認定拉致事件第一号「宇出津事件」の現場

takase222014-05-01

写真は、石川県能登町宇出津の「舟隠し」と呼ばれるところだ。
政府認定の拉致事件では一番早い「宇出津事件」で、1977年9月19日、久米裕(くめゆたか)さん―東京都三鷹市でガードマンをしていた―が潜入してきた北朝鮮工作員に身柄を引き渡された現場である。
宇出津事件は北朝鮮工作員と国内の協力者との連携プレーがよく分かるケースである。
以下の記述は、拙著『拉致―北朝鮮の国家犯罪』講談社文庫P108〜から。

1973年、東京で建設会社を経営していた在日朝鮮人、李某に吉岡という男が接触してきた。吉岡は李の妹の声が録音されたテープを聞かせて、「自分は共和国の工作員だ。協力しないと妹のためにならない」と迫った。李の妹は、1966年に北朝鮮に「帰国」したが、病気になったとの知らせがあり、心配していた矢先だった。
協力を約束した李は、吉岡から暗号解読や思想教育をほどこされ、民団幹部の抱き込みや日本、韓国の情報収集の仕事をさせられた。
77年、こんどは別の吉田という工作員から「45歳から50歳くらいの日本人独身男性を共和国に送り込め」との指示を受けた。戸籍を得るためだという。

李はサラ金も経営していて、そこから金を借りた三鷹市役所のガードマン久米さんが独身で家族と音信不通だと知る。李は久米さんに、密貿易で大儲けしようと持ちかけると久米さんが乗ってきた。
李は現場を下見。久米さんに戸籍謄本を二通取らせたうえで、李は吉田を伴って久米さんと「密貿易」の打ち合わせを行った。
能登半島の海岸からゴムボートで沖合の密輸船に金を届けてほしい。船に乗って着いた先で六か月ほどじっとしていてもらいたい。あなたの名前を借りたいことがあって、日本にいられるとまずい。相当のお礼は用意する」。
9月15日、李は北朝鮮からの「A−3」放送で、数字の暗号指示を受けた。「対象者との接線(接触)は19日23時から23時30分の間。音楽放送を聞いたのち、必ず接線地点に現れること」。
18日、李は久米さんと福井県芦原(あわら)温泉で芸者を上げて遊び、翌19日午後、宇出津の旅館「紫雲荘」に入る。李は久米さんに旅館ではしゃべるなと注意しておいた。女将は落ち着きなく口をきかない二人を怪しみ、夕食後110番に通報した。
一方、4時50分、不審船の出現を知らせる「KB(Korean Boat)情報」が警察庁警備局から石川県警警備部に入り、警備部公安課は駅や主要道路での検問態勢をしいていた。
夜9時すぎ、短波放送で「決行」指示の「南山の青い松」が流れてきた。李と久米さんは黒い作業ズボン、紺のアノラックに着替え、10時過ぎに旅館から外へ出て行った。女将は二度目の110番通報を行った。
二人は、地元の人が「舟隠し」と呼ぶ静かな入り江に歩いて行った。李が小石を三回打ち付けて合図を送ると、暗闇の中から三人の男たちが現れた。
(つづく)