渡辺京二が語る人生の目的

takase222012-07-11

 引っ越してきたばかりのころ、夜、公園に不気味な人影!と思ったら、セメントのゴリラ像だった。
毎朝、このゴリラの後ろ姿を見ながら駅に歩いていく。いつも、考え事をしているように見えるのがおかしい。
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このごろ、「ビッグ・クエスチョン」をしきりに考える。
人生は何のためにあるのか。
人生には意味があるのか。
人生で実現しなければならない目標は何か。

若いころはこういう大きな疑問で悩んでいたが、その後は、「毎日の仕事や暮らしに関係ない」と脇においていた。大事な問題なのだろうが、林住期になったらゆっくり考えればいいさと思っていた。
でも40歳すぎるころからやっぱり向き合わなくてはと思うようになった。時期によって波があるのだが、「苦」の局面にはその志向が強く出るようだ。このところ、公私ともに思うようにいかないことが続くので、そういう局面にあるのかもしれない。

先日、『女子学生、渡辺京二に会いに行く』(亜紀書房)というちょっと変わった本を読んだ。
渡辺京二氏は、在野の思想家で、水俣の主婦だった石牟礼道子氏を世に出した人だ。私は『逝きし世の面影』『なぜいま人類史か』など数冊しか読んでいないが、深い洞察には畏敬の念を持っている。特にマルクス主義歴史学への批判は実に的確だと思った。
『女子大生・・・』は、80歳になった渡辺氏が、『逝きし世の面影』を読んでファンになった女子大生を相手に、3日間にわたり、人生、歴史、子育てから恋愛にいたるまでしゃべりまくった放談集のような本である。彼の人生観がもろに出ていて実におもしろい。
三砂ちづるという津田塾大学の教員で、この合宿を企画したのは、指導する学生たちの生きるつらさを感じたからのようだ。その辺の事情をこう書いている。
ゼミの学生を五期生まで出したところで、「一学年15名なのだが、すでに姉や弟を自殺で亡くしたゼミ生が4人もいる。なんと過酷な。若いということは、つらいものである。自分はなぜ生まれてきたのか、自分はなぜ生きていくのか、人はなぜ生きるのか。それでなくともよくわからないというのに、近しい若者を戦争をやっているわけでもないのに亡くし、近しい家族には自らの思いを理解してもらうことがむずかしく、経験したこともないような人を恋う気持ちに翻弄される」。
渡辺氏との「議論」では、学生たちの切実な問いがぶつけられる貴重な機会になったという。ある意味それは、ビッグ・クエスチョンへの渡辺氏流の答えなのだった。
人間は何のために存在しているのかという問いに、渡辺氏はどう答えたのか。
(つづく)