うちの玄関を入ると、白い花々が迎えてくれる。父の死にさいして、ブログでも何度か紹介したウーマンズフォーラム魚(WFF)の白石ユリ子代表からいただいた。お名前にちなんでか、真ん中に大きなユリの花があでやかに咲いている。
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高世の家は、山形県東置賜郡漆山村(現・南陽市漆山)で、玄榮、博治、正弘の三代にわたって医者を開業していた。医業開業はもっと前で、私の曾祖父にあたる玄榮は、高世家が医業に携わって4代目にあたる。その玄榮は、明治20年代に、西根村(現・長井市草岡、西根地区)から漆山に移ってきたようだ。
西根村は朝日山系のすそにある静かな田舎で、最近はよくクマが出るという。最近まで西根小学区の教師をしていた人と葬儀で会ってお話したら、先生、生徒全員、クマ除けのベルを身につけて登下校するのだという。
そこから漆山に居を移した理由は、親族に聞いてもわからない。ただ、私は、漆山の経済的興隆が玄榮を引き寄せたと推測している。
この地は、日本有数の製糸産業の拠点だったのだ。
以下、ネット情報であらましを書いてみる。
日本の工業の近代化は、明治5年(1872)の富岡製糸工場にはじまる。ここは、国策の下、工場はフランス人の指導員を導入して開業した。これを視察し、すぐに追いかけた民間人がいた。多勢(たせい)亀五郎という人物で、翌明治6年に、山形県の漆山村に多勢金上(たせい・かねじょう)製糸工場を開いた。多勢家の幸之助、長平衛、亀五郎の三家が、それぞれ工場を建て、漆山は製糸の一大拠点として全国的に名を馳せた。ここから周辺(現在の長井市、高畠町、米沢市)へと製糸産業は広まり、一帯に桑が植えられ、農家は「お蚕さま」を飼った。
この民間活力と急激な産業勃興には、米沢上杉藩の商品作物奨励策の伝統がベースにあるように思う。会津から米沢に減移封された上杉家は、120万石から15万石まで減らされ、財政は破綻の際にあった。どん底からの再生を目指して取り組んだのが、漆、養蚕、コウゾなどの商品作物の生産だった。
漆山で生産された生糸は、海外へも輸出され「羽前エキストラ」のブランド名で世界最高級の品質を誇ったという。
私の実家のそばには、多勢一族の金上、丸上、丸多などの屋号の工場があったが、日本の製糸・紡績業の衰退とともに生産をやめていった。私がたしか小学5年のとき、いらなくなった金上の貯水池を小学校がプールとして使用しはじめ、そのときから水泳の授業がはじまった。ただ、プールの水はとても冷たく、子どもたちは唇を紫にして泳いでいた。そこは山の麓で、夏でもひんやりする清流が流れ込んでいたからだ。
多勢丸多の広大な工場跡地は空き地になっていて、その一角には、鶴の恩返しにちなむ「夕鶴の里」もある。民話伝承のほか養蚕を含む地域史の資料館である。
多勢一族は何軒かあり、村で最も早くテレビが来たのも、多勢さん(丸上)の家だった。縁側にテレビを置き、庭に敷かれたゴザに正座して相撲を見た覚えがある。連日相撲の時間には、40〜50人が観戦するために多勢家の広い庭に集まっていた。
製糸産業がピークだった時代、漆山村とその周辺は栄え、封切映画が山形県で最も早く上映されるのは、山形市と漆山の隣の宮内という町だったと叔父に聞いた。当然、人も集まってきて商店街が形成され、医者の需要もあったのだろう。
これが、四代目、玄榮が移ってきた背景だったのだろう。
先日、葬儀で帰省したさい、丸多工場をやっていた多勢さんにご挨拶に行った。そこで、上のような話になったのだが、多勢さんが「昔は、女工さんがいっぱいいて、高世医院にお世話になったものです」と言っていた。女工さんというと、女工哀史がイメージされるが、実際は、みな競ってなりたがったと聞く。ある資料には「一等工女ともなれば、当時の小学校の校長先生の倍の給与だったという話もある。『娘3人で蔵が建つ』とはよく耳にする言葉である」と書かれてある。
この漆山の地に、高世の家は暖かく迎えられ、五代目、博治(私の祖父)はお墓を珍蔵寺に移している。経済的繁栄を背景に、この村には、うちの他に、安達、阿部、田島などの医院が開業し、私の幼いころには合わせて5軒の開業医があった。その後、製糸工場が次々に廃業に追い込まれるとともに開業医もいなくなり、最後は、高世医院だけが村に残ったのだった。
(つづく)
http://samidare.jp/supobun/lavo?p=log&lid=284305
http://www.pref.yamagata.jp/ou/kikakushinko/020024/chiikizukuri/PDF/150-151.pdf
http://www.touhoku.com/00x-50om-kaihatu-05.htm
http://www.touhoku.com/00x-50om-kaihatu-05.htm
http://www.nias.affrc.go.jp/silkwave/silkmuseum/YNYuzuru/siryokan.htm