自分の死を撮影したカメラマン(続き)

takase222007-11-12

ニール・デイビスがレポートをしようとサウンドマンのビル・ラッチと準備に入ったとき、彼らの方を向いていた反乱軍の戦車砲が火を噴いた。
砲弾はニールの立つすぐ後ろの塀に炸裂し、ニールとビルに砲弾の破片が当った。
カメラも地面に倒れたが、直前に録画ボタンが押されていたため、そのまま録画を続けた。その映像には、ニール自身が映っていた。
後に私はその映像を見た。
轟音とともにカメラがゴロンと横倒しになる。カメラのフレームは90度回転した状態で縦長になった。その視野をふさぐようカメラの前にニールの体が倒れてきた。しばらくすると、横たわっていたニールの体を誰かが引きずっていき、ニールはフレームから消えていく。ニールは即死と発表されたから、すでに死亡していたのだろう。
ビルが重症を負いながら、助けを求めて必死に這って行くのも映っていた。ビルはその後、運ばれた病院で亡くなった。
ニールは新聞記事に「自分の死を撮影したカメラマン」と書かれた。

その「遺作」を見たのはバンコクの外国人記者クラブの上映会でだったが、あまりにショッキングな映像に、集まった数十人のジャーナリストたちがみな押し黙っていたことを覚えている。
それにしても、戦車の正面でレポートするという危ない判断を、なぜ彼はしたのか。いくら茶番劇のようなクーデターではあっても、実弾を込めた戦車である。その前に立つなど、決してやってはならないことだ。
10年以上ベトナムを生き延びた自分は大丈夫という奢り、幸運の女神がついているという自信が「油断」を招いたと言っては死者に鞭打つことになるだろうか。

「伝説」のジャーナリスト、ニールは、私にとってあまりに眩しく、遠くから憧れの目で眺めるだけだった。とても優しい目が印象的で、彼の周りには自然と人が集まっていた。彼の友人によれば、ギャンブルが好きで、非常に女性にもてたそうだ。
彼については、”One crowded hour: Neil Davis, combat cameraman“という本がある。写真はこの本の表紙である。この題名は、ニールが取材手帳の表紙に書き付けていた大好きな一節から取られたものだ。
”One crowded hour of glorious life is worth an age without a name”。私訳だと「輝ける人生の充実した1時間は、どうでもいい一生に値する」となる。これが彼の座右の銘だったようだ。退屈に長生きするよりもキラキラした瞬間瞬間を生きようとしたのだろうか。
バンコクでは20年以上経った今も、命日の9月9日になると、友人たちが集まってニールを偲んでいるという。