戦場ジャーナリストは絶滅危惧種?

takase222013-10-08

5日は横田めぐみさんの誕生日だ。
拉致被害者横田めぐみさん=拉致当時(13)=が5日、49歳の誕生日を迎えた。めぐみさんの両親はこの日、川崎市中原区で開かれた集会に出席。めぐみさんら被害者の早期救出を訴えた。
 集会には約250人が集まった。母の早紀江さん(77)は「40歳までに連れ戻したいと思っていたが、なかなか進まないのが現状です。どうか、お力を貸してください」と声を詰まらせながら呼びかけた。》(産経)
一方、北朝鮮寧辺(ヨンビョン)の黒鉛減速炉を再稼働した模様だ。2007年の合意に基づき寧辺の原子炉を停止し冷却塔を爆破するパフォーマンスも見せたが、今年4月、国際社会の制裁強化などに反発して再稼働を宣言した。9月にはタービン建屋から蒸気とみられる白煙が上がる衛星写真から、稼働中か稼働が近いとの分析が出ていた。(産経)
核兵器開発をどんどん進めると公言する北朝鮮プルトニウム生産を強めるためだろう。早くあの体制を潰さなくては。
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4日の金曜の夜は、新宿で「戦場から遠く離れて」というトークライブに行く。
安田純平(ジャーナリスト)と松林要樹(映画監督)がともに師とあおぐ戦場ジャーナリスト故・遠藤盛章氏を振り返る企画。私は彼とは一度会っただけで、よく知らないのだが、安田さんと松林さんのトークは面白かった。
遠藤盛章さんは、イラク取材中死刑判決を受けたそうで、釈放されたあと、囚人服のまま取材にいったという逸話があるという。(ほんとは囚人服ではなかったらしいが)
2年前に病気で亡くなった。ライブは酒が好きだった遠藤さんへの献杯からはじまった。(写真)
彼の過去のテーマは、ビルマ・シャン州の麻薬王クンサ取材やタイのジャパユキさん取材など、私とダブるものも多い。
会場にはフリーのジャーナリストも多く、最近はなぜジャーナリストが海外に出て行かないのかという質問が出て議論になった。
いろいろあろうが、「お金にならなくなった」ということも大きな要因だと思う。アフガンやイラクのころは、危険地に行けないマスコミ社員に代わってフリーが現場リポートで活躍して「だれそれが一財産作った」という噂が飛びかったものだ。
きょう、ある民放の報道局幹部とシリアについて話していた。彼によると、海外の紛争地の映像を視聴者があまり必要としていないという。要は視聴率が来ない。
つまりは費用対効果の話になる。ドンパチの映像なら外国通信社から入ってくる。あえて日本人ジャーナリストの取材に多額の費用を出すことはためらうのだと、とても正直に語っていた。
たしかに最近、フリーの独自取材が放送される機会が減っている。
写真の分野ではフリーの戦場カメラマン(ジャーナリスト)は絶滅しかかっているが、テレビ・ジャーナリストもいよいよ食って行くのが難しい時代になったのかもしれない。
松林さんは、アフガンなども取材した経験があり、数年前、うちの会社でADのバイトをやっていたが、『花と兵隊』でデビュー。今では「監督」だ。原発事故のあとすぐに被災地に入って『相馬看花』という映画にまとめた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20110421
帰り際、「今度、被災地に残された馬を描いた『祭の馬』を上映します。これが売れないと、もう食えないので田舎に引っ込みます」と悲壮な訴えをしていた。前売り券を買ってカンパしたが、映画作りも大変だ。
それでも我が道を行く姿には励まされる。応援したい。