きょうの朝日歌壇、常連の「若い衆」三人の入選作。
なでた後かわいくなってまたなでる北野天満宮の牛の背
松田わこ
お庭では植木ばち三つ乗っとったエイザンスミレの白光ってる
高橋理沙子
はじめての明太子パン二こも食べパンチクリンのおなかになった
室 文子
いつも笑わせてくれる上田結香さんもまた入選。
教壇に立って愕然 私たちの居眠り内職丸見えでしたね
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ビルマ北方のカチン州、中国国境近くのパジャオを拠点にしたABSDF北ビルマ支部は、1990年、議長にトゥンアウンジョー(写真)を選んだ。
それ以前の指導部はいかにも武闘派というう感じの荒っぽい人物だったが、独断と偏見で組織を運営すると批判され、選挙で交代させられた。
トゥンアウンジョーは、古都でビルマ第二の都市マンダレーの学生運動を率いたリーダーとして全国に名を馳せた人物である。90年に遅れてパジャオに着くと、すぐにメンバーたちの心をつかみ、圧倒的支持で指導部にえらばれた。
彼は、とても部下に優しかったそうで、支持を失った旧指導部の顔をつぶさぬよう新指導部のなかに幹部として留任させた。特に、みなに嫌われたミョーウィンという人物とその一味を軍事・公安部門の責任者につけたことが後にアダとなった。
ミョーウィンは、自分を批判した人物にずっと恨みを抱くとともに、トゥンアウンジョーに激しい嫉妬心を持っていたらしい。ある不祥事を犯したメンバーを「スパイ」容疑で拘束し拷問して「自白」させたことを皮切りに、そこから次々に「スパイの仲間」を「自白」させ、最終的には、組織のトップであるトゥンアウンジョーを含む100名もの「スパイ」を摘発、拘束したのだった。この暴走ぶりは、かつてのスターリンの粛清、あるいは日本の連合赤軍の同志殺しを髣髴とさせる。
スターリンの粛清については―
《1934年の第17回党大会の1966人の代議員中、1108人が逮捕され、その大半が銃殺された。1934年の中央委員会メンバー(候補含む)139人のうち、110人が処刑されるか、あるいは自殺に追い込まれた》(Wikipedia)
さらに当時のソ連の主要な軍幹部の9割が粛清された。こんなことをしたら軍事力を著しく弱めてしまう。軍事的合理性や国益という観点とは無縁のメカニズムであり、まさに暴走していったのである。
今回の取材で、かつての「スパイ容疑者」たち約10人に話を聞いたが、全員がトゥンアウンジョーが素晴らしいリーダーだったと賞賛した。なかには彼の名前を出しただけで涙ぐむ人もいた。彼が議長になる前は、幹部と一般兵士との待遇の格差が激しかったが、トゥンアウンジョーの指導部になってからは、幹部も兵士と同じ肉体労働をするなど平等な扱いに努めるようになったという。
また、幹部は小屋を一軒づつ与えられていたが、トゥンアウンジョーの小屋には夜の自由時間に部下たちが気軽に遊びに行き、ギターを弾いて歌を歌ったり楽しく過ごしたという。
ミョーウィンが最終ターゲットにしたのはトゥンアウンジョーであり、彼への拷問は残酷を極めた。
(つづく)