右も左も護憲の米国

takase222013-06-29

もう夏至もすぎた。
初夏の風物ということで、シャクヤクと梅。
梅はかみさんがシロップと梅干を作る材料。傷みやカビのもとになる「なり口」を取って洗って乾かしている。
それに「立てば芍薬(しゃくやく)、座れば牡丹」のシャクヤク。日本伝統の花の中では思いっきり派手である。
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予定変更してまたアメリカの話。
今朝の朝日朝刊「憲法はいま」で米国では右も左も「護憲を競う」ことを紹介していた。
《「我々は大統領就任のために集うたびに、憲法の不朽の強さの証人となる」
 今年1月、2期目の就任演説でオバマ米大統領が真っ先に触れたのは、米国憲法の価値観だった。演説中も「我ら国民は」という前文の冒頭の言葉を何度も引用し、独立宣言の理念を反映した憲法に沿った国の形の大切さを説いた。
 保守運動の「ティーパーティー(茶会)」は、オバマ氏の政権運営に反発を強める。だが茶会が掲げるのも憲法の順守だ。米国憲法は1789年の施行から224年たつが、現在は右も左も「どちらがより護憲的か」で競い合っているともいえる。》
その上で、「議会の両院の3分の2以上の賛成に加え、全50州の4分の3以上の承認」という改正のハードルが高い手続きを経て、これまで27項が改正されたという。護憲の上での修正なのである。
もう一つ面白いのは次の箇所だ。
日本国憲法は、他国による占領下で制定された憲法の中で長く続いている点でも特徴的だ。ギンズバーグ教授はその理由として、制定に日本側も関与したことに加え、「何より、戦後日本が安定した社会を築き、憲法も受け入れられてきた」ことを挙げる。
 対照的なのは、同様に米国の占領下で憲法が策定されたイラクだ。サダム・フセイン政権が倒された後の2005年、国民投票で承認された憲法には「自由」「平等」「権利」といった言葉が並び、「民主化」を掲げた米国の思想が色濃くにじむ内容となった。米国の憲法に詳しい駒村圭吾・慶応大教授は「米国は軍事力や言語(英語)だけではなく、自国の法的な概念やルールを他国に広めることが大事だと考えている」と指摘する。
 しかし、憲法制定から8年たってもイラク国内は安定せず、内戦に近い状態が続く。》
日本国憲法をどう見るかがいま問われている。見方によっていくつかの評価ができる。制定過程をみれば、占領軍の作った憲法という表現は当たっている。
一方、当時の近代人権思想の果実を盛り込んだ先進的な内容をもっていることも確かである。
ベアテ・シロタ・ゴードン(22歳でGHQ憲法草案制定会議のメンバーとなり、憲法起草で人権条項作成に寄与した)がインタビューで、短期間で起草作業を命じられ、参考にする資料を探すのが大変だったと語っていた。
東京中の図書館を回って世界の憲法や人権について書かれた本を集めたという。資料を読み込んだベアテらは、当時の世界の到達点を盛り込もうとした。上司にかなりカットされはしたが、彼女らの起草案は現憲法の骨組みになっている。
私は9条はいずれ改正した方がよいと思うが、現憲法の中核の内容は尊重すべきだと思っている。そこに近代人権の到達点が反映しているからであり、(イラクとは違って)日本の社会はそれらを受け入れるのに十分な成熟を示してきたという意味で、憲法とマッチしてきたからである。
気になるのは、「改憲」を声高に言う政治家のなかに、現憲法をあたかも忌むべき存在であるかのように見る人がいることだ。国の基(もとい)を貶めているのである。
米国で「右」も「左」も憲法を讃えることを知ると、むしろこれが当たり前ではないかと思う。
また、安倍首相は「7月の参院選も我々は堂々と96条の改正を掲げて戦うべきだと(自民党)総裁としてはそう考えている」と述べたが、先に手続き緩和をはかる姑息な道を進むことを「堂々と」などという言葉で表現してよいものだろうか。