ウクライナ取材の現場から4

 ウクライナ東部ドネツク州のクラマトルスクという大きな町で民間のアパートを借りて泊っている。「民泊」である。

5階の台所から見た夕暮れ。社会主義時代に建てられた「質実剛健」風のアパート群。

 通訳を含め3人で1泊20ドルほど。きょうはパンとハム、チーズをスーパーで買って昼と夜はサンドイッチですました。お金を取材費に回すようにして節約している。

 この町のカーヒュー(外出禁止令)は夜9時から朝5時まで。地域によって異なりキーウなどは深夜12時まで出歩ける。

 10月18日の深夜12時ごろ、私が台所で、撮影した映像を整理していると、通訳が「ミサイル!」と叫んで部屋から出てきた。私もすぐ台所から離れる。遠藤さんによれば、空襲のさいには窓のある部屋を避け、バスルームかトイレに行くのがよいという。アパートではたいてい中心部にあるからだ。さらにバスタブの中に入った方がより安全だという。

 通訳がミサイル襲来を知ったのは、テレグラムからで、彼の場合は2万3千人のメンバーが互いに自分が持っている情報を提供しあう。例えば軍に強いコネをもつ人がミサイル来襲の速報を流す。着弾・爆発すると「先ほどわが町にミサイルが落ちて停電になっている」と被災地のメンバーがすぐに通報する。これが最も早く情報を得る方法だそうだ。5分ほどたつと、彼のテレグラムでここから南に20キロの町、コンスタンチノフカに少なくとも3発落ちたことが分かった。

 もう終わったなと台所に戻って仕事を続けていると、空襲警報のサイレンが鳴り始めた。ミサイルが落ちるより遅いのでは警報の意味がないのではないか?原則はレーダー網からちゃんと即時に情報がきて警報がなるそうだが、今回なぜ遅かったか分からない。

 きょう午前、町の繁華街にいたとき、2回警報のサイレンが鳴ったのだが誰も気にしなかった。もうすっかり慣れてしまったのだろう。

 わが国のミサイル警戒はどうなっているのだろうと思いをはせた。

クラマトルスクのショッピングモール前にあるシェルター。この写真を撮っているとき、街中に空襲警報が鳴っているのだが、シェルターに入る人は誰もいない。毎日何度も鳴るのですっかり慣れているのか。

そのショッピングモールのすぐ隣に空襲の凄まじい被害跡があった。左は通訳君が好きだったカフェの残骸。

破壊されたカフェの入り口に犠牲になった人たちの記念碑があった。みな若い。生花が供えられていた。

テレビで戦争を取りあげた特集を観た。息子を亡くした母親を取り上げていた。戦意高揚というのではなく、深い悲しみをそのまま視聴者に投げかける感じを受けた。

テレビ番組より。亡くなった兵士の葬列を道路に跪いて送る人々。 故人を讃えているのか、悼んでいるのか。怒り、悲しみ、尊敬・・ウクライナの人の心をもっと知りたい。

これは昼夜兼のとき食べた、たまの御馳走。ボルシチとドンバス・カツレツ。カツが団子状なのは名産の石炭にちなんでいるのか?これで10ドル弱。円安は痛い。

いまいるクラマトルスクの位置は、右手(つまり東)の青いマークのところ。赤がロシア軍占領地、緑がウクライナが「解放」したところ。🟥はロシア軍の部隊。 ここは国境から20キロと少し。外出禁止令(カーヒュー)は深夜以降。日常生活には不便を感じないが夜道路が暗いのが危険だ。