蝉時雨の千鳥ケ淵墓苑

takase222008-08-18

外国のように「無名戦士の墓」があればいいのに、という若い人に、「日本にも立派な無名戦士の墓があるよ」と言うとびっくりする。それが、千鳥ケ淵戦没者墓苑だ。
墓苑のホームページによると、
千鳥ケ淵戦没者墓苑は、昭和34年(1959年)国によって建設され、戦没者のご遺骨を埋葬してある墓苑です。
今から約60年前の大東亜戦争では、広範な地域で苛烈な戦闘が展開されました。この戦争に際し、海外地域の戦場において、多くの方々が戦没されました。戦後、ご遺骨が日本に持ち帰られましたが、ご遺族にお渡し出来なかったものを、この墓苑の納骨室に納めてあります。いわば「無名戦士の墓」とでもいうべきものです。現在、約35万柱のご遺骨がこの墓苑に納められております。》http://homepage2.nifty.com/boen/
私の好きな場所の一つである。
きょうおまいりに行った。三日遅れの戦没者慰霊だ。広い敷地に2、3人しかいない。深い緑のなか、蝉しぐれが体に染み込んでくるようだ。まるで別世界で、身も心も癒される感じがする。
「くにのため いのちささげしひとびとの
  ことをおもへば むねせまりくる」
碑に彫られた昭和天皇の御製は、シンプルで心がこもっている。
海外240万人の戦没者に思いをはせていると、悔いのない人生にしたい、日本をよい国にしたいとの願いが素直にわいてくる。
敷地内に地図があり、戦没者の分布を示している。中国本土46万5700人、旧満州24万5400人、ニューギニア(西イリアン、東部ニューギニア含め)約30万人などが多いが、そのなかで、フィリピンの51万8000人がひときわ目に付く。中国での戦没者が多いのは、15年戦争と呼ばれる戦闘行動の長さと面積の広さから理解できても、フィリピンの戦没者数の大きさに意外な感じを持つ人が多いのではないか。しかも、このおよそ52万人は最後の1年に集中している。戦没者の密度から言えば、フィリピンは他の地と比較にならない。いかに苛烈な戦場であったかがわかる。
フィリピンの戦没者のうち、戦後収集されて千鳥ケ淵に納められている遺骨が、およそ9万5千柱。20年前、私はフィリピンでの遺骨収集のお手伝いをしたことがある。
太平洋地域でおそらく唯一の日本兵の集団墓地を「発見」したのだ。そこには、数百柱の遺骨が埋葬されていた。
私にとって初めての、やや大きめのスクープだった。
(続く)