忘れられていくビッグクエスチョン

takase222012-01-04

うちのスタッフは、年末まで編集するものあり、また、福島県飯舘村の年末年始を取材するものありで(放送は今夜のNTVニュースZEROで)、仕事は続いていたのだが、私はしっかり休みをとって充電させてもらった。
休み最後のきょうは勉強しようと、新宿に出て、映画『第四の革命』を観る。
《ドイツを「脱原発」決定へと導いたのが、ドキュメンタリー映画「第4の革命 − エネルギー・デモクラシー」だ。2010年にはドイツ全土で上映され、異例の13万人を動員。3.11後にはテレビ放映され、200万人が視聴し、一気にドイツの再生可能へのエネルギーシフトを決断させることとなる。100%再生可能エネルギーシフトは可能だ!》HPの宣伝文よりhttp://www.4revo.org/
危機的状況の糾弾ではなく、解決法の提示をすべきだとカール・フェヒナー監督が考えて作った映画。最初から最後まで「こうすれば解決できる」という提案に満ちている。元気づけられた。
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歳をとると、年末年始には、あと何回、お正月をむかえることができるだろうかと思う。
自然と、人生観、世界観にかかわる大きな問い、「ビッグ・クエスチョン」を考えることが多くなる。

昔、ラジオの「子ども電話相談室」という番組が好きだった。
たぶん30年くらい前、今でも印象に残る質問があった。
小学低学年の男の子がこう聞いた。
「人はなぜ生きるのですか」
番組のお姉さんが、いろいろ聞き出すと、「人間は必ず死ぬ」と聞いたのだが、そうすると、何のためにこれから生きていくのか、分からなくなったというのだった。真剣な声である。切羽詰ってかけて電話してきたのだろう。
さあ、回答者3人がどう答えるのか、興味津々で耳をすませた。
さあ、どうでしょう、とお姉さんがふると、回答者は明らかに戸惑っていた。回答者に無着成恭(むちゃくせいきょう)氏もいた。
一人は「君はいつもそんなことを考えているの?君は夢中になってやることがないでしょう。だからそういうことを考えるんじゃないかな」
次は「例えば、野球やって、夕方帰るときに、きれいな夕陽が見えて、『いいなあ!』と感じたりする。そういう思いを味わうために生きているのじゃないかな」
三人目は「これから人生はとっても長いよ。そういうことを考えるのは、もっと後でいいんだよ。今は、何か好きなことを見つけてがんばるといいよ」
3人とも、質問に正面から答えないてないじゃないか、ずるいなと思った。まるで、若い人が人生の意味を問うてはならないかのような対応だ。
男の子の質問は、とても素直に本質をついている。
最後にはなくなってしまうものに、真剣に取り組まねばならないのはなぜか。
例えば、波打ちぎわに砂のお城をつくる。どんなに立派に作っても、潮が満ちてくれば崩れて、また前と同じような砂浜になる。
人が必ず死ぬのであれば、必ずお城が流されてしまうのであれば、何のために一所懸命にお城をこさえなければならないのか。
ゆっくり後で考えればいいと回答者は言うが、人はいつの間にか、考えなくなってしまう。
でも、誰にとっても、いつも最も大事な問題なのではないだろうか。
忘れたのではなく、怖いから考えないようにしているのだ。
もっとしっかり向き合おう。