イランは「中東の北朝鮮」ではない

takase222009-06-08

テヘランの5月中下旬の気温は東京よりちょっと高めだったが、市内からは写真のように雪をかぶった山々が見える。イランというと砂漠で暑い国というイメージを持つ人が多いだろうが、首都テヘランは高地で、北に4000〜5000m級のアルボルズ山脈を控えている。


田中宇氏(ジャーナリスト)は「日本でいうと、富山市内から見た立山連峰か、長野県の大町市内から鹿島槍ヶ岳を見ているような感じである」と表現しているが言い得て妙である。前回の取材(06年)は12月で、市内のホテルには揃いのヤッケ姿の男たちでごったがえしていた。冬山雪山に行くのだと聞いて驚いたことを思い出す。
私はぶっつけで取材地に行くことが多い。出張直前まで別の用事をやっていて、飛行機のなかで必死に本を読んで情報を仕込んだりする。ドタバタの付け焼刃で取材しているので、テレビを観た人から「イランにお詳しいんですね」などと言われると赤面してしまう。きっと、テヘランのホテルで『地球の歩き方』を熟読しているなんて想像できないだろうな。
前回は3人で取材に行ったのだが、全員イランは初めてで、文化ショックの連続だった。「イランは悪の枢軸なのか」というのがテーマだったのだが、あまりに驚いたので、『週刊現代』に「イランは”中東の北朝鮮“ではなかった」という一文を書いた。
まず、イラン人が海外情報に通じていること。
衛星放送は建前は禁止なのだがよく観られているし、通りの新聞スタンドには「ニューズウィーク」や「ナショナルジオグラフィック」はじめアメリカの雑誌が大っぴらに置いてある。
大学キャンパスで核問題を聞いたとき、通りがかった女子学生にマイクを向けると、原爆を持っている国をすべて挙げたあと「NPTに入っていないイスラエル、インド、パキスタン核兵器を開発したことをまず問題にしなくてはならない」と堂々たる議論を展開した。
女性の活躍ぶりも意外で、イランでは大学生の6割以上が女子。
特に医学部などは8割を占めるという。メディア界も女性が多く、市内で見かけたイランテレビのニュース取材では、マイクを持つのはほとんど黒いチャドル姿の女性レポーターだった。記者会見で鋭く迫るのも女性ばかり。聞くと、スポーツの現場に女性は入れない(例えば女性のサッカーの観戦は原則禁止)ので、スポーツ記者はほぼ全員が男性だが、政治や経済の記者はほとんどが女性だという。女性が車を運転できないイスラム国家もあるなか、イランには女性のタクシードライバーがたくさんいる。もちろん黒いチャドル姿だが。
重要なのは、イランには、はっきりと異なった政治潮流が存在し、激しく争っていることだ。どちらが勝つかは、むろん投票で決まる。
特に改革派支持者は、ハタミ大統領時代、大統領だけでなく国会も改革派が握ったのに、民選でない機関や司法機関によって横やりが入れられ改革が挫折したことに失望し、棄権するようになった。そのため、ここ数年は保守派の時代が続いている。改革の挫折がはっきりした04年の国会選挙での投票率は、全国平均で51.2%、テヘランで32.6%だった。きのうのサンプロ特集でも、若者が、どうせ投票しても変わらないなら、棄権したほうが抗議の意思を示せると言っていたが、この投票行動は先進国的な感覚だ。
週刊現代』の記事を私はこう締めくくっている。
北朝鮮とは違い、イランには明らかに“民意”がある。民意がある限り、国際社会からの働きかけは有効だし、イランの核問題は話し合いで解決できる》
私が北朝鮮とイランを峻別すべきだと確信するようになったのは、このときからだった。