オウムのサリン事件といえば、奥さんが重篤な被害を受けながら自身が犯人扱いされた河野義行さんだ。
事件直後、ほとんどの報道機関が河野さんを犯人扱いするなかで、それらと一線を画し、河野さんはサリンを作る材料を持っておらず、サリンを作った証拠は一切ないとテレビで報じ続けたジャーナリストがいた。
磯貝陽悟さんというフリーランスで、当時、テレビ朝日「ザ・ニュースキャスター」で取材にあたっていた。テレビ朝日も他のニュースなどでは犯人扱い報道が進行中だったなかで、社員でない、一番組に雇われたフリーの身分で「犯人ではない」と現場でがんばるのは、大変な勇気と信念が必要とされたことだろう。
磯貝さんは、事件のあと、サリン事件で被害にあった人々をケアするNPO法人「リカバリー・サポート・センター(RSC)」を立ち上げて活動を続けてきた。あまり知られていないが、この人はもっと注目されていい人物だと思う。彼の『サリンが来た街』という取材記には、なぜ犯人扱いを免れたのかが詳しく書いてあり、ジャーナリストを目指す人には読んでほしい本である。いつかこれについても書いてみたい。
実は、磯貝さんのチームで取材に当たっていたのは当時の私の部下たちで、犯人扱いしなかったことで、河野さんからの信頼は厚かった。河野さんは事件後しばらくは、メディア不信になり、自宅内を取材させることはなかったのだが、磯貝チームは特別にフリーパスで、私も一緒に自宅に入れてもらってお話したことがある。
河野さんとの雑談のなかで、磯貝さんが言った「冗談」を今も鮮明に思い出す。彼は笑いながら「河野さん、ホントはサリンやってたんでしょ」と言ったのだ。私は驚いて固まってしまった。河野さんに対して、何ということをいうのだ!
河野さんは、穏やかに微笑みながら、「またそんなことを言って」とかるく受け流していた。河野さんと磯貝さんとの信頼関係の深さを示すエピソードだ。
ところで、先週のTBS「報道特集」で、河野さんがオウムの菊池・高橋が逮捕されてどう思うかとインタビューされ、こう答えていた。
「メディアはお祭り騒ぎですが、もっと大事なことがあるのではないですか」
すごいなと思った。これは河野さんしか言えないコメントだ。
テレビでは、毎日朝から夜まで、高橋容疑者の監視カメラの映像や目撃者の証言、足どりの検証報道が洪水のごとく流されているが、ほんとに大事なことを忘れてはいませんかと問われると、ぎょっとさせられる。河野さんは「もっと大事なこと」が何かを言わなかったが、あとはみなさんで考えてくださいというのだろう。
尋常でない苦痛の日々を耐えてきた人のなかに、驚くような人格が形成される場合がある。大震災被災地のリーダー、拉致被害者家族などにもそういう人がいる。河野さんの突き抜けた洞察力には教えられることが多い。
ついでに、河野さんが小沢一郎氏のメディア報道について触れたコメントを紹介しよう。
これは2年前、郵政不正事件で村木さんが無実であることが分かったとき、メディアが検察を非難したのに対し、まずはメディア自らが反省しなさいとたしなめたあとに続いて述べた部分である。まさに正論だと今になって思う。
《私が恐ろしいと思ったのは当時、メディアが私に潔白を証明しろ、と迫ってきたことです。彼らにとって、捜査機関は絶対である。間違えるわけがない。それが違うと言うなら、自分で示せ、と。容疑者が真犯人かどうか、立証責任は捜査当局や検察にあるのに、通じない。
そして、松本サリン事件とまったく同じ構図なのが、小沢さんの政治と金の問題だと思います。
小沢さんは検察が本人を何度も事情聴取し、事務所や関係先も徹底的に家宅捜索した結果、不起訴になった。それなのに、メディアは「おまえは疑われているのだから、自分で疑いを晴らせ」と迫るのです。これは恐ろしいことです。村木さんと違って、小沢さんは逮捕もされていないんですよ。それなのに、何年間も犯人扱いされ、説明責任を求められる。捜査当局=権力者の間違いを監視し、チェックするべき報道機関が、捜査当局のお先棒を担ぎ、法治国家を否定するようなことをする。》(2010年9月13日日刊ゲンダイ)