基地負担本土89%から沖縄74%へ

 もう節気は「立春」をすぎて「雨水」。雪が雨に変わり、雪や氷は溶けて水となるという意味だ。19日からが初候の「土脉潤起」(つちのしょう、うるおいおこる)、24日からが、次候の「霞始靆」(かすみ、はじめてたなびく)、末候の「草木萠動」(そうもく、めばえいずる)。初候の意味は、雨が降って土が湿り気を含むということで、そこから生き物がうごめきだしてくる。
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 北朝鮮の脅威」の話になると、「だから沖縄の米軍基地も必要だ」となって、思考停止に陥ってしまう。そして基地問題沖縄県だけの問題とみなしがちになる。しかし、基地問題には沖縄差別があることを、先日の「こちら特報部」(東京新聞13日)の「在日米海兵隊そもそもなぜ沖縄に?」がよく解説しているので、紹介したい。

 そもそも沖縄の海兵隊は、太平洋戦争末期に沖縄に上陸し、そのまま駐留を続けていると思っている人も多いと思うが、実は朝鮮戦争後、日本本土にいた海兵隊を沖縄に移し、肩代わりさせてきた経緯がある。
海兵隊(マリーン)というのは、陸海空とは別の独立軍隊としてあり、本来の役割は上陸作戦で、強襲揚陸艦で海から陸に上がるまでの狭い領域。上陸に成功すればお役御免で、終戦後、海兵隊は沖縄から引き揚げた。いったんいなくなったのである。
1950年、朝鮮戦争が勃発した。米海兵隊は、初期の戦局の大転換をもたらした仁川上陸作戦で活躍。53年には、韓国に駐留した米陸軍を後方支援するため、日本本土に派遣され、岐阜県のキャンプ岐阜と山梨県のキャンプ富士に駐留した。その海兵隊が56年、なぜか本土から沖縄に移駐し、今にいたっている。

 海兵隊を、朝鮮半島への距離が岐阜や山梨より遠い沖縄に移駐することは合理的ではない。「沖縄移駐の理由を示す史料は見つかっておらず、詳細は不明」(ジャーナリスト屋良朝博氏)だが、背景には本土での対米感情の悪化がありそうだ。
 当時、本土では朝鮮戦争を契機に各地で米軍の基地や演習場の新設、拡張が相次ぎ、それに反対する住民運動が激化していた。だから米軍を沖縄に持っていき、本土で問題を見えなくしようとしたと考えられる。根底には「構造的な差別」(屋良氏)がある。
 50年代、米軍は本土での施設の新設、拡張のほとんどを断念。その一方で、返還前の沖縄で拡充した。55年には米軍施設の89%が本土にあり、沖縄には11%しかなかったのが、その後、沖縄の割合は急増して逆転し、現在は74%が集中している。そしてその7割が海兵隊関連だ。
 日本国民の「圧倒的多数が在日米軍を必要と考えているのだが、沖縄にだけ負担を強いている。差別としかいいようがない」高橋哲哉東大大学院教授)
 今月2日、立憲民主党阿部知子氏が沖縄の基地問題について質問したところ、安倍首相は「移転先となる本土の理解が得られない」と答えた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180210
 「県民の多くに理解されていないことは明らかなのに、なぜ沖縄では新基地建設が推進されるのか。本土と沖縄で、政府の方針に大きな矛盾がある」(高橋教授)
 仮に抑止力としての海軍と空軍を認めるにしても、上陸部隊の海兵隊が沖縄に駐留する必要はあるのか。「軍事的に海兵隊基地は日本になくても問題はない」(屋良氏)との見方も。実際、米政府では海兵隊の沖縄からの撤退は何度も検討された。73年、米政府は沖縄からの海兵隊撤退の意向を日本側に伝えた。ところが、日本側が海兵隊を引き留めた。
(米政府が沖縄から海兵隊をグアムに移駐させるつもりであることは以前書いた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20100410
 95年に米兵による少女暴行事件で沖縄県民の反基地感情が高まった時にも、海兵隊の撤退が検討されたことを当時、駐日大使だったウォルター・モンデール氏が2004年に明らかにしている。
 だが、安全保障となると日本政府は思考停止して、米国依存に固執する。沖縄国際大の野添文彬准教授は「米国は海兵隊に執着する日本の反応に『海兵隊を対日政策で利用できる』と考えているようだ」と推測する。
 つまり沖縄の負担軽減に最も消極的なのは日本政府なのではないか。
(つづく)