《反体制デモの武力弾圧への批判が拡大、国際的孤立が深まったリビアの最高指導者カダフィ大佐は22日、国営テレビで演説し「私はリビアを去らない。殉教者としてこの地で死ぬ」と退陣要求をあらためて拒否した。支持者にはデモ隊と戦うよう指示、中国で民主化運動が武力弾圧された天安門事件に言及し、デモを徹底弾圧する姿勢を明確にした。
カダフィ氏は演説で、「天安門事件が起きた時、戦車が投入された。これは冗談ではない」と警告。支持者に対して「1軒1軒浄化して回れ」と述べて、デモに参加する反体制派を徹底的に攻撃するよう呼び掛けた。徹底抗戦を表明したことにより犠牲者が増えるのは確実で、リビア情勢は危機的状況となっている。
一方、カダフィ体制を支える幹部の離反も拡大。中東の衛星テレビ局アルジャジーラは22日夜、大佐の側近のオベイディ公安書記(公安相)がデモへの支持を理由に辞意を表明、軍にデモ参加を呼び掛けたと報じた。またロイター通信によると、大佐の次男セイフイスラム氏の側近も23日、辞任とデモ参加を表明した。》(共同)
演説するカダフィの顔は醜い。追い詰められた独裁者の最後のあがき。犠牲者が増えそうで心配だ。
さて、
アメリカのアフガン侵攻は、外交的にはうまくいったといえる。
リビア、イラン、シリアといった、反米国家までが協力姿勢を見せた。
イランでは9.11直後に犠牲者追悼のロウソクパレードがあったし、イスラム過激派を弾圧してきたシリアはアルカイダを敵とみなしてアメリカに情報提供した。リビアにいたっては、世界で初めてオサマ・ビン・ラディンを国際指名手配し、CIAに協力した。この関係がのちにカダフィの大量破壊兵器廃棄へとつながっていく。
ところが、イラクへの侵攻となると、アメリカの権力層内にさえこれを疑問視する勢力が存在した。アラブ圏はもとより、仏独などEU諸国の一部も反対に回った。
サダム・フセインがアルカイダと手を組むわけがない。9.11とはつながらないのだ。
そこで、戦争を正当化する理由として持ち出されてきたのが大量破壊兵器開発疑惑だった。むりやりイラクに侵攻した結果は、アメリカは大きく国力を落とし、唯一の超大国の地位から転落した。
アメリカに世界秩序を維持する力がないことが明白になったことが、今回の世界同時多発の民衆反乱の遠因になっていると思う。
イラク侵攻は、まさに歴史の大きな転換点だったわけだが、日本では、検証がほとんどなされていない。
そのイラク侵攻は、「情報戦争」だった。ホワイトハウスでの影響力をめぐって戦う二つの勢力が「自分たちの推奨する政策を正当化し、国民世論を見方につけ、相手陣営の推す政策を潰すために、情報活動を歪め、偽情報を流し、リークによるスキャンダルで敵の動きを封じていく・・」
菅原出氏の『戦争詐欺師』(講談社2009年)は、9.11以降のブッシュ政権の政策決定の舞台裏で戦われた熾烈な情報戦争を克明に再現した名著だ。
開戦派は、とくに、イラク人亡命者を効果的に利用した。
最初に登場するのはアフマド・チャラビ。(写真)
ロンドンを拠点に「イラク国民会議(INC)」という亡命者組織を率い、イラクの新政府で副首相にまでなった。
INCは、アメリカの諜報機関から莫大な工作費をもらい米世論誘導を精力的に行った。チャラビは、『ニューヨーク・タイムズ』のジュディス・ミラー記者に接触し、亡命した科学者アル・ハイダリーのインタビューをプロデュース。ミラー記者は、アル・ハイダリーが「生物、化学、核兵器の秘密貯蔵施設の建設に一年前までかかわっていた」とするスクープ記事を書き、2001年12月20日の一面に掲載された。アフガンではサダム政権が転覆され、カルザイを議長とする暫定政府が2日後の12月22日に成立している。次はイラクだ、と仕掛けるタイミングにも思える。
後に『ニューヨーク・タイムズ』が「誤報」として検証特集を組むことになるミラー記者の記事は、米政界に大きなインパクトを与えたほか、日本をふくむ外国のマスコミにも引用されて国際世論を導いていく。
そして、2003年3月のイラク開戦直前の2月のパウエル国連演説に使われたのがジャナビの証言だった。これが、侵攻をためらうアメリカ内外の世論を説き伏せる最後の一押しとなったのである。
(つづく)