タイで邦人カメラマン死亡

takase222010-04-12

バンコクでロイター東京の村本博之さんが銃弾に斃れた。
タイの騒動では、村本さんをふくめ、21人もが亡くなる惨事になった。
ちょうど一年前、タイはこれから不気味な時代を迎えるという意味のことをこのブログに書いていた。今回の騒動の余波は、すぐには静まらず、大揺れが続くのではないか。王制の将来という体制問題にまで発展するかもしれない。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090415
タイのクーデターで死亡したジャーナリストといえば、ニール・デイビスを思い出す。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20071111
85年のクーデター未遂事件のときだった。
野次馬が戦車の周りに詰め掛け、緊張が高まっているようには見えなかった。ニールは戦車が砲弾を撃つとは夢にも思わずに、砲身の真正面に立った。しかし、その戦車砲が火を噴いたのだった。「まさか!」と誰もが思ったろう。砲弾は彼のすぐそばの塀に当たり、砲弾の破片が腹部を貫いた。
私も当時はカメラマンだった。彼の死を知ったあとでは、流血の衝突が予想される場合は、いつも銃や砲の背後から撮影するようにしている。かっこよくないし、汚いといわれるかもしれないが、「強い側から撮影するように」、と後輩には指導した。つまりは、デモ隊と軍が対峙する場合はたいてい軍の側に身を置くことになる。
しかし、これはあくまで一般論であり、多少は危険度は下がるが、それでも事故は起きる。
亡くなった村本さんの撮影した映像がテレビに流れた。
http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye4402624.html
周りの緊迫した状況にもかかわらず、非常に落ち着いたカメラワークである。目の前で大きな爆発があり、兵士やカメラマンがどっと逃げてくるなか、村本さんのカメラは静かに下がりながら左にパンして負傷した兵士をとらえている。この状況で周囲を冷静に観察して被写体を探しているのである。感心した。
私は村本さんを知らないが、修羅場をたくさん経験した熟練の報道カメラマンに違いない。
どちらの側に撃たれたか、まだ結論が出ていないが、村本さんが当時、やってはいけないような無茶をしたとは思えない。あの日は、だれもが予測できないほど、一気に緊張が高まったのだろう。
いくら注意しても、思いがけない「まさか」は起きるということである。
村本さんには私と同じく二人の娘がいるそうだ。村本さんは、タイに発つ二日前に下の子の小学校の入学式に出て、とても喜んでいたという。