中国とどう向き合うのか1

takase222010-09-24

急な幕引きに驚いた。
尖閣諸島沖での海上保安庁巡視船と中国漁船の衝突事件で日本側は、中国の要求に屈する形で中国人船長の釈放を決定した。日本政府は「捜査上の判断」(仙谷由人官房長官)と強調しているが、対中関係に配慮して民主党政権が「政治決断」した要素が大きい。中国は東シナ海での活動をますます活発化させることが予想され、海洋権益をめぐる今後の駆け引きで禍根を残すことは間違いない》(時事)
明らかに中国の圧力に屈した形になった。
《韓国メディアは船長の釈放決定を「中国の報復に日本が白旗」と速報。聯合ニュースは「日本は国内法による起訴と判決という先例を残すことに失敗した」と指摘し、「日本の経済がどれほど中国の報復に弱いかを露見させた」と伝えた》(毎日)
国際的な日本のイメージはひどく傷つけられた。
ここまで露骨な屈服の形を取ったことの代償はあまりにも大きい。国家の「姿勢」にかかわり、日本はそういう国だと世界に印象付けることになったからだ。
もっとも、船長釈放決定の裏で、何らかの「取引」や相応の「見返り」があったのであれば、将来この措置が正当化されることはありうる。少し時間が必要かもしれないので最終判断は留保したい。

きのう、札幌でひらかれた「拉致問題を考える道民集会」で横田滋さんとともに講演してきた。http://www.hokkaido-np.co.jp/news/donai/252458.html
そこで私は、尖閣列島での事件についても触れた。というのは、どんどん過激になる中国の対応に対する日本政府の姿勢が「原則や正邪はどうでもいい、波風を立てないように、事を荒立てないように」というふうに見えたことに不安を覚えたからだ。こんな腰の引けた姿勢で、拉致被害者を取り返すことができるのかと問題提起したのだ。
拉致被害者を奪還するには、北朝鮮だけでなく、米国、中国、韓国、ロシアなどと丁々発止の外交戦をくり広げなくてはならないはずなのに。
日本では、とにかくトラブルを避けることが「平和外交」とされている。
しかし、1400年前の日本に、これとは全く違う平和外交があった。それを進めたのは聖徳太子だった。
(つづく)