減らない子どもの自殺

 きのう今日の2日間、「アースデイ東京2017」が開かれた。


 代々木公園の新緑のなか、ステージや出店でさまざまな企画をやっていた。今年3月にヨルダンでシリア難民の生活状況調査を行った明治学院大学の学生たちによる現地報告会を聴きたかったのだが、その前の用事が押してしまい、間に合わなかった。残念。でも若い人の間に、シリア難民への関心が広がっていることに注目したい。

 シリア支援団体「サダーカ」のブースで「アレッポの石鹸」を買ったら、その場で使いやすい大きさに切ってくれた。いかにも手作りという感じで、うれしくなる。原料はオリーブと月桂樹のオイル。売り上げはヨルダンのシリア難民の支援に当てられるという。
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 気になる記事が目についた。日本の自殺者数は全体では減っているが、小中学生では依然多いままだという。
 警察庁の統計によると、2016年、320人の小中高校生が自殺で亡くなった。小学生12人、中学生93人、高校生215人。3分の2は男子だった。
 自殺者全体の数は、03年の3万4427人をピークに減少傾向で、16年は2万1897人。06年施行の自殺対策基本法に基づく、各自治体の相談窓口の整備などが背景にあるとされる。一方、小中高校生の自殺者はこの10年、年間300人前後で推移し、350人を超えた年もあった。厚生労働省によると15〜19歳では自殺が死因の1位、10〜14歳では2位だ。」朝日新聞、21日)

 私は自殺が絶対にいけないとは思わないが、若者の死因の1位という異常事態は何とかしなければならない。記事では「自殺の実態把握や再発防止の取り組み」を訴えつつ、「24時間こどもSOSダイヤル」などの相談窓口を紹介するが、それらも意味がないとはいわないが、対処療法にすぎないと思う。例えば、自殺の「原因」を健康問題、学校問題、家庭問題などと分析してみても、「問題」が自殺にむすびつけるのは、その人の世界観、人生観である。
 どんな境遇にあっても、命を与えられていることの「すごさ」とそれへの感謝をベースにもつ人は、自殺に向かうことはないだろう。

 先日、たまたまフォトジャーナリストの長倉洋海さんと会って話す機会があり、彼の本『鳥のように、川のように〜森の哲人アユトンとの旅』を思いだしてページをめくっていたら、ブラジルのインディオのリーダー、アユトン氏のすばらしい言葉があった。

 私たちは子供にこう教えるのです。「地上にやってくる時には物音をたてずに鳥のように静かに降りたち、やがて何の跡も残さず空に旅立っていくのだ」と。「人は何かを成すために存在する」という西側哲学は銅像を作り、人の偉業を記録に残そうとしてきた。だけど、“人は何もしないために存在してもいじゃないか”、と思うのです。生命を受け、生きていること自体が素晴らしいことなのですから。

 「成す」つまり「成功」が大事だと考えると、成功のための競争が社会を覆う。人の能力が最終的には金銭的価値に置き換えられ、それは「君の“売り”は何だ?」という言い方に端的に表れている。こういう中に生れ育つと、自分への自信を失い、この世に生きるありがたみも感じられないままになりがちだ。
 「何もしない」でもいい、生きているだけで素晴らしい。若者がそう思うように教育することこそ、自殺防止の最良の方法ではないか。