このごろ、新聞の訃報欄に目が行く。
この間、吉良龍夫(森林学)、松浦総三(評論家)、グエン・カオ・キ(元南ベトナム副大統領、写真)の訃報。本や記事で読んだ人々で、直接の知り合いではないが、それぞれ思い出がある。
ゆうべはNHKスペシャルの「飯舘村」を観た。
村の人たちの一言一言が重かった。先が見えないままで、人生が翻弄されていくさまに、観るのがつらくなった。
一方、政府・東電の対応はひどい。
例えば、文科省は事故4日後から放射線量を測りに来たが、その値を村人に教えなかったという。せっつかれて、13日目にやっと公表しはじめた。3月17日に95マイクロシーベルト/時という異常に高い空中線量を記録。だが、何の指示もない。
村の人は、「高い」「高い」といわれるだけでは、どうすればいいのか分からない。
事故後一ヶ月を過ぎて、突然、計画的避難地域に指定され村民はとまどった。補償も、行き先も、期間も示されないまま、立ち退いてくださいといわれたも同然だったからだ。
飯舘村は7割が農業に従事しているから、避難が長期にわたれば、土地や家畜、トラクターなど生活の糧を失う。また、複数世代が同居している場合は、家族がばらばらになる。
映像に出てきた何人もの村人が泣いていた。
ここで死ぬと言った高齢者もいた。
なんとかしたい。土地の除染を進めて、村人を飯舘に戻してほしい。しかし、あの強い汚染度では、相当長期にわたって若い人を住まわせるわけにはいくまい。農業はとうてい無理だろう。
チェルノブイリ事故で、汚染地を立ち退かされた人たちが、かえって早死にした話を日記でも書いたが、避難・移住のストレスは非常に大きい。土地に根ざす農民の場合、悩みはいっそう深いだろう。
番組を観ると、情報の出し方といい、住民への配慮といい、政府の対応はお粗末過ぎる。
3月の事故から5月11日までの2ヶ月で、村民の積算放射線量は28ミリシーベルトと、年間20ミリを軽く超えたという。
チェルノブイリ事故後の情報隠蔽をはじめとする、当時のソ連政府の対応には大きな問題があったが、日本がこれを批判できるのか疑問になる。