来ることは一緒に遊ぶことと、そのために良い玩具を与えたいとの思いから始まったおもちゃ屋です》グランパパ39年のあゆみより)

 2007年のこと、ある人に誘われて津川さんと会う機会があった。そこで津川さんから、グランパパが赤字続きで立ちいかなくなっていることを打ち明けられた。支援を申し出る人が出てきたが、支援の条件は今の負債をきれいになくすことだという。負債を返済するため、津川さんは昔から愛蔵していたノーマン・ロックウェルの絵「サンタクロースの旅行計画」を、クリスティーズのオークションにかけようと考えていた。クリスティーズサザビーズと並ぶオークション最大手である。
 それを取材させてもらえませんかと申し出てOKがでた。当時の津川さんはグランパパの経営を何とかしようと必死で、俳優業には身が入っていないように見えるほどだった.。財務状況もすべてさらけ出してもらい、雪路さん所有の自宅にも初めてカメラを入れた。その自宅も低当に入っており、のちに明け渡すことになる。
 山場はオークションだ。津川さんが返済すべき負債は6億円。そこで希望落札価格を6億7千万円に設定した。津川さんは自宅で、ニューヨークのオークションハウスから携帯に連絡が入るのを待つ。結果は・・・落札価格2億円。目標に遠く及ばず、落胆する津川さん。
 一連の出来事を200日密着取材し、フジテレビ「新報道プレミアA」という番組で、その年の年末に放送された。かなり生々しい内容で反響も大きかった覚えがある。
 その後、幸運にもグランパパを買い取ってくれる会社が現れ、津川さんはそこと共同経営することになって、最悪の事態は免れた。
 いま振り返ると、津川さんは実にドラマチックな人生を送ったものである。ご冥福をお祈りします。