死は帰郷

takase222008-04-27

先日、お寺に卯の花が咲いていた。花を娘に見せながら、♪卯の花のにおう垣根に、と「夏は来ぬ」を歌ったが、反応がない。この歌を全く知らないという。そもそも卯の花とは「おから」だと思っている。この歌のように、卯の花を垣根にしたら、この時期さぞ楽しいだろう。
きのう、カメラマンMさん死亡の報に、Mさんと親しかったディレクターが会社に駆けつけてきた。憔悴した彼と朝方まで飲んで、きょうは一日、二日酔いだった。
人生の根本的な悩みは、死をどう納得するかに関っているが、私は岡野守也さんのコスモロジーを学び、死は元の故郷に「帰っていく」ととらえればよいのだと思うようになった。
アインシュタイン相対性理論以降の物理学、ガモフのビッグバン仮説以降の宇宙論、プリゴジーヌの散逸構造理論、ワトソンとクリック以降の遺伝子の研究、ヘッケル以降のエコロジーの成果など、現代科学の標準的な理論を統合的に理解すると自然に、「137億年前、たった一つのエネルギーの玉(ないし塊)だった宇宙は、ビッグバン以来、エネルギーから物質、物質から生命、生命から心というふうに、自己組織化・自己複雑化という意味で進化し続け、多様なかたちに分化しているが、依然として私たち人間とその心は宇宙と一体である」というコスモロジーが導き出される》と岡野さんは説く。http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992/e/44d01712364b5d29564a651491934773

 私が生まれた時
 私の重さだけ地が泣いた
 私は少量の天と地でつくられた
 別に息をふきかけないでもよかった
 天も地も生きていたから

 私が生まれた時
 庭の栗の木が一寸ふり向いた
 私は一瞬泣きやんだ
 別に天使が木をゆすぶった訳でもない
 私と木とは兄弟だったのだから

 私が生まれた時
 世界(コスモス)は忙しい中を微笑んだ
 私は直ちに幸せを知った
 別に人に愛されたからでもない
 私は只世界(コスモス)の中に生きるすばらしさに気づいたのだ

 やがて死が私を古い秩序にくり入れる
 それが帰ることなのだ
 (谷川俊太郎「帰郷」)

これも宇宙に帰っていくイメージだ。
頭では理解しているつもりなのだが、深酒してしまうのは、心の底から分かっていないのだろう。修行しなくては