我々が製作に携わったテレビ番組が放送されると、翌日、「成績表」がファックスで送られてくる。視聴率表である。
サンプロの場合、放送開始の10時から11時45分まで1分きざみで視聴率の数字とそれを折れ線グラフにしたものが載っている。
我々の成績は、具体的には、特集コーナーがサンプロ全体の視聴率にどれだけ貢献したかということで測られる。例えば、特集コーナーが8%で始まったのに、ずるずる数字を落として6%で終わったら、足を引っ張ったことになり、「失敗」とみなされる。
その「成績」が今回はよかった。関東では11時7分の特集開始時6.5%が10.7%のピークまで上がって9.4%で終わっていた。関西はもっとすごい。12%弱でバトンを受けたあとグラフがぐんぐん右肩上がりになり、11時13分からはずっと他局を引き離してABC(朝日放送)がトップをキープ。後半11時38分、16.3%のピークを記録した。
在日が多いという土地柄もあるのか、北朝鮮特集はいつも関西の視聴率がいいのだが、今回は特別だった。視聴率表を観て、年甲斐もなく、ヤッタ!とガッツポーズ。と同時に、1千万人超の人が観るということの重みを考えると、しっかりした報道をしなくては、と心が引き締まる。
世間では、視聴率なんか無視すべきだという意見も多いが、商業放送を前提に仕事をするものにとって視聴率は大事だ。製作者が重要だと思う作品でも、多くの人に観てもらわなくては意味が小さくなる。出版も同じで、良いことが書いてある本でも、手に取って読んでもらえなければ伝わっていかない。これは、あくまででマスコミの話をしているので、ミニコミや自主映画に意味がないといっているわけではない。また、商業ベースにはのらないが意味のある作品の製作をどう保証するかは別の問題である。
実は視聴率表を観ることは我々にとっても勉強になる。
途中でガクッと数字が落ちている箇所がある。なぜかと思ってVTRと照らし合わせると、編集中「ここはちょっとわかりにくいかな」と心配した箇所だったということがよくある。
学校の授業ならば、単位を取らなくてはならないから、つまらない授業でも先生の話を聴いてくれる。しかし、テレビの場合、重要な内容なのだから観るべきだ!とこちらがいくら力もうが、観るかどうかは視聴者の自由だ。理解できなかったり、興味を失ったりすると視聴者は正直にチャンネルを替える。
視聴率は、視聴者に観てもらう努力をどれだけしたのかと我々に問いかけてくる。まさに「成績表」なのである。
ちょっと話を広げると、より多くの人に情報を届ける努力は、どの世界にも必要だ。特に世の中を変えたいと思う人々にとっては決定的に重要である。政治がそうであり、NPOなどの社会活動もそうである。その過程で、マスコミをうまく「のせる」ということも工夫しなくてはならない。どんなに素晴らしい主張も、国民にそっぽを向かれたら政治的にはゼロである。
暗い話や、深刻な問題は国民に嫌がられると思いがちだが、情報の出し方によっては人々を惹きつけることが可能になる。
最近、感心したのが、日比谷公園の「年越し派遣村」に始まる一連の運動だ。
あのキャンペーンは実に上手い。非常にわかりやすく、アピール度の強い形で情報を出している。
マスコミが飛びつき、厚労省が建物の一部を提供し、自治体が緊急雇用を発表するなど、一気に世の中を動かしている。少し前まで、ホームレスになるのは本人の努力が足りないからだ、などと公言する政治家がいたが、今はもうそんな発言はできないムードになっている。どの政党も派遣切りはけしからんと主張し、国会の法案論議にも大きな影響を与えている。写真は超党派でデモ隊を歓迎する国会議員団。
こないだ友人のNGOの活動家に会ったら、「《派遣村》を仕掛けた《反貧困ネットワーク》の湯浅誠さんに、どうやってあんな運動が可能になったのか聞いてみたい。あのキャンペーンの成功に学びたい」と言っていた。これは活動家として正しい感覚である。友人のやっている運動の中身は、非常に重要だと私も思っているのだが、いま一つ、大きなうねりを作れないでいるのだ。
きょう、ジン・ネットも加盟するテレビプロダクションの連合体「全日本テレビ番組製作社連盟(ATP)」の賀詞交歓会があった。冒頭、民放連の広瀬会長が乾杯の挨拶で、08年9月中間の単体決算で、テレビ局127社のうち43・3%にあたる55社が経常赤字になったと言った。今年3月期決算の数字はさらに悪化する見通しだという。日本のテレビ史始まって以来の出来事が起きている。パーティ会場では「いやあ、うちも大変ですわ」という会話ばかりだ。
ここで危惧されるのは《お金をかけないで視聴率を取りにいく》傾向が強まることだ。これが進むと、視聴者にさらに飽きられて、すでに斜陽産業であるテレビのいっそうの地盤沈下を招くだろう。心配だ。