米軍基地を「引き取る」2

 石川真生さんの写真展(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180210)で、興味深い話を知った。
あなたは何人ですか?
1.日本人 2.アメリカ人 3.中国人 4.沖縄人

 米軍統治下の1950年〜60年代に沖縄のあちこちの小、中学校でこんなアンケート調査があったという。先生たちは生徒に「あななたちの祖国は日本ですよ。日本人だという自覚を持ちましょう」と盛んに日本人教育をしたが、それでも「4.沖縄人」に○をつける生徒が多かったという。先生たちは、「日本に帰ったら平和憲法の下、人権も守られるし、米軍の支配からも解放されます」と教えたというが、現実を見れば、申し訳ない気持ちにさせられる。
 先月23日、このブログで「米軍基地を『引き取る』」という動きがあることを書いた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180123
 日米安保体制維持というのが国民の9割の意見であるなら、米軍基地は沖縄にだけ押し付けておくのはおかしいとの反省から、この動きは始まっている。日米安保を支持することは、米軍の駐留も是認しているということだからである。以下、友人のジャーナリスト、樫田秀樹さんの「米軍基地を引き取ろう」(下)(『望星』6月号)から少し詳しく紹介したい。

 2月21日の「基地負担本土89%から沖縄74%へ」(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20180221)の変化がどう起きたか。
 1953年、アメリ海兵隊は第三海兵師団として本土に駐留。司令部がキャンプ岐阜とキャンプ富士(静岡)、部隊は横須賀市(神奈川)、御殿場市(静岡)、大津市(滋賀)、奈良市和泉市(大阪)、堺市(大阪)に駐留していたが、1957年、この海兵隊が沖縄に移駐する。反基地運動の激化で、それが反米運動に転化することを両政府が懸念したのが一つの理由だ。
 1976年には、山口県の岩国・第一海兵航空師団が沖縄に移駐する。これに沖縄県議会や県内政党は「犠牲を県民に押し付けるのか」といっせいに反発した。79年には、同じ岩国から海兵隊部隊が沖縄に移駐。福岡県でも米軍の板付空軍基地やキャンプ博多などが72年までに沖縄に集約されていく。
 驚くのは、2012年にアメリカ政府が「在沖海兵隊約1500人を岩国基地に移転させる」と日本政府に打診したときのこと。山口県や岩国市は「これ以上の負担は受け入れられない」と反発。次いでアメリカは、岩国以外への移転も打診した。ところが、日本政府が「移転をお願いすることはない」と拒否した。
 この事実は、アメリカにも、場合によっては沖縄の負担軽減のための「県外移設」の考えがある一方、日本政府こそその意思がないことを示している。本土は構造的に沖縄に負担を押し付けてきたのだ。
 
 だが、いざ米軍基地がわが町にやってくるとなれば、拒否反応が起きるのは当然だ。
 「引き取る・大阪」は、府内に8カ所の引き取り候補地を挙げている。埋立地夢洲(ゆめしま)、関西国際空港八尾空港伊丹空港など。候補地の近くで街宣を行なうが、八尾空港は住宅に近く、数年に一度はセスナ落下事故があるだけに、引き取りに強い反発を見せる市民がいるという。これに対し、「引き取る・大阪」はこう考える。
 「米軍基地はないほうがいい。でも、日米安保を支持している以上は、まずは、沖縄に基地を押し付けている差別を解消するのが先です」。
 少しずつだが、「なるほど」と理解を示す人も増えているという。

 2015年7月に福岡市の里村和歌子は「本土に沖縄の米軍基地を引き取る福岡の会」(「引き取る・福岡」)を8人で設立。現在メンバーは40人を数える。シンポジウムや討論会、勉強会などを積極的に開催しているが、必ず質問されるのが「引き取ったあと、米軍犯罪にどう責任を取るのか」ということだ。特に女性への性的被害は議論を避けて通れない。
 さあ、これにどう答えるのか?
(つづく)