原発事故とコスト1−第2ゾーン

第2ゾーンのナロジチ町

ドイツ政府は、福島原発事故直後、脱原発へと一気に舵を切ったが、その理由は「環境」でも「健康」でもなく「コスト」だったという。
ドイツのレットゲン環境相は、雑誌『シュピーゲル』(4月22日号)のチェルノブイリ事故25周年の記事で、こんなふうにコメントしている。
原子力は、短期的には安いエネルギー源のように見えるかもしれないが、大事故が起きれば、そのコストはあまりにも高いものになる。
福島原発事故のコストは、日本の経済に、何年も、ひょっとしたら何十年にもわたって重く圧し掛かるだろう。
この経済的コストは、原子力エネルギーの再考を促すだろう」
http://in.reuters.com/article/2011/04/22/idINIndia-56518020110422
いったん事故になったら、とてもまかなえないほど「高い」ものにつくから、原発から手を引こうという。つまり、経済の問題だというのだ。
私は、4月、2回目のウクライナ行きでチェルノブイリ事故の今を取材してきた。
前回90年の取材では、健康被害が中心テーマだったのだが、今回、強く印象づけられたのは「原発事故の社会的コスト」という問題だった。
これがどんなに高いものになるかは、今後の日本にとって教訓にすべきだし、広く知られてよいことだと思う。
まず、事故直後から、膨大な数の人々が移住を余儀なくされた。
チェルノブイリ原発は、ウクライナの首都キエフから北に130km。国道を通って原発に近づいていくと、打ち捨てられて廃墟となった農家やコルホーズ(集団農場)、広大な農地が広がってくる。
ソ連政府は事故直後、原発30キロ圏内から全住民を避難させた。
避難した人々は一時避難場所から圏外の場所をあてがわれて移住することになった。
ところが、汚染された地域は、その外にも大きく広がっていることが分かった。350キロも離れた場所に、30キロ圏内よりもっと高い放射線の値を示すホットスポットがあったのだ。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110415
91年、それまでの「30キロ圏内」は第1ゾーンとして引き続き立入りを制限したうえ、調査結果をもとに以下の新たな区域分けを実施。第2ゾーンからの移住を行った。
第1ゾーン=30キロ圏内
第2ゾーン=無条件移住区域
第3ゾーン=任意移住区域
第4ゾーン=放射線管理強化区域」
「30キロ圏」と、その外に大きくはみ出した第2ゾーンの住民を中心に、およそ16万5千人が移住させられたという。(2006年のウクライナ非常事態省の報告)
中には、30キロ圏内から移住した先が、実は汚染度が高かったために再び移住させられた人々もいた。
移住にさいしては、放棄した財産の補償や移住費用、受け入れる住居の建設費などに巨額の資金が投入された。
さらには、新たな職場の手配が必要になった。
当時はソ連時代で、国営企業につとめる人が多かったから、新たな職場の手配は、今の日本よりもはるかに簡単だったと想像するが、それでも、対象となる人の多さを考えれば、莫大な社会的コストだったに違いない。
福島の被災者には、元の住居に戻れなくなる人がたくさん出てくると思われるから、移住問題は、まさに他人事ではない。
日本の場合は、ほとんどが私企業勤務や個人経営、個人農家、漁民などで、新たな仕事をどう見つけるかは大問題になる。ある程度、政府が職場を創り出して、被災者にあてがうような施策を採るべきだと私は思う。
さて、私は、第二ゾーン「無条件移住区域」のナロジチ郡のナロジチ町を訪問した。(写真)
すべての住民が移住すべき場所であるはずだが、学校も商店もあり約3千人の人々が暮らしていた。
通りかかったラリーサさん(40)という女性に聞いた。
ここは第2ゾーンなのになぜ住んでいるのですか?
「事故から25年経つのに、政府が移住のための補償をしてくれません。仕方ないから移住を待っているのです」
不安じゃないですか?
「もちろん不安です。私より子どもたちが心配。子どもたちが一番の犠牲者です」
予算不足で移住したくてもできない人がたくさんいるのだった。
(つづく)